トウシロウの秘密

「まあ、当然な」


 兄は平然と答えた。


「何で? 恨まれてるかもしれないのに、それを家に連れ込んで……危険だとか思わなかったのかよ⁉」


 俺は叫んでいた。

 ベッドから立ち上がっていた。


「普通思うだろ? 何でトラウマを自分から近くに……その……その…………あっ――」


 ようやく自分が取り乱していたと自覚した。


「ごめん、兄ちゃん」


 我に返った後、腰から砕けるようにして、ベッドに座る。


「でも、俺はもう兄ちゃんのあの目を」

「それでもだ」


 兄ちゃんの声は力強く、瞳には覚悟の炎が揺らめいていたを


「それでも、俺にはアヤを幸せにする使命がある。サツキに言われて、ハッとしたんだ。悩んでるより、他にやることがあるんじゃないのかって。だから……俺はそうすることに決めた。俺はお前を信じてる。弟としても、一人の人間としても。恋愛照合理論は嘘をつかないって。お前ならできるって」

「何もできないよ。俺には。だって俺は兄ちゃんから信じられるような人間じゃないんだから」

「そんなことない。アヤはもう家族なんだ。守るべき存在なんだ」


 それを言われると何も言えない。

 俺たちがアヤの運命を狂わせたのは、紛れもない事実だから。


「でも兄ちゃんと俺は、元が違うから。天才だから」

「そんなの愛の中では関係ないさ」

「関係あるよ! 天才なのに! 何で兄ちゃんはその時、テツさんを選んだんだよ?」


 きっとこれはあれだ。

 コンプレックスが爆発しているんだ


 天才の兄と比較され続けて。

 自分ばっかり犠牲にする兄にどうしようもなくムカついて。


 いや、本当は違う。


 兄ちゃんが自己犠牲野郎に目覚めたのはヒサトががトウシロウ・アガヅマの弟だったからだ。


 全部俺のせいだ!


 でも、それでも、親友だったんなら私情を挟んだっていいんじゃないか!


 自分の知らない人間が死んでも、俺だったら何も思わない。

 その方が絶対辛くない。


「何でテツを……か。あれがあの時の最善だっただけだよ」

「最善なんかいくらでも詐称できるだろ! 兄ちゃん頭いいんだから、兄ちゃんより頭いいやつなんていないんだから、誰選んだって変わりなかっただろ?」


 ああ、こんなこと言いたいんじゃないのになぁ。


「それに、そんなに苦しむくらいなら兄ちゃんが『氷』の能力えばよかっただろ! 自己犠牲野郎なのに! 一番強いのは兄ちゃんなのに!」

「使えないんだ!」


 兄ちゃんが声を荒らげた。


「使おうと思っても、使えないんだよ……」


 はっ? と言ったのが自分だと、数秒後に気付いた。

 ありえない。

 だって、兄ちゃんの『氷』の能力をチラつかせて降伏させたんだろ?


「俺が一番強いって、俺が一番分かってた。でも、使えないんだよ。……使えなくなってるんだ」


 兄ちゃんのこんなにも情けない声は久しぶりだ。


「兄ちゃん。ごめん」

「それに俺は参謀なんだ!」


 しまったと俺が謝罪しても、もう兄ちゃんは止まらない。

 後悔の沼はそこを訪れたすべての人を一様に盲目にさせる。


「そんなやつがのこのこ最前線に出て行ってどうするんだ。俺がもし負けようものなら、この国は終わりなんだ。抑止力なんだ。国の能力者ってのは……そうなっちゃったから」

「兄ちゃんごめんって!」

「俺だけなんだから! 能力者が、生き延びることを第一に考えなきゃ仕方ないだろ。あの危機を招いたのは俺の判断ミスだけど、テツ一人の一人の命で脱却できるような、その程度の危機だった」

「……ごめん」


 俺の口からそれ以上の何かを挟めるはずもない。

 兄ちゃんは少し上を向いて、自身を嘲笑う。


「ま、俺はその能力自体、使えなくなってるんだけど。本当にヤバい状況だよ。俺が能力使える前提で結んだ同盟なのに。何とかしないといけないのにさ」


 上を向いて歩いたら涙が零れないとか……誰がそんな嘘ついたんだ。

 兄ちゃんの目から溢れる涙が床にポタポタ落ちていく。


「……うん」


 俺はは小さく頷いた。

 何に対しての肯定したのかよく分からない。

 けど、兄ちゃんの口から出てきた言葉で、兄ちゃんの凄さを再認識させられた。


 兄ちゃんの言うことが本当なら、兄ちゃんは嘘つきの天才だ。


「ああ、すまん。兄ちゃん。ちょっと取り乱してたな」


 袖口で両目を覆い一往復。た

 ったそれだけで、兄ちゃんの涙は止まる。

 感情を心の奥さに追いやれる。


「でも……さっきのがばれたら終わりだから、絶対他言するなよ? 誰にも」

「分かってるよ。それくらい俺でも」

「後な、俺はお前が思うほど頭がいい人間じゃない。誰よりも頭がいいってことは、誰よりも頭が悪いってことだ。誰かにとっての英雄が、誰かにとっての悪魔であるのと同じように」


 俺は何も言い返せなかった。

 兄ちゃんの心の傷を抉ってしまった自分のことが憎くて憎くてたまらない。


「ま、つまりあれだ。お前はアヤのことだけ考えてればいいってこと。俺はアヤのことを考えられる時間が少ない。今だって、俺はやり残した仕事を終わらせるために行かなきゃいけない」

「うん。じゃあ仕事、頑張って」


 それを普通の声で言うだけで、精根尽き果てた。

 兄ちゃんが部屋から出て行くと、俺はベッドに倒れ込んで泣いた。

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