英雄として

 また兄ちゃんが薄暗い部屋の中でひっそりと酒を飲んでいる。


 その場に居合わせている俺は、だからといって部屋を明るくしたりはしない。

 テーブルの上に転がっている空き瓶をせっせと片づけるだけだ。


「テツ。……ごめん」


 兄ちゃんが酔いつぶれてしまうのは、これで何回目だろう。

 天才の兄ちゃんは家でしか弱みを見せられないのだ。


 普通に過ごせる平凡な俺は、そういう意味では幸せなのかもしれない。


「……俺が人殺しになっても、守るためだったのに」


 長らく続いていた戦争という名の惨劇は、兄ちゃんのおかげで終結。

 ようやく話し合いも終わった。


「結局守れなくて」


 戦争が終わった理由を、はなくだと思うことは、死んでいった人を侮辱することなのかもしれないけれど、それくらいのことを兄ちゃんはしている。


 弟とは違って頭脳明晰な兄は参謀としていくつもの戦いに参加し、勝利を収めてきた。


「俺は……みんなが言うほど凄いやつじゃないのに」


 兄ちゃんがこうして愚痴――それ以上のもの――を零す姿を見て、俺は優越感も劣等感も抱いている。


 天才であるが故の歓喜も苦悩も、平凡な俺は経験できない。


 いや、なんかいろいろ言い訳したけど、俺はただ兄ちゃんのことを憐れんでいるだけなのだろう。


 俺じゃなくて良かった、とほっとしているだけなのだろう。


「なぁテツ……お前は…………」


 両親の命が目の前から消えてから、俺をここまで育ててくれた優しい兄。


 参謀として活躍し、人を死なせないことで有名だった兄ちゃんが考えた作戦だったとしても、最小限の犠牲は争いごとの中でつきものだ。


 死なせないというのは、当然ながらというわけではない。


 その証拠に、天才だった兄ちゃんがその事実を何とか覆そうと努力を重ねたって、被害はゼロにはならなかった。


 きっと兄ちゃんは、心のどこかでその残酷な現実を理解していたのだろう。


 自身の頭脳を持ってしても――誰も死なずという概念が、戦争の中では理想論でしかないということに。 


 そもそも敵を殺さなければ、争いは終わらないのだから。


「……俺のせいで」


 そんな優しい兄ちゃんだからこそ、争いのせいでおかしくなるのは必然だったのかもしれない。


 兄ちゃんが命の価値を比べるような人間ではないことも知っているけれど、それでも命の重さ、その人にとって大切な人間はいてしまうのだ。


 兄ちゃんのおかげで、戦争は終結した。


 それぞれの国の長が集まり、兄ちゃんが率いていた軍を持った我が国を頂点として、平和同盟は締結。


「俺は、俺が……もっと…………」


 ちなみに、兄ちゃんの才能はその頭脳だけではない。

 兄ちゃんは、世界に数えるほどしかいない能力者の一人、『コオリ』の持ち主だ。


「すまん……テツ。俺が……俺が……」


 今の兄ちゃんの仕事は、戦争で疲弊しきった国の治安を良くすること。


 頭脳明晰な兄ちゃんは、誰よりも早く最適解を導き出し、国のために尽くし続ける。


 悲しむ暇すら満足に与えられないまま。

 

 だから、家の中でくらいは泣いていい。


 弟が黙って兄の闇を聞くことで、兄の心が少しでも救われるというのなら、俺はいつまでもそれに付き合おうと思う。


 どうやって慰めたらいいのかなんて、英雄じゃない俺には見当もつかないから。


 俺の罪がそんな程度で赦されるわけがないのだけど。

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