第9話・三人行

 忌わしい事件現場を後にし、一気に北上だ。父娘が慣れ親しんだこの地を離れ、いよいよ都へと向かう。役人殺しで追われる身となるのは予定外だったが。そうでなくても、どうやらこのふたりは各方面からつけ狙われているらしい。引っ越し業務に用心棒仕事のオプションは含まれてはいないはずだが、とにかく関わった以上は、つき合っていくしかない。なにより、父娘が目論む野心の行方が気になる。

 それにしても、この平原のなんという広さであることか。来る日も、来る日も、歩きつづける。日が暮れ、夜が明け、暮れ、明け・・・それでも、いっこうに人家に出くわさない。しょっぱく干からびた地面に灌木が張りつき、ヘビやトカゲののたくる姿は目の端をかすめるが、見渡すかぎりに、生命といえばそれきりだ。かと思えば、夜になると、食いしばった牙から漏れる野生の呼吸が濃密に臭い立ってくる。油断はならない。

 父、娘、そして馬のホネ、というギスギスした三人旅だ。オレは完全に異物扱いだが、ジュビーと父親もまた、交わす言葉数が少ない。思春期か?それでも相手のことはなんでもわかるようで、娘は父のためにせっせと世話を焼き、立ち働く。

「おい」

「はあい」

 小さな不具の老体を、ジュビーはひざのバネをうまく使って肩にかつぎ、用を足させる。甲斐甲斐しいことこの上ない。その場合でも、必ず父親の権威におもんぱかり、美しい姿勢でやり遂げさせようと心を砕いているのがわかる。こうした振る舞い・・・しもの世話をする姿にまで、この娘は凛としたたたずまいを忘れない。まったく不思議な高潔さだ。

「元に座らせよ」

「はい」

 荒野の片すみで、完全な孤立を貫いてきたらしき父娘だ。愛なのか、あきらめなのかはわからないが、ふたりの絆には打たれるものがある。

「あのさあ」

 思わず、声をかける。

「親子の間でまで、そんな芝居がかった言いまわしって、どうなのかな?・・・『すわらせよ』だってさ」

 いいとこの出、というわけでもあるまいし、ずっと気になっていたのだ。座らしてくれ、すまんな、サンキュー・・・でいいのでは?

「しつけを厳しくしたのだ。わが血筋においては、貴様のような下賎な言葉を使わせるわけにはゆかぬ」

「『ゆかぬ』・・・ほらね、いちいち大げさにしてるだろ、あんた」

 くすくす・・・ジュビーが笑う。ここのところ、よく笑ってくれる。新しい仲間にもぼちぼち心が許せるようになってきている、と受け取りたい。あるいは、この異物が別の文化を持ち込んだせいで、味わったことのない気持ちのひろがりを覚えているのかもしれない。いずれにしても、オレは好ましからざる存在ではなくなってきているようだ。ただそれも、いてもよろしい、という程度なのだろうが。

 日がとっぷりと暮れて、保存食を使った粗末な食事を終える。全員がくたくただ。なのに、焚き火の前でオレが諸国の出来事や劇的な光景の話をしだすと、世間知らずの女の子にとって、そこは寺子屋のようになった。ジュビーは目を輝かせ、見たこともない不思議な世界の話に聴き入る。

「地平線が塩水で満たされている・・・すごい眺めねっ」

「いや、そうじゃない。目の前にひらけた視界全部が塩水なんだ。見渡すかぎりに、真っ青な。地平線じゃなく、水平線だ」

「海ねっ!」

「・・・海を知ってるのか?」

 父親から、話に聞いたことはあるらしい。彼も、やはりオレと同様に世界をめぐっていたようだ。ところが、父は娘に多くを語りたがらない。かわりに、オレが細かく描写してみせる。ジュビーは大きな瞳をくりくりと見開き、好奇心をひらめかせる。海の話、砂漠の話、動く氷原、湿潤のジャングル、ぬかるみ石のつららの洞穴、火を噴きながら燃える岩を流す山、そして人間がつくり得た長大な城、天を衝く塔、さらには下町のにぎやかなマーケット・・・少女は眠れなくなり、オレは話を打ち切ることができなくなる。父親はいつもそれを横目に、むっすりと模造タバコを吹かすきりだ。

「はあー、すごい・・・」

「・・・ってとこだ」

 極めて危険な旅路だが、一座のまわりには・・・少なくとも、若輩二名のまわりには、おおむねのんびりとした空気が取り巻いている。


 景色の中に、雑草の緑がひろがりはじめた。人里が近い、と予感する。地図を見ると、そろそろ党の完全支配領域にさしかかるはずだ。「未開拓」と心外ながら呼ばれる、マダラ地帯は終了だ。要するに、この付近までは、浸透を図ろうとする党側と、干渉を阻止しようとする「マモリ」勢力が、そのどちらにも属さないノンポリの村々を舞台にドンパチをやらかしている状況だった。が、ここから先は、例の「新秩序」が幅をきかせる「近代的な」地域というわけだ。当然ながら、党側の勢力とかち合えば、直接にやり合うことになる。エンブレムを胸に輝かせないかぎりは、だ。

「帰順は・・・してるわけないな、あんたのその胸の反らしようじゃ」

「ふっ・・・あのワッペンがそれほどかっこいいか?」

 父親は、土下座はあまり好きではないようだ。とすれば、地雷原に足を踏み入れる覚悟が必要だ。

「手配書が出回ってなきゃいいがなあ・・・」

 ひとりを取り逃がしたのだ。オレたち三人は、すでに賞金首となっている可能性がある。

「貴様、俺のせいだと言いたいようだな」

「だって、そうだろ!だけど・・・そうまでして、なぜ都にいきたいんだ?」

 何度も問い質したが、そのたびに父親は、タバコの苦い煙をくゆらせるだけだ。そしてゴホゴホと咳き込み、血の交じったタンを吐くのだった。いったいなにをしでかそうというのか?そしてそれは、ヌートンの実一個半ぶんの仁義に見合うものなのか?

「貴様は黙ってついてくればよいのだ」

 のちに革命を起こすことになる娘と、その父親の考えを、このときのオレはまだ理解できないでいる。 

 午前、午後と休まず歩く。一歩ごとに、乾いた風景の色合いが潤んでいくのを見るのは楽しい。ふと、ジュビーが道すがらになにかを見つけた。

「なんだかおいしそう。実をいっぱいつけているわ」

 のぞき込むと、長いツルにころりころりと鈴なりの実が結んでいる。

「ムカゴ。栄養たっぷりの芋の珠芽だ。うまいぞ。非常食になる」

「やったっ」

 手持ちの食料が尽きかけ、心細かったところだ。食べ盛りの少女は、あわてて摘みはじめた。豆粒のようなそれをせっせともいでは、ついばむ。

「うん、おいしい。だれか手伝って」

 「だれか」が、この居候を指していることは明白だ。扱いのむずかしかった少女が、ついに異物を自分の中に飲み下した瞬間といえる。

「ああ、ひとりだとたいへんだよう・・・」

 ジュビーは収穫に忙しそうだ。オレは苦笑いしながら、その様子をじっと見つづける。

「ねえってば!」

「ん?」

「一緒にやって!フラワー」

「わかったよ」

 ジュビーの横で手伝いをはじめた。少女の顔は、よろこびに満ちている。それを見ると、こちらもなんだかうれしい。手を動かしだすと、止まらなくなった。ジュビーの植物に向かう瞳は、純粋そのものだ。世界のすさみ様も、争いごとも、そして父娘の野心も忘れた、女の子の心を満面に開いている。オレもまた、苦々しい過去の因縁を忘れた。ふたりとも境遇を忘れて、いつしか夢中になっていた。

 ふたりが食料を確保する間、父親はスゲソウのタバコもどきを吹かしはじめた。

「ふんっ・・・こんな軟弱な男が、いざというときに役に立つものか・・・」

 聞えよがしのため息が耳に入り、我に帰らされる。いざというとき、と言ったのか?一心にムカゴを集める少女を残し、車椅子に歩み寄る。

「『いざというとき』って、いつだい?」

「いざというときは、いざというときだろう。それがいつかなど、誰も知らぬ」

 この男との会話は、いつも禅問答だ。

「だったら、あんたの娘こそ、いざというときにちゃんと役に立つのかい」

「大丈夫だ。この俺が戦士として一から仕込んだのだ。それに、あれの飛び道具は使いものになる」

「くの字剣、か・・・」

 気になっていたのだ。投げた剣で相手の肉を切り裂いてみたところで、実際に撫で切る感触は手に残らない。その点が、ジュビーの「ひとの死」に対する意識を甘くさせている。ひとを殺すとは、相手の断末魔の痛みを、無念を、呪怨を、直接に受け取り、心を焼くということなのだ。相手の運命そのものを引き受けるということなのだ。その重い痛苦を、あの子は背負えるのか。おそらくあの子は、他人の手による他人の死を・・・悪人どもが殺されゆく光景を、ナイフをぬぐう父親の傍らでいくつも見てきたにちがいない。しかし、父親が肩代わりしてくれていたそれらの業を、自らが背負おうという覚悟は・・・?ジュビーを、そこに踏み入らせてはならない。

「あの子に、ひと殺しはさせない」

「む?」

「オレがジュビーを守るよ」

「ほお・・・言うではないか」

 ふふ、と、父親はふくみ笑いをする。が、すぐに鋭い目線を突き刺してきた。

「惚れたか?」

「・・・はぁ?」

「わが娘に手を出したら、躊躇なく殺すからな」

 ギョッとする。思いがけない方向に話を振られたものだ。

「・・・わ、わかってるよ。そんなつもりじゃ・・・」

「シャレなしに、八つ裂きにする。必ず殺す。本気だからな。娘の父をなめるなよ」

 事あらば、この男はためらいもなく警告を実行に移すだろう。くわばらくわばら・・・


 ところが。時間がたつにつれて、ジュビーとオレとはますます打ち解けていった。ムカゴを空に放り、自分の口で受ける。成功すると、奔放に笑い合う。ジュビーの笑顔には、屈託がない。お互いの口に投げ合ったりして、いたずらに興じるまでになった。

「これ、こっちにも投げてよこさぬか、ジュビー!」

 車椅子から動けない父親が要求する。

「こっちにも・・・ほれ。放れ」

「えー、だって・・・パパの歯・・・」

 あのガタガタの歯では、硬いムカゴを噛み砕くのは難しそうだ。父親は拳を握りしめ、歯抜けの歯茎で、無念の歯ぎしりをしている。父親のオレを見る目に、殺意が満ちはじめている。怒りに打ち震える姿が恐ろしい。しかし、それよりも気になるのが・・・

「へえ・・・ジュビーん家、父親を『パパ』って呼んでんだなあ・・・」

 意外だった。

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