第5話・ネロス

 幼少の頃、すでに世界は戦乱のまっただ中だった。が、周囲にはまだわりと平穏な風景があった。少年は、まだフラワーという名でもなかった。天駆ける英雄の話も知らず、洗濯物を干す母の足にまとわりついたり、庭で白湯をすする父の背中によじのぼったりして、平凡ながらもしあわせな日々を過ごしていた。

 父親は腕に覚えのある剣使い、母親も武術の使い手で、ふたりは村で小さな道場を開いていた。幼い少年もそこで、村の自警団の連中に混じって揉まれた。しかし、戦闘時の本物の身ごなしを教えてくれるのは、ドラゴンだった。少年はその時分から、ドラゴンと戯れていたのだ。立派なツノを天頂部に一本だけ頂いた、珍しいドラゴンが遊び相手だった。森の中に、少年しか知らない、木立ちのひらけた空っぽのスペースがあった。一本ヅノのドラゴンは、いつもその陽だまりでうたた寝をしているのだ。それを見つけたときは、心臓が掌中に握ったカエルのように脈打ったものだ。ドラゴンは、人間の子供に興味を示す素振りも見せなかった。こちらから近づこうとすると、シッポを振ったり、翼でさえぎったりして、ぞんざいに拒絶するのだ。ハエを払うようなものなのだろう。ところが、その尾刃のスピードときたら、まるで疾風だ。細腕の一本や二本はいつ失われても不思議ではなかったが、少年は生まれつきに敏捷だった。彼はこの遊びに、好奇心と同時に、決死の覚悟と、たゆむことのない緊張感とをもってのぞんだ。邪険に扱われても、大きな相手が反応を返してくれるだけでうれしかった。少年は、ついにドラゴンのふところ、その体温に触れることはかなわなかったが、真剣で楽しい時間だった。

 家は貧しかった。というよりも、村全体が貧しかった。地域が経済の要衝部から離れていたのだ。人々は細々と芋を育て、ツユハミを飼い、トリに卵を生ませ、たまにシメては街へ売りにいき、少々の貨幣を手に入れた。その金をある筋に渡しさえすれば、戦火が村に及ぶ心配はないということのようだった。なにより、戦乱の世にそろそろ決着がつきそうだ、と大人たちは噂していた。自警団が出張る機会もめっきりと減り、村中に・・・いや、おそらく世界中に安堵感が漂っていた。ところが、突如として国家建設党が台頭した。村人は、滅形した帝国が、新しい党の下に再統一されつつあるのだと知った。

 そんなとき、村にひとりの若い男がやってきた。すごい剣術使いで、頭も切れ、弁が立った。男が党のすばらしさを情熱的な口調で説くと、父親も母親もその思想に夢心地になった。

「ドラゴンを狩ると、党から褒賞が出るのです」

 ことあるごとに、男はそう喧伝した。思想の啓蒙よりも、彼はドラゴン狩りをしたいようだった。しかし、ドラゴンは尊い生き物だ。男の甘言になびく村人はいなかった。ところが、少年の両親は動かされた。「女帝陛下直々のお達し」で「中央直轄の事業」としてのドラゴン狩りなのだという。まったく正当かつ有意な行いではないか。父も母もその気になりつつあった。今思えば、男は、腕の立つふたりの力を利用したかったのだろう。ふたりがついに首を縦に振ると、男は満足そうに微笑んだ。とはいえ、父と母の側にも打算があった。村を豊かにしたかったのだ。女帝陛下にアピールをすれば、党中央からの助力が得られ、村は進歩し、経済的な発展を遂げられるかもしれない。そうしてふたりは、一本ヅノに目をつけた。幼い息子が森の奥で、その珍しいドラゴンと睦まじくしているのを知っていたのだ。

「これであなた方は取り立てられ、村は女帝陛下のご加護の下に安泰です」

 男は夜な夜な、家にやってきては、両親にそう囁きかけていた。そしてある日、少年がそれとも知らぬ間に、三人は森へと踏み入ったのだった。


 あまりに忌まわしい過去を、オレは記憶の底に眠らせていた。その封印が、どういうわけか不意に解かれた。頭の上にのったヌートンの実のことも忘れ、慄然と立ち尽くした。じいさんがじっとこちらを見つめている。そのまなざしは、こちらを見透かす。オレは、自分についた嘘を隠し通せなくなったようだ。そうだ!すべてを思い出したぞ。


 三人が森に入って数日後に、両親はドラゴンとともに見つかった。父と母は、見事にドラゴンを仕留めたようだった。しかし、ふたりとも刀傷で絶命していた。牙に噛みちぎられるでもなく、爪や尾刃に掻き切られるでもなく、火炎に焼かれるでもなく・・・剣によって後ろから袈裟懸けだ。

「どうしてこんなことに・・・」

 村人たちは言葉を失った。現場周辺には点々と、いや、おそらくは意図的な導線で、子供の衣類が散らばっていた。少年は、両親がそれを・・・自分の衣類を用いたのだと知った。ドラゴンは、そのにおいに導かれたのだ。いつものあいつが遊びにきたぞ、少しじゃれてやるか、と。ドラゴンは、自分を探したのだ。少年は、腹の底からの憤怒を覚え、慟哭した。そしてはじめて理解した。自分はドラゴンに愛されていたのだ。なのにドラゴンは、信用を置いていた者に裏切られたというわけだ。

 横たわるドラゴンの天頂部からは、一本ヅノが失われていた。それを持ち去った者は、明らかだ。


 そうだ、あの男の名は、たしか・・・ね・・・ろ・・・

「ネ・・・ロ・・・ス・・・ネロス・・・」

「ネロスだっ!」

 ブドバババババッ・・・

 じいさんがその名を叫ぶのがはやかったか、爆音の轟きがはやかったか。突如として、オアシスの静寂が破られた。一台のバギーが、この平和な地を囲む尾根を越え、斜面を駆け下りてくる。闖入者だ。

「ネロス・・・だって・・・?」

「くそっ、無法のドラゴンハンターめがっ。押せっ、馬鹿者!」

 バギーはまっすぐにこちらに向かってくる。足の悪いじいさんは、移動ができない。あわてて車椅子の後ろにまわり、ゴロリと押した。しかし・・・

 シュルシュルシュル・・・ズドッ!

 じいさんの足下すぐのところに、モリが突き立った。ドラゴンのウロコをものともしないえげつないサイズのものとは別の、携帯撃ち出し式のモリだ。それでも、人間の胴を皮袋のように貫く殺傷能力はある。縄がビンと張って、オレたちはゆく手をさえぎられる形となった。

「見いつけた」

 ドロロロ・・・

 バギーの男は、縄を巻き取りながら、近くに乗りつけてくる。ゴーグルを装着した顔に、さらに日差しよけの巻き物をしている。

「いやあ、探した、探した。が、ついに、だ。ジュビーの大ドラゴンの寝ぐらが、こんな場所になあ」

 男がひょいとシートから飛び降りた、そのときだ。

 りゅん、りゅん、りゅん・・・

 風を切る音が聞こえた。かと思うと、張り詰めた縄が、飛翔したなにものかに切断された。

 ピュン・・・

「うおっとっ・・・!」

 くの字剣が疾過したのだ。それはハヤブサのように後方に飛び去った。さらに驚いたのは、次の瞬間だ。風のように走り込んだ少女が、男に向かって猛烈な飛び蹴りを浴びせた。怒りの炎を散らす一撃だ。

 ぶおっ・・・

 ところが、相手はこれをやすやすとかわす。空威張りばかりをしているわけではない。このドラゴンハンターも相当な手練れだ。少女は着地し、すぐに油断なく身構える。驚くばかりの展開だ。が、最も驚いたのは、次の瞬間だ!

 りゅんっ・・・

 背後で大きく旋回し、戻ってきたくの字剣が、オレの頭上の果実をまっぷたつにしたのだ。

 パカッ!

 剣はそのまま、眼前に立つ男に向かう。

「ぬあっ・・・!」

 はっし・・・

 飛び退くこともせず、男はその柄をしっかとつかんだ。

「く・・・くくっ・・・ジュビー。今日は一段と鋭い。なかなかいいぞ」

「あなたのほうが、ちょっと鈍くなっているようね」

「私の妻になるのだ。そうすれば、きみのドラゴンはカゴの中で生かしてやる。さもなければ・・・」

「帰れっ!」

 ふたりはなおもにらみ合う。が、そのときだ!またも予測不可能な事態が起きた。

 さわ、さわ、さわ・・・

 突如として、空がかき曇った。同時に、ものすごい土ぼこりが巻き上がり、コンー畑がなぎ倒されていく。

「はっ!」

 男が振り返る間もなかった。その首が、ぴゅっ、とはね飛んだ!・・・いや、首ではない。それは巻き物にぐるぐるにされたヘルメットだ。やつは、危うく切断されるところだった首をすくめている。

「王様!」

 ジュビーが叫んだ。素顔をさらした男のすぐ背後に、翼をひろげたドラゴンが立っている。敏捷なハンターですら、その接近を察知することはできなかったらしい。この巨体は、物音ひとつ立てることなく、ここにいるすべての人物の死角から地上に降り立ったのだ。王様はウロコを逆立て、怒りに目を血走らせている。振り抜いた尾をひるがえし、返す刃で男の首を狙う。 

「くそっ!」

 長大なからだが軽やかに半回転し、尾の骨刃が繰り出される。必殺の勢いだ。が、男は間一髪、身を反らせてよける。

 ピュッ・・・

 鮮血が飛び散った。刃先が胸元を薄く裂いたのだ。男はあわてて傷口を押さえる。それでも、おびえの色はない。むしろその目は、好戦的だ。意欲がみなぎっている。しかし、やり合う気が満々なのは、王様もジュビーも同じだ。

「今日こそは、ネロスっ!」

「ははーっ、ジュビーよ。タッグを組むとは、なかなか考えるものだな」

 男の顔が完全に露出した。その相貌を見て、あっ、と思った。間違いない!

「あ・・・い・・・つ・・・っ!」

 やはりそうだ!名前と顔が鮮明に結びつき、心の奥底に閉じ込めていた少年の頃の記憶がひらいた。

「・・・くぉ・・・の、ぃ野郎おぉーっ!」

 烈火のごとくに飛び出していた。記憶のスパークに突き動かされたとでも言えばいいのか。今度こそ、剣を抜いた。目の前にいるのは、父と母の仇だ!大上段から満身の体重をあずけ、剣を打ち込む。

「むうっ!?」

 ガキンッ・・・

 ネロスはとっさに、手にしていた少女のくの字剣で防いだ。手の平から血しぶきがはじける。

「・・・なんだ、こいつはっ・・・!」

 少年時代のオレの顔を覚えていない。この男にとってオレは、悪業にまみれた半生の中で通り過ぎた凡百のエキストラのひとりなのだろう。しかし、こっちは完全に思い出した。

「ふざけんな。お父とお母のカタキだあっ!」

 迂闊にも、怒りのあまりに我を忘れた。もう一度振りかぶり、満身に力んだ一撃を打ち込む。が、相手は百戦錬磨だ。そんな戦略なしのシンプルな手は通じない。身をひるがえし、がら空きの胴をなぎにくる。

「バカめ」

「あうっ・・・」

 しまったっ!しかし、その軌道はこの腹を掻き切らなかった。やつが握るくの字剣は、始動すると同時に、ポイと放棄されたのだ。ネロスの視線は、オレの背後に注がれている。瞬後・・・

 ぐ、ご、ごお、おぉぉ・・・

 猛烈な火炎が、ふたりの間を走り抜けた。王様ドラゴンが火を噴いたらしい。ネロスはすでに目の前から跳びしさり、転げて、野太いゴブゴブの倒木に身を隠している。

 ごおおおおおお・・・おおお・・・

 王様は火を噴くのをやめない。慢心から炎を振り絞り、ゴブゴブのゴツい幹を灰にする勢いだ。ドラゴンは、胃の中で可燃性のオイルを分泌する。それを吐き出すと同時に、牙の裏の火打石のような突起を擦過させるのだという。すると着火した胃液は、激烈な火炎となって口から放射されるのだ。

 ぐごおおお・・・

「すげえ・・・」

 火炎はドラゴンの最大の武器だ。が、その行為は、同時に体力を・・・いや、生命力と言いかえてもいいが、とにかく精力を酷使する。肉体を著しく衰弱させ、吐きすぎると死んでしまう例もあると聞く。

 ごごごおお・・・お・・・お・・・

「やめて!王様。もういい!」

 少女が必死の思いで制する。しかし、それが耳に届かないほど、王様は怒り狂っている。胃液が尽きかけているのか、炎が細くなりはじめた。それでも、やめようとしない。相当な遺恨の相手らしい。自分が痛めつけられたか、少女が傷つけられたか・・・おそらくは両方だろう。

「やめてっ!あなたが死んじゃうっ・・・」

 そのときだ。ドラゴンの後方に停められたバギーの動力部が、バリバリとうなりはじめた。いったいどんな術を使ったのか?ネロスがそこにいる。バギーの発動装置から伸びるハンドルをグルグルと回し、点火に成功したようだ。

 ブルンッ!

 スロットルが吹かされた。ドラゴンは振り向いたが、炎はゲップのような残りかすが出ただけだった。これと呼応するように、ネロスが捨てぜりふを吐く。

「覚えておけ!」

 ブババババ・・・

 巨大な土ぼこりの中を、バギーは遠ざかっていく。

「ま、まてっ・・・!」

 一歩踏み出したが、すぐにあきらめた。追っても無駄だ。あの新開発の乗り物は、快足の野獣たちをチギるほどの速度で、千里も駆けることができる。前時代の技術を応用し、都で盛んにつくられているものだ。

 バサッ・・・

 ドラゴンが羽ばたこうとしている。

「もういい、王様・・・」

 少女に制され、王様ドラゴンはひろげた翼をたたんだ。肩で息をし、見た目にそれとわかるほど消耗している。火炎を吐きすぎたのだ。やがてネロスの後ろ姿は、土煙とともに反対側の斜面を駆け上り、稜線の向こうへと消えていった。

 白茶けたような静寂がおとずれた。残り火がゴブゴブの倒木を焼いている。草地に火が移り、チリチリと延焼していく。はやく消す必要がある。畑を焼失しかねない。と、そこで信じられないことが起きた。王様ドラゴンが火の上に、やつれ果てた身を横たえたのだ。さらに、背中で地面をこすりはじめた。火災を食い止めようというのだろうか。燃えひろがりそうだった火が、見る見るうちに消えていく。完全に鎮火させると、王様は立ち上がって身震いし、ウロコについた熾きを飛ばした。

「・・・なんて律儀なやつだ。自分が起こした火事を、ちゃんと自分で消したぜ」

「そう。ドラゴンの習性よ。世界を壊してはならないと、本能で理解しているの」

 ドラゴンのウロコは燃えない、と聞いたことはある。しかし、危険を侵して、こんなことまでするとは。かつて火が世界を焼き尽くしたことを知っているかのようだ。彼らは本当に、尊敬していい生き物なのだ。

 少女は、荒れ地に残された自分の剣を拾い上げ、柄についた血をぬぐった。

「・・・ジュビーというのか、きみの名前」

「そう・・・」

「柄に彫り込まれたイニシャルとは違ってるな・・・」

 ジュビーは無言で、くの字剣を背中のサヤに戻した。名剣とおぼしきに対して、入れものは粗末な手づくりだ。それにしても、ヘンテコな形がよくぴたりとおさまるものだ。

「おのれ・・・ネロスはすぐに仲間を連れて戻ってきおるぞ」

 じいさんが・・・おっと、父親が言った。因縁の相手に、秘密の花園の場所をついに握られてしまった、というところか。ジュビーも、不覚を恥じている。大空をゆく王様の後をつけられたのだ。ネロスは、ドラゴンの死体とオレたちをいちはやく見つけ、一晩中も遠くから見張っていたにちがいない。そして、チャンスを待っていたのだ。執念深く、ずる賢い。そして腕が立つ。腹立たしいやつだ。

「あっ!卵・・・」

 気づき、ジュビーが駆けだした。ネロスが、ドラゴンを埋めた場所から追ってきたのだとしたら、卵の存在を知らないわけがない。少女の後を追い、オレもあばら屋に走る。

「・・・っ!」

 立ち止まったジュビーが、呆然と肩を落とした。卵を置いたはずの場所には、バギーの轍が引かれている。

「・・・これが目的だったのか」

 ドラゴンの卵は失われていた。

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