好きにしろよ

 その日の夜。


 家へと戻ってきたアヤは、いつにもまして不機嫌に見えた。

 しかし、一緒にテーブルを囲んで晩ごはんは食べてくれる。

 今日のメニューは俺が作ったシチューだ。


「……なぁ?」

「何?」


 そっけない返事に、話そうという気力を奪われる。

 アンナのことも思い出してしまった。


「……いいや。何でもない」

「あっそ」


 会話が途切れる。

 俺たちは無言でシチューを食べ進めた。


「ごちそうさま」


 返事と共に食べ終わり、食器を流しへ運ぶ――――前にちらりとアヤの様子を見たら、


「あっ」

「あっ」


 こちらを見ていたアヤと目が合ってしまった。

 俺はすぐに目を逸らして、キッチンへ急ぐ。

 

「何よ? 言いたいこと、あるなら言えばいいじゃん」


 流しに食器を置いたところで、アヤの声が背中にぶつかった。


「……別にそんなのないよ……ただ」


 あれ?


 そんなのないよ、で終えるはずだったのに、どうして俺は『ただ』なんて接続詞を続けてしまったのだろう。


 勝手に口が動き続けているのだろう。 


「悩みごとあるなら、俺に言ってくれよ。それくらい聞くから、何でも」


 悩みごと聞くから、何でも。


 俺は確かに今、そう言った。


 なぜ?

 

 アヤに、殺してもいいよと言っているのか。

 殺してくれと言っているのか。

 殺して下さいと頼んでいるのか。


「何でも……って、本当に何でも?」


 背中を向けているので、アヤが今どんな表情をしているのかは分からない。


 それ以上に、今俺が苛立っている理由が分からない。


「ああ。最近、お前元気ないからさ。隠してるつもりなんだろうけど全部分かるんだよ。態度とか表情とか、その目とか……。何かあるって分かってるんだよ」

「……ふーん」


 アヤは、俺の言葉を一度受け止めてから、


「でも、本当に何もないから」

「何もないわけないだろうが!」


 俺は叫んでいた。

 どうしてアヤに苛立っているのか。

 誰か教えてくれ。

 

「言えよ! 隠すなよ! お前は俺たちを恨んでるんだ? 殺したいんだろ? だったらありがとうなんて言うなよ! 優しいなんて言うなよ! 俺はそんなこと一つもした覚えなんてないのに!」


 俺が叫び終えたのと、俺の指先が冷たくなったのはほぼ同時だった。

 すでに流しの中の食器が氷り始めている。


 ヤバい……。


 と、俺は平常心に戻すため深呼吸をする。

 また暴走してしまう前に、戻れ! 氷! 戻れ!


「だって優しいから。優しいから……優しいせいで、揺らぐんじゃない! 私にはその道しか残されてないのに。優しいから……」


 もういいアヤ!


 何もしゃべらないでくれ!


 優しいなんて言われると、体が疼く。


 氷が広がっていく。


 蛇口はすでに氷漬けで、氷は流しの横にあるガスコンロにまで到達しようとしている。

 止まれ、止まれ、止まれ!


 アヤ、お願いだから、こっちを見ないで……。


「それにあなたのお兄さんだって。私の兄のこと親友だって、それでも選んだって、後悔してるって……思わなかった。英雄なんて呼ばれて、死んだ人のことなんかに目もくれないで飄々と生きてるのかと思ってた。あの人からそう聞かされたんだもん」


 止まれ! 止まれ! 止まれ!


「……だから、もう私には分からない。何をしたらいいのか分からないの。教えてよ……お願いだから。私はあなたのお兄さんを殺してもいいの? あなたを……殺してもいいの? どうなの?」

「好きにしろよ」


 俺は大きく息を吐く。

 何とか能力『氷』の暴走を抑え込むことに成功した。

 振り返ると、アヤは俺に背を向けていた。


「好きにしろってなに? 隠すなって言ったのはヒサトでしょ!」


 見られていない。

 ばれていない。

 隠し通せた。

 

 今さら隠し通していったい何がしたいんだよ!


「だからお前の好きにしろよ! お前の思った通りのことを俺たちは受け入れるから! 殺したければ殺せばいい!」


 アヤを怒鳴り、睨み付ける。

 自分へのいら立ちを、アヤにぶつけても意味がないことはわかっているのに。

 

「何よそれ。答えになってない! 相談しろって言ったのはそっちじゃない」

「それは……ごめん」

「謝らないでよ。……私になんか」

「だったらお前も、俺なんかに優しいなんて言うな。イライラすんだよ」

「……ごめん」

「だから謝るなよ。俺なんかに」


 もう自分でも何を言っているのか分からなかった。

 心の中がぐちゃぐちゃだ。


「私、もう寝る」


 アヤが涙を拭いながら部屋を後にする。


 俺は扉が閉まると同時に、その場に座り込んだ。


「くそが」


 足音でアヤが家を飛び出していたことくらい分かっていたけど、追いかける気力はない。


「何で俺は、ほっとしてるんだ……」


 俺が兄ちゃんと同じく能力『氷』を持っていること。

 それがバレずにすんだことを安心してしまう自分が、世界で一番嫌いだ。

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