第20話 ダンス(1)

ザラの部屋。




 アコニが優雅にバイオリンを奏でる中、タ、タ、タンと、地面を小気味よく踏みしめる爪先の音が響く。




「ステップ ステップ、ターン。違う。それでは四拍子であろう。ここは三拍子であると何度言えばわかるのじゃ。お主、本当に耳はついておるのか?」




 ザラがキニエを厳しく叱責する。




 キニエが不格好な踊りを繰り出す度に、その手を、腰を、閉じた扇で軽く叩いて矯正していく。




「もーやだー! こんなの楽しくないー!」




 キニエが首をブンブン横に振り、地べたにだらしなく手足を投げ出す。




「あらあら。ご機嫌斜めですわね」




 アコニが演奏を止め、小首を傾げた。




「脚を閉じんか! はしたない。そなたが座学は嫌じゃと申す故、ダンスの修練に切り替えてやったのじゃろう。わがままを申すな」




「だってー、お兄ちゃんたちは外で遊んでるのにー、なんでキニエだけこんなつまんないやつなのー?」




 キニエが抗議するように窓の外を指さした。




 もっとも、そこで繰り広げられているのは、遊んでいるというより、『死合っている』という形容するのがふさわしい激闘である。




 どうやら、この一家は生まれつき、血なまぐさいことに対する耐性がすごいらしい。




「男と女で身に着けるべき教養の優先順位は違う。それともお主も、あそこに加わってみるか? 父様は女子供にも修練となれば手加減はせぬぞ。妾のこの扇と、父様の木剣と、どちらが好みかえ?」




 ザラが扇をしならせ、わざとらしく恐ろしげな顔をつくる。




「痛いの嫌ー! ダンスも嫌―!」




「全く、しょうのないやつじゃ」




 嫌々モードに入ってしまったキニエに、ザラが小さくため息をつく。




「ザラ。俺、も、踊りゅ」




 その様子をじっと観察していた俺は、頃合いを見て立ち上がった。




「ほう。詩のみならず踊りもできると申すか」




 ザラが目を細める。




「絶対無理! ヴァレリーって、まだ立てるようになってからそんなに経ってないもん! あんなに難しいの出来る訳ない!」




「出来る、出来ないに関わらず、どのみちやろうとせねばできぬようにはならぬぞ――では、今、キ二エに申しつけたのと同じステップをやってみよ」




 ザラが手を叩くと、アコニが再び演奏を再開した。




「ハ、ハ、フッ」




 ステップを踏む。




 地球のものと細かな違いはあるが、要は簡単なワルツ。




 年齢的に手足の先に力の入らないのが難点だが、そこは風魔法で制動を強化して、美しいフォルムを心掛ける。




「……ほぼ完璧じゃな」




 ザラが小さく呟いた。




「なんで!? なんで!? ヴァレリーが踊れるのー! ママ、キニエに隠れてヴァレリーを特訓した!?」




 キニエが目を見開いて、俺とザラを交互に見る。




「妾とて四六時中赤子に構っておれる程、暇ではないわ」




 ザラが肩をすくめる。




 その言葉に嘘はなく、俺が詩を習っている寸暇も惜しんで、ザラは手紙を書いたり、メイドに指示を出したりと、何かと忙しそうである。




「踊るの、好き」




 俺は両手を広げて、好き勝手に踊り出す。




 ホストだった俺は、当然社交ダンスをマスターしている。




 今はもう形骸化してしまったが、そもそもの黎明期、ホストクラブとは、社交ダンスの合間に婦人と酒を飲みながら語らう場所であった。




 昔気質のクラブヴィーナスでは、今でもその名残で、社交ダンスの修得が推奨されていたのだ。




 時代遅れの文化と嫌がるホストも多かったが、俺はオーナーへの恩と、ホストのオリジンに敬意を払う意味もあり、真剣に取り組んでいた。




 実際、社交ダンス目当てに来る年配の客もおり、それが、とんでもない資産家だったりしたことも一度や二度ではない。結果として、無駄な技術ではなかったと思っている。




(今もこうして役に立っているしな)




「……生まれついての伊達男か。このような田舎でなければふさわしい者を教育につけてやれたものを。女の妾には男の貴族の手管を教えるにも限りがある。さりとて、立場を考えれば、兄共を差し置いて都に送る訳にもいかぬ」




 ザラが考え込むように俯いて、惜しそうに呟いた。




「ザラ、もっと、踊る。教えて」




 しかし、俺は彼女の懸念など素知らぬ顔で跳ねた。




 不遇な環境には慣れている。




 前の赤子時代に比べれば、ここは天国だ。




「なにをじゃ。もうできておると言うておろう」




「ザラ、『ほぼ』って言った。『ほぼ』じゃ、ダメ。『完璧』がいい」




「ふふっ。そうかそうか――うむ。その意気やよし! ならば、応えよう。キニエに教えたのは女のステップで、男の動きはまたちと異なる。お主の動きは繊細だが、柔弱に過ぎる。わざと『溜め』を長めに作れ。ターンは大振りに、愛しいを女を抱きしめるように激しく! ――理解できるか?」




 ザラが口角を上げて、早口に呟く。




「こう?」




「うむ。そうじゃ! さらに鋭い男のダンスを身に着けさせるには、二拍子の方が良いかの。『竜曲 剣山を越ゆ』をってくりゃれ。ステップも変えるぞよ」




 曲調が急に激しくなる。




 俺はしばらく何とかついていったが、すぐに体力と魔力の限界がきて、床に転んだ。




「もう、一回。もう、一回!」




 俺はすぐに立ち上がった。




「無理をするな。もう十分じゃ。あまりやって足を痛めてもいかん。全く……幼子相手に本気になりすぎたわ」




 ザラはそう言って俺に近づいてきて、ハンカチで額の汗を拭ってくれた。

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