第25話 かーごめ、かごめ、かーごのなーかのとーりーは?
遠くで聞こえた、玄関扉の開閉音。
翔は頭から被っていた布団から顔を少し出し、玄関を確認する。どうやらあの老人は帰ったようだと、安堵の溜息を吐いた。
昨日から、あの江藤宗次郎とかいう、かなりの高齢のはずなのにそれがなんとなく腑に落ちない、よく分からない人物が、玄関から伸びる廊下の所にまでやってきては、これまたよく分からない話をして帰るということが続いていた。
その対抗策として翔が用いたのが、布団での籠城、完全黙秘作戦。
子ども染みたことであるとは翔自身も理解している。だが、外から引っ張り出そうとする力がかかればかかるほど、彼の身体は頑なになっていくのだ。
こんな状況は翔だって望んでいない。だが、仕方がなかった。
玄関の扉に触れるだけで全身に悪寒と震えが生じる。ベッド横のカーテンを開くだけで吐き気と眩暈に襲われる。
誰かの笑い声が聞こえるだけで、あの時の光景に目の前が覆われ、発狂して意識が断絶する。
この地獄から一刻も早く抜け出さないといけないことは理解している。もう一度立ち上がらなければならないことは分かっている。でも――
いっそここが正真正銘の牢獄ならば、どれだけ楽だったか。
あれだけのことをして、どうして自分が刑務所に入れられていないのか。それはひとえに、あの二人の自己満足に付き合わされたせいだ。断じて許すわけにはいかない。が、そんな怒りも、たちまちのうちにどこかへ失せる。
ふと、翔は床に放りっぱなしになっていたスマホが揺れていることに気付いた。ちょうど表になっていて、画面が見える。表示されているのは、知らない番号だった。
知り合いであれば、絶対に出ない。知り合いでなくても、どうせ出る意味なんかない。
だから、振動が止むまで翔は待ち続ける。視線は離せない。動悸も酷い。目を瞑って耳も塞げば解放されるはず。だけど、身体中の関節が錆び付いたみたいに動いてくれない。
程なくして、スマホが大人しくなる。画面の明かりも消え、ようやく安寧の時かとリラックスしかけて、再び画面が点灯した。
身体が再度硬直する。何やらメッセージが届いたらしく、その画面にはとある文章が表示されていた。
――この世の全ての苦痛から解放されたくはない?
一目見て、なんだどこぞの宗教への勧誘メールかと、翔はベッドに全身を投げ出した。
目を瞑る。何もしていないのに、疲労感だけはひとしおであることが、翔には酷く滑稽に思えた。
にしても、やはり身体が汗で気持ち悪い。このまま眠るというのも抵抗があって、一度シャワーを浴びようと、なんとか身体を起こす。
「ぐ……!」
――くそいてぇな、畜生……!
あの狂人、もとい一颯に折られた肋骨はまだ完治していなかった。医者の話では、まだ後二、三週間程度は安静にする必要があるとのこと。
風呂場の手前まで行くと、独立洗面台のところにずらりと並ぶ、化粧水や乳液、ワックスなど。ここまで数を揃えているのは、少なくとも同年代の男にはなかなかいないだろう。
鏡を見ないよう視線を落としたまま、服を脱ぎ捨て、コルセットを外して、風呂場の扉を開ける。だが、中にも鏡があって、その位置関係から、必然的に目に入ってしまった。
かつての輝きを失った、翔の肢体。肌は荒れ果て、肉が落ちて、今にもメリハリが失われようとしている。
努力の結晶、鍍金が剥がれ落ちることの、なんとあっけないことか。
翔は鼻で笑い、蛇口を捻る。シャワーノズルから勢いよく冷水が噴出した。
数日後、翔は学校を退学することになる。
あの頃、新たな人生を歩み出していた翔。そんな彼の中にあった仄かな恋心は、瞬きの間に見た夢と同様に、その残滓すら跡形もなく消滅していた。
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