TR-13 - Dead Flowers

 小高い丘に佇む教会の裏手に車を駐めると、濃いグレーや紺、黒のコートを着こんだ一行は寒空の下、広い墓地に挟まれた舗道を歩き始めた。


 前回、ここを訪れたときは青々と茂っていた芝も、今はすっかり枯色に変わっていた。あおぐろいインクを滲ませた空と融け合った彩度の低い風景のなか、ロニーの手にしている花束の色だけが眩しいほど活きている。雪こそ降ってはいないが、吐く息が眼の前にヴェールを作る冷たい空気に、ユーリは着ているコートの襟を立て、前を合わせてそのまま握りしめた。

 規則正しく並ぶ墓石の周りはところどころ荒れていた。手向けられてからどれだけ経っているのかわからない、触れればさらさらと土に還るだろうすっかり枯れ朽ちた花を見かけた程度で、他には見えなかった。命日でもない限り、こんな寒いなかをわざわざ墓参りに来る者など、ほとんどいないのだろう。チェコの国民はおよそ半数が無神論者だということもあるし、墓がある場合でも皆が皆、定期的に墓参するとは限らないのかもしれない。

 ロニーとユーリたち六人は早世した仲間の眠っている場所を目指し、記憶にあるブロックを曲がり、奥へと進んだ。



 『René Kletzkiルネ・クレツキ

  ―― Navždy v na永遠に私たちšich srdcíchの心の中に

  21. Února 19861986年2月21日4. Září 20082008年9月4日



 点々と並ぶ他の墓石と比べるととても綺麗で、磨いたりする必要もまったくなさそうだった。が、それは単にまだ新しいからというわけではなく、よく見ると雑草が伸びたりもしていなかった。供えられた花もまだ色を残していて、この数日のうちに誰かが来ていたらしいことが窺えた。

「……おかあさまがいらしてたのね、きっと」

 ロニーはそう云うと萎れてくったりとしている花を端に寄せ、持参した花束をそこへ供えた。

 そして、一歩下がったロニーに代わって前に出たユーリが、細身の人形のようなものをポケットから取りだし、墓石の上にことりと置いた。

 つんと尖った頭の部分は黒く、肩のあたりは赤、胴は白、脚から台座部分は青で、『BRIT』という文字とユニオンジャックが描かれている。まるで日本の小芥子こけしのようなそれは、ビートルズの〈サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド〉やザ・フーの〈フェイス・ダンスィズ〉のアルバムジャケットなどを手懸けたイギリスのポップアーティスト、ピーター・ブレイクがデザインした、ブリットアワードの今年度のトロフィーだった。

「――ルネ、今日は報告に来たのよ。このあいだね、ロンドンへ招待されてみんなで行ってきたの……。ブリットアワードよ、信じられる? 賞をもらったの。『インターナショナルグループ賞』よ」

「すごかったですよ、周りに有名人がいっぱいいて……ノエル・ギャラガーとかブラーもいたんですよ!」

「リアーナの脚……いや、ダンスも最高だったぞ。すごくセクシーだった」

「ブルーノ・マーズのバンドのベースがすごくよかったんだ……話しかけたりはできなかったんだけどね」

「バックステージもすごかった。バーがあったりしてさ……楽屋のなかも、シャンパンや花束だらけだったし」

 皆が思い思いにブリットアワードでのことを報告する。すると、ユーリが膝を折ってしゃがみ、そっと墓石の『René』の文字を撫でた。

「……ばかだな、おまえ……、一緒に行けばよかったのに。大スターの仲間入りしたんだぜ? 俺たち。おまえそういうの、好きだったろ」

 ユーリの言葉に、皆は黙って目を伏せた。


 ――ルネを救えていたら。

 悪癖を断たないとバンドはクビだと脅せばよかっただろうか。殴ってでもドラッグを、せめてヘロインだけでもやめさせることができていたら。もっと早くリハビリ施設に強引に連れていくなどして、一時的にでも悪癖を断たせることができていたら――ユーリもドリューも、ロニーも。この場にいる全員が似たようなことを考え、後悔の念に駆られていた。

 だが、誰もなにも云わなかった。

 なにをどうしたって、もうルネはいない。逝った者はもう還ってはこない。


 遠くの空が明るくなる――雲の切れ間から光芒が射していた。同時に冷たい風が吹いてきて、思わずロニーが乱れた髪を押さえたとき――その背後で、なにかカサカサという音がした。

 ロニーは振り返り、足許を見た。拳より少し大きいくらいのなにかが、揺れながらきらきらと光を弾いていた。

「……なにかしら……、ドーナツ?」

 しゃがみ込んでそれを見る。するとジェシもそれに気がつき、少し屈んで覗きこんだ。

「焼き菓子……いや、パンですかね。誰かが落としたのかな」

 風を受けて転がり、今は雑草に引っ掛かるようにしてそこに留まっているのは、モールで口を閉じられた透明な袋に入った、菓子パンのようなものだった。見たところ袋もあまり汚れておらず、何日も風雨に晒された様子もない。

「きっと家族とお墓参りに来た子供が落としちゃったのね」

「どうした」

 一寸遅れてユーリもそれを見た。「なんだ、コラーチKoláčか……放っとけよ。落ちてたものはどうしようもないだろう」

 そう云ってユーリは目を細め、ぼそりと独り言のように続けた。「……コラーチか。あいつ、好きでしょっちゅう食ってたな……」

 それぞれの脳裏に、口の周りに芥子の実マークをつけながらコラーチを頬張っているルネの顔が浮かぶ。

 なんとなくしんとしてしまったその場の空気を、しまったという顔でユーリが破った。

「――さて、ブリットアワードの報告もしたし、そろそろ帰るか」

 努めて明るく云い、ユーリはトロフィーを手に取った。そして、それをまたポケットに入れようとすると――

「待って」

 と、テディがその腕をとった。

「……なんだ? どうしたテディ」

 テディは答えず、暫し黙って墓石を眺めてからその場を離れ、芝の上に転がったコラーチを拾いあげた。その様子に、ユーリが眉根を寄せる。

「おいテディ、まさか食う気じゃないだろうな」

 冗談半分にユーリはそう云ったが、テディの顔は真剣だった。テディは手にしたコラーチの袋をじっと見つめたあと、振り返って云った。

「……これ、きっとここに置かれてたんだ……。ルネのために」

 そんなことを云いだしたテディに、しかしユーリは苦笑しながら首を振った。

「確かにあいつはこれ、好きだったが、だからってなんで」


 キリスト教では墓参したときに供えるのは花とキャンドルだけで、お菓子や果物など、食べものを供える習慣はない。


「これ、まだ袋もそんなに汚れてないし、最近のだよ。コラーチも傷んでないし。きっと、ここに来てルネのために置いたんだよ」

「……おととい……」

「なんでおとといなんだ?」

 普段は口数の少ないテディがはっきりとものを云いきるとき、それにはきちんと根拠があり、しかも当たっていることが多い。テディが、実は昔から暇さえあれば古典ミステリーばかり読んでいる推理小説マニアであることを知っているルカは、名探偵よろしく導きだした結論しか云わないテディに、そこに至った根拠を尋ねた。しかし。

「わからない? ……ユーリも?」

 テディはルカの問いにも答えず、逆にそう問い返した。が、困惑気味に眉をひそめたまま、誰もなにも答えない。

「……ブリットアワードっていつだった?」

 今度はそんなことを云いだしたテディに、ユーリもルカもロニーも、皆一様に首を捻るばかりだ。

「……いつっておまえ……」

「……おとといだ。さっきからなんなんだ? おとといがどうした」

「だから、おとといって何日だっけって云ってるんだよ」

「何日って……」

 ルカが即答できずにいると、ロニーが横から答えた。

「二十一日よ。火曜日、二十一日、二月」

 それを聞くと、ユーリがああ、と声を漏らした。

「そうか……! ルネの――」

 墓石にも記されている、ブリットアワードのあったその日は、ルネの誕生日であった。

「えっ、でも……ルネの誕生日と、そのコラーチにいったいなんの関係があるっていうの?」

 まだぴんときていないロニーに、テディは云った。

「ルネの誕生日だったから、好物を持ってきてここで一緒に食べたんじゃないかなあ、って思うんだ」

「一緒に、って……うーん、でもやっぱり偶々誰かが落としたのが転がってただけかもしれないし……」

「……そうならいいと思わないでもないが、悪いが……あいつの家族はそういうタイプじゃ――」

 ロニーがまだ納得できない様子でそう云い、ユーリもそれはないと首を横に振ると、テディはコラーチの袋を閉じているモールを指さした。

「これ。コラーチをこんなふうにひとつずつラッピングするみたいに包む店なんてないよ。大抵まとめて紙袋に入れるし。これきっと、ここに持ってきた人がわざわざこうして包んで、しっかり閉じたんだよ」

 テディがなにを云いたいのかますますわからない。ロニーとユーリが首を傾げていると――

「ああ……まさか、これを持ってきたのは――」

 ドリューが、先に答えに辿り着いた。

 テディは頷き、云った。

、袋に入れてあげたんだよ……こんなことするの、オルガばあさんしかいないじゃない」

 懐かしいその名前と、頭に浮かんだ箒で追いたてられ叱られているルネの顔に、周りの景色が滲んだ。




       * * *




 乗ってきた二台の車を路肩に駐め、ロニーを除いた五人は坂道をゆっくりと歩き始めた。

 連なる建物の窓の高さに少しずつ追いつこうとするように登っていく舗道を、だらだらと歩く。やがて坂を上がりきり、大きく曲がった角に黄色い建物が見えた。カーブに沿って曲がり、幅の割には高さのない両開きの扉の前で、一行が立ち止まる。

「――いつぶりだっけ」

「なんだかずいぶん帰ってきてないような気がするが、でもよく考えると一年半ほどだ。俺はな」

「そうか。……俺らはもう四年くらい、ここには来てなかったな……」

「四年か……もう、そんなに経つのか……」



 あの動画流出事件で周囲が騒がしくなったとき、ドリューは迷惑をかけてしまうからとこの下宿を引き払いにさえ来られないまま、別のフラットで暮らし始めた。そのうちきちんとしなければと思いつつ、レコーディングや野外音楽フェス、それ以外にもあれこれと騒動があって、なんとなくタイミングを逃したままだった。



 ユーリがそっと扉を引いてみる。が、当然のことながら、扉にはしっかりと鍵がかかっていた。

「……ここの鍵、どうした?」

 ユーリが訊くと、ドリューは首を横に振った。

「ここのは返した。俺の部屋の鍵はまだ持ってるが……部屋のほうがどうなってるか」

 ドリューがそう云うのを聞いて、ユーリやテディたちはうーんと難しい顔で唸った。

「……一年半か。ふつうそれだけ放っておいたら――」

「あるものは全部棄てられちゃって、新しい人が住んでるね、きっと」

「だろうな……」

 まあ、それはしょうがないなと溜息をひとつ吐き、一行は裏手の入り口に廻ろうとした。そのとき――

「なんだい、やっと家賃を払いに来たのかい! あたしゃこの調子だとあの世から取り立てに来なきゃいけないかと思ってたよ」

「――ばあさん!」

 背後に、ラタンのバスケットを持った老婦人が腰に手を当てて立っていた。

 バンドが練習場所にしていた元ホスポダの空き店舗や、ドリューの住んでいた部屋の建物の主であるオルガだ。その口調といい、矍鑠かくしゃくとした様子といい、まったく変わっていない。

「ばあさん……長いこと顔も見せに来れずに、その……」

「顔なんかいいよ。あんたら、別にこっちが見たいと思わなくてもTVだの雑誌だの新聞だのって、そこらじゅうで見るからね。ほらどきな! 最近はね、裏手の階段よりこっちのほうが楽でここから出入りしてるんだよ。厨房まで近いのもいいしね。買ってきた材料よりできあがった料理のほうが軽いからね。ゴミだってここからのほうが出すのは楽だしね。今はね、近所のじいさんにお裾分けしてきたんだよ。まったく、あんたらが来なくなってから便利に使えるのがいなくて、こちとら大変だよ」

 久しぶりに聞くその澱み無い喋り方が懐かしくて、自然と笑みが浮かぶ。

「ほら、なにそんなとこに突っ立ってるんだい。ぐずぐずしてないでさっさと入んな」

「あ、ああ……」

 鍵を開けたオルガがそう云いながら扉を大きく開けると、懐かしい空間に眩しい光が差し込んだ。

 以前ドラムセットが置いてあった場所は、そのままぽっかりと空いたままだった。Jのかたちに伸びるカウンター、ずらりと並ぶチェアも、記憶の中とまったく変わらないままそこにあった。奥にある厨房へとオルガがいったん姿を消し、ぱちりと厨房とカウンター上の明かりが灯る。バスケットを置いて厨房を出てきたオルガはカウンター内に置いてあるスツールに腰掛け、やれやれと煙草を取りだした。

 ドリューたち五人もそれに倣い、いつもなんとなく決まっていた順に、並んで腰を下ろした。

「……俺たち、ルネの墓参りに行ってきたんだ」

 ドリューがそう云い、ユーリがあとを引き受けて続けた。

「まだ枯れてない花と、コラーチがあった。……あれ、ひょっとしてばあさんが?」

 オルガは煙草を咥え、火をつけるとふーっと白い煙を吐いた。

「……ふん。この歳になると墓場なんざ市場と診療所の次によく行くところなんだよ。もう知り合いの半分はあそこで眠ってるからね、散歩コースみたいなもんさ」

 いつもの口調でそう答えたあと、ふと遠い目をして嗄れた声が零れ落ちた。

「……ばかな子だよ、ほんとに。この老いぼれの四半分ほどの歳で逝っちまうなんて」

 寂しげに響いた声に、一同がしんとする。高い位置にある窓から差し込む光の筋に、白い煙が絡みつくように舞いあがっていくのが見えた。なんとなく目を細めてユーリがそれを見つめていると、オルガは吸っていた煙草を灰皿に置き、立ちあがって厨房へと姿を消した。

 なにやらゴトン、カチカチと物音がして、またすぐにオルガがスツールに戻る。

 その暫しの間のあと、カウンターのいちばん端に坐っているテディが尋ねた。

「ねえオルガばあさん……、いつも叱られてばかりだったけど、ばあさんはルネのこと、どう思ってたの?」

 オルガは灰皿の煙草をまた手に取った。そして、深く吸い込んだ煙をゆっくりと、大きく吐いた。僅かに険しくした表情が、一気にとおも老けたように見せる。

「……ちっとも云うことは聞かないわやるなって云ったこともやめないわ、こっちがああ云えばこう云うで、まるっきり躾のできてない小さなわっぱそのものだったろ? まるで産まれてすぐに母猫から引き離されちまった仔猫みたいだと思ってたよ」

 ユーリが顔を上げ、オルガの顔を見る。が、オルガはユーリではなく、テディをじっと見つめていた。

「……あんたも似たような雰囲気は感じたけどね。でもテディ、あんたは見てくれに似合わない芯のある子だ。あんたみたいなのをなんて云うか知ってるかい? 『きぃきぃ軋む樹は二世紀生きる』って云うんだよ。見かけは細っこくて弱そうだけれど、ふらんふらん撓ることを知ってるからしぶといのさ」

 突然そんなことを云われてテディは目を丸くし、ルカはぷっと吹きだした。

「あの子は違ったね。……弱っちいくせに、それを人に見せない子だった。あの子がやんちゃして騒ぐたんびに、なんでかとっても寂しそうに見えたのさ」

 ユーリは少し驚いたように目を見開き、そして表情を隠そうとするかのように口許に手を当て、俯いた。隣りに坐っているドリューがちらりとそれを見やり、そしてオルガに向かってこう云った。

「……ばあさん。ルネが寂しかったのかどうか、俺にはわからないが……ばあさんに叱られるのを、ルネが実は喜んでたのは知ってる。ルネはちっとも云うことをきかなかったが、それでもばあさんの小言はしっかり聴いてた。あいつはきっと、かまってほしかったんだよ」

「……愛情不足……」

 ふとルカが呟いた言葉に、またユーリが驚いたように反応した。

 オルガは黙って煙草を吹かしていたが――やがて、短くした煙草をとんとんと灰皿に押しつけて火を消し、どっこいしょと立ちあがった。

「……さ、鬱陶しい顔してこんな話しててもあの悪ガキは喜びゃしないよ。あんたら、今はあたしよりずっと金持ちになって毎日旨いもんばっかり食べてるんだろうけどね、ちょっと作りすぎちまったグラーシュがあるから、帰る前に暖まっていかないかい。減らしてくれると鍋が軽くなって助かるからね」

 云われて気がついたが、微かに厨房のほうからいい匂いが漂ってきていた。どうやらさっき一度席を立ったのは、大鍋を火にかけてきたからであったらしい。

 そういえば何度か旨いものを食わせてもらったことがあったなと思いながら、ユーリは「ありがたい。手伝うよ」と腰を上げた。その様子になんとなくほっとし、ドリューも倣って席を立つ。少し空けて坐っているジェシと、カーブしているカウンターの壁際に並んでいるルカとテディも、嬉しそうに顔を見合わせている。ユーリはその様子をちらりと見て、懐かしそうに目を細めた。なにもかも昔のままだった――ただひとつを除いては。


 厨房を覗き、レードル片手に大きな鍋の前に立つオルガを横目に、ユーリは皿を出そうと戸棚に向かい――そこにある、麻のクロスが掛けられた水切り籠にふと、気を引かれた。

 籠の下には僅かに水滴が溜まっている。少し湿り気を帯びたクロスを捲り、そこに深皿が五枚立てられているのを見て、ユーリは参ったな、と思わず背後を見やった。

 それに気づいているのかいないのか、オルガは振り向きもしないまま「冷蔵庫の中にクネドリーキが入ってるから、要るだけ出して切っとくれ」と云った。云われたとおりに冷蔵庫を開けてみると、確かにクネドリーキが茹でたときの丸のまま、六つも袋に入れられてそこにあった。

 チェコでグラーシュやスヴィチュコヴァーに添えて食べられるのが一般的な茹でパンであるクネドリーキは、オーブンで焼かれるパンと違って水分が多く、あまり日持ちしない。冷凍保存はできるが、冷蔵庫にあったということはこれは昨日か一昨日おとといくらいに茹でたものだろう。つい最近洗い直したばかりらしい皿といい、自分たちがここに来ると思って用意してくれていたのだと察し、ユーリはまったく参った、降参だとあらためて思い、笑みを溢しつつ首を振った。

 皿を並べ、糸を巻いて切ったクネドリーキを盛りつけていると、そこへルカがひょっこりと顔を出した。「なんだ、どうした」とユーリは顔を上げたが、ルカは「うん、えっと……」と、オルガのほうを見た。

「ねえ、オルガさん。ごちそうしてくれるのはとっても嬉しいんだけど……実はもうひとり、車で待ってるのがいるんだ。呼んできてもいいかな」

 ルカがそう云うのを聞いて、ユーリは「あっ」と、めずらしく抜けた声を漏らした。





「どうも、はじめまして。私、この子たちのマネジメントを任せていただいてます、ヴェロニカ・マルティーニと申しま――」

 店舗の奥のほう、カウンターテーブルの途切れる位置に立って、厨房から顔を出したオルガに向かい、ロニーはビジネス用の貌できびきびとそう云った。だがその言葉は、途中ですっぱりと遮られた。

「なんとまあ、この子らを喰いものにしてボロ儲けしてるのが、こんな小娘だとはねえ。あんたそんな若いのに、可愛い顔してやり手だね。それでいったいどのくらい儲けてるんだい、もうビルのひとつやふたつは建てたのかい? あれだけしょっちゅうTVやら雑誌やらを賑わしてるんだから、そりゃ相当なもんだろね。最近じゃあどこへ行ってもこの子たちの曲ばっかりかかってるからね。ありゃあ使われたら使われただけあんたんとこに金が入ってくるんだろう? あんた、自分だけおいしい思いしてないで、ちゃんとこの子らにも儲けを分けてやっておくれよ? なんだい、この子たちのこのひょろっとした躰つきは。あたしんとこにいたときからちーっとも変わってないじゃないか、もっと旨いもんがしっかり食えるようにしてやっとくれ。ああ、金だけぽっと与えて放っといちゃいけないよ、偶に食ったってどうせハンバーガーたらなんたら、ろくでもないもんばっかり食うに決まってるんだからね。それに、こンの悪ガキ共はちょっと目ぇ離すとろくなことしでかしゃしないんだ――」

 ロニーはオルガのマシンガントークの初洗礼にぽかんと口を開けたまま、呆気にとられている。その様子を周囲で見守りながら、バンドの面々は必死で笑いを堪えていた。

 云いたい放題の言葉を聞き、さすがにちょっとむっとしたのかロニーが腰に手を当て、眉を上げなにか云いたげに首を傾げたそのとき――

「――本当に、頼んだよ。あたしゃそういう業界のことはさっぱりわからないけどね、あんた、その世界じゃこの子たちの親なんだ。ちゃんとしっかり面倒みてやっておくれ」

 それが、この老婦人が本当に云いたかったことなのだと察したロニーは、腰に当てていた手を下ろし、微笑んで頷いた。

「ええ、もちろんです。この子たちのことは私が責任を持って、しっかりと面倒をみます。ご安心ください」

 きっぱりと云ったロニーに、オルガはふんと鼻を鳴らし、くるりと背を向けた。

「ほらユーリ! とっととグラーシュ出しな。まったく、せっかく温めたってのに待ってるあいだに冷めちまったよ。さ、あんたもとっとと坐んな――」

 そう云って、オルガが厨房に戻る。その様子を眺めていた面々がくすりと笑う。

 程無くユーリとドリューが盛りつけて出した、クネドリーキが添えられたグラーシュに、皆が舌鼓を鳴らした。躰の芯から暖まる。

「どうだい、旨いかい」

「ええ、とっても美味しいわ」

「うん、相変わらず旨い」

 それぞれが思い思いにそう答え、オルガが満足そうな顔をする。それを見て、ユーリがふっと笑みを溢したそのとき――


 ――めっちゃ旨ぇ。


 ふと、そんな声が聞こえたような気がした。









"𝖳𝖧𝖤 𝖣𝖤𝖵𝖨𝖫 [𝖤𝗑𝗍𝗋𝖺 𝖾𝖽𝗂𝗍𝗂𝗈𝗇]"

◎𝖡𝖮𝖭𝖴𝖲 𝖣𝖨𝖲𝖢/ 𝖳𝖱-𝟣𝟥 - 𝖣𝖾𝖺𝖽 𝖥𝗅𝗈𝗐𝖾𝗋𝗌

© 𝟤𝟢𝟤𝟣 𝖪𝖠𝖱𝖠𝖲𝖴𝖬𝖠 𝖢𝗁𝗂𝗓𝗎𝗋𝗎

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