眠り子アリサ

武志

第1話 眠り子アリサ


 アリサは苦しみの中で目が覚めました。精霊せいれいりつかれていたのです。だから外に出られず、肩が重く、心がだるく、友達と遊べなかったのです。アリサは十一歳になる女の子でした。髪は黒色で美しかったので、アリサの唯一の自慢でした。


 アリサは一日中ベッドで寝ていました。精霊が憑りついているからです。その精霊は他の人には見えず、「あの子は病気でしょう」と医者が言うのでした。

 しかし、アリサは分かっていました。これは病気ではなく、本当に精霊が自分に憑りついているということに。なぜなら、彼女が眠くなった時、精霊が自分に呼びかけるからです。


 夢の中の精霊は、恐ろしい姿をしていました。黒くて雲のようで、みにくくて、それは包まれるように巨大なものでした。精霊の名はジャバーゾといいました。


「お前は、何て弱い子だ。何もかも恐れている。にくい。憎いんだろ? この精霊様が」


 精霊ジャバーゾはニヤニヤ笑って、夢の中でアリサにこう語り掛けました。


「あなたのことは憎いけど、私は良い子よ」


 アリサは顔を背けて言い返しました。


「いいや」


 精霊ジャバーゾは醜い顔をヘラヘラさせて気味が悪いくらい優しく言いました。「良い子は憎まない。ただ、ハイ、と返事をするだけだ。何も言い返さない。文句もない。ベッドから出て学校へ行く。成長して働く。それが良い子さ」


「違うわ」とアリサは泣きそうになりながら反論しました。「良い人だって、怒りをもっているわ」

「良い人が怒る? そうかねえ。良い人は怒らないよ。仮に俺が悪人だとしても、憎まないよ。私のような君を助けたいと思っている精霊を憎まないよ」

「助けたいって?」

「そうともさ、助けたいんだよ。フフフ……いや失礼。一緒に行かないか?」

「どこへ?」

「それは明日言うさ。もう夜が明ける」


 アリサは目を覚ましました。恐ろしくて、鳥肌が立っていました。涙があふれていました。私はあの悪い精霊を憎んでいるんだ。憎しみで心が一杯だ! だからひどい人間なのだ……。

 

 アリサは声を上げたかったのですけど、もうすぐお医者がくるのでやめました。心の苦痛は、お医者では見れません。いえ、他のどんな人だって見ることができません。アリサ自身じゃないと見れないのです。


 そしてその夜、夢の中では、精霊ではなく、すごく人のよさそうな男性が花畑にあらわれました。


「さあ、私についてきてごらん」

「えっ、あなた誰ですか? 精霊ですか?」

「いいえ、違いますよ。私はあなたを助けたいのです。あなたと同じ境遇の方々と会ってください。私はあなたを助けたいのです」


 男性は笑って、少しも悪意がなく言いました。ところがアリサは、この「助けたい」という言葉に、不気味さを感じ、嫌な気持ちになりました。心の奥深くに、黒い黒い恐怖が見張っている感じがしました。

 二人は花畑を歩き始めました。


 



「さあ、着きました。どうぞ」


 男性は指差しました。男性が指差した先には、アリサと同じように、ベッドに寝ている子ども達がいました。男性は一瞬怖い顔になって、それからまた、もとの善人そうな顔になりました。


「俺は子どもを助けたいだけなのだ」

「いやよ、恐ろしい。私はここから出て行くわ」

「待て、どこに行くんだ。この子ども達はお前自身の姿だ。ベッドから出ることができない、お前自身の姿なんだぞ」


 アリサはそれは分かっていました。しかし、怒りがわいてきました。男性を突き飛ばして、男性の善人そうな顔をしたお面を奪いました。そこには、やっぱり精霊ジャバーゾの顔があったのです。


「俺は良い精霊なのだ。俺は良い精霊なのだ」


 精霊ジャバーゾは薄く笑い、自分に言い聞かせるように言いました。


「……私には、あなたの助けなんていらないわ」


 アリサがそう言うと、ジャバーゾはアリサを睨み付けました。


「助けはいる。ずっと、ベッドの中で過ごす気か?」

「関係ないわ。あなたについていくのが、嫌なだけ!」

「俺は良い精霊だ。ここの子ども達には信頼されている。信頼は全てに勝る。全てだ。信頼は全てだ」

「信頼なんか、知らないわ。私は、あなたが、大嫌い!」


 アリサの顔は泣いていました。恐ろしい顔になったり、泣いたり、色んな悲しい時の顔になりました。良いとか、悪いとか、全く関係なかったのです。

 精霊ジャバーゾが善人の面を踏みつけ、無造作に割りました。するとベッドの子ども達が起き上がり、精霊ジャバーゾの方に走り出したのです。そして、彼を踏みつけて走っていきました。アリサも一緒に走っていきました。アリサも一緒に走りました。怒りながら走ったのです。心が凍えそうになりました。燃え尽きてしまいそうでした。

 

 子ども達の叫びはまるでこだまするような、大きな音になったのです。精霊ジャバーゾは、頭を抱え、「ウォー!」と叫びました。


 やがて子ども達は、運命の谷という、赤い恐ろしい谷にやってきました。みんなぴょんぴょん飛び超えました。しかしアリサだけは、飛び越えられなかったのです。足がすくみ、震えました。

 向こう側の子ども達は、アリサに声援を送りました。後ろからは精霊ジャバーゾがフラフラと、恐ろしい爪を手からむき出して、やってきました。はやく飛び越えないと!


 えい! アリサは思い切って谷を飛びました。その時、ジャバーゾがアリサの体を捕まえてしまったのです。ああ……。向こうの子ども達は嘆息しました。ジャバーゾとアリサは谷に落ちていきました。それはそれは、ゆっくり落ちていったのです。


「俺は、お前のかげさ。でもな」


 ジャバーゾは落ちながら言いました。「俺は、この世界では有名なんだ。この世界では、アリサ、お前が俺の影なんだ。わかるか? お前が影だ。お前が弱者だ」

「だからなんなの?」とアリサは歯を食いしばりながら叫びました。

「どういうことか、すぐにわかるさ。見てみろ!」


 二人は、スローモーションのようにゆっくり谷を落ちています。精霊は谷の下を指差しました。谷の下には、たくさんの精霊がうごめいていました。精霊の街です。精霊達は、「ジャバーゾ! ジャバーゾ」と叫んでいました。

 

 ジャバーゾは善人の面をまた自分で再生して、さっきの善人そうな男性に戻りました。


「どうだね、素晴らしいこの信頼! 俺は精霊の街の王なのだ! 信頼は全て! 信頼は力!」

「何よ、うそつき! 私を苦しめているくせに!」

「苦しめている? お前の方がうそを言っている。いや、世間の常識からすれば、お前は悪だ。弱者だ。信頼されている者を憎むお前は、悪で弱者なのだ!」

「嫌、もうたくさん!」


 ジャバーゾとアリサはゆっくり谷に降り立ちました。そして精霊の街の精霊達は、アリサとジャバーゾを取り囲みました。


「ジャバーゾ! ジャバーゾ!」


 ものすごい轟音ごうおんです。アリサはおかしくなるかと思いました。アリサは叫びながら、そこから逃げ出したのです。ジャバーゾと精霊の軍勢が、アリサを追ってきました。アリサは洞窟を越え、山を越え、花畑を越えました。その花畑には、見慣れた自分のベッドがありました。

 ジャバーゾは、善人の顔をしながら、追ってきます。アリサはもう夢中で、ベッドの中に逃げ込みました。そしてアリサは、そこで目が覚めました。

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