四月某日、東京に雪

空薇

四月某日

 空が綺麗によどんでいた。

 おかしな表現かもしれないけど、私はそう感じた。

 本当に、綺麗に。

 空を見上げれば目に写るのはグレーの雲だけ。広い広い空をそれだけで埋め尽くしているというのが綺麗だと思ったし、雲の向こうにいるであろう太陽がその存在を示そうと雲に明暗をつけてるのがまた綺麗だった。

 忙しなさを失った東京の街で、今でもなお忙しく動く私はふとそんなことを思ってハッとする。

 気を抜いてはいけない。仕事に向き合っていなくては、何かを失う気がする。

 地面に縫い止められていた足を引き動かして、前へと進む。

 ただただ前へ、ただただ仕事へと向けていた意識は、なのにすぐまた裾がひかれたなんて些細なことで別な場所へと移る。

 私はため息をつきながら、裾を動かしたかすかな力の持ち主がいるであろう場所に視線を動かす。

 そこにいるのは、案の定まだ年端もいかぬ子供だった。

 その子は、裾を掴んだまま私をじっと見つめてただ一言、こう言った。

「おねえちゃん、ゆきだよ」

 空を見上げても、そこには昏い雲があるだけで、雪なんて降っていない。

「……そうだね。降ると、いいね」

 子供は私を悲しげな瞳で絡めとろうとする。

 それを必死に振り払って、私は再び前へ向かう。

 激しい動機も、歪む視界も、震える手足も……最後に聞こえた、『ちがうもん……』も、全部全部無視して。








『本日の東京の天気は曇り。ただし、地域によっては雨が降る可能性もあります。折り畳み傘を鞄にーー』


 テレビから聞こえてくるのはいつもと変わらないニュース。いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じように支度をして、いつものように家族の仏壇に手を合わせて、ひとりぼっちの家を後にする。

 空は綺麗に淀んでいる。あの日もこんな空だった、なんて感傷に浸りながら、私は忙しない東京の街に足を踏み出す。

 今日はなんだか気分が良かった。

 ずっとかかっていたモヤのようなものが晴れて、すっきりしたような、そんな気分。

 春は、特に四月なんて憂鬱でたまらないというのに不思議な気分だ。

 はらはらと落ちる桜の花弁になにとなく伸ばした手は、その不規則な動きに翻弄されて空を切る。

 それすらも、なんだか心地いい日だった。

 その場で少し伸びをして、そのままの気分で仕事に向かう。

 今日は、今日こそはいい結果を残せるような、誰かの役に立てるような、根拠もなくそんな予感を抱いて私は前へ進む。

 そんな私の袖を、くいっと弱々しい力で引っ張る子供が、こっちをじっと見ていた。


「どうしたの? お父さんやお母さんとはぐれちゃったのかな?」


 早速予感が当たったのか、不安げにこちらを見つめる迷子らしき子に優しく声をかけて、私はスマホで付近の交番の位置を確認した。

 そんな私の袖を、不安なのか迷子のその子は再び引っ張った。


「大丈夫、おねえさんがお父さんとお母さんに会えるようにしてあげるから、もう少し待って……」

「ちがうよ」


 迷子の少女は、真っ直ぐに瞳をぶつける。


「ゆきだよ、おねえちゃん」

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