第10話 さなぶり飯

 集められた苗は、大きく育つように別の田んぼに植え替えられる。横一列に並び、次々と苗を植えていくのは主に女衆の仕事だ。その際まっすぐ植えられるように、あらかじめ目印をつけるのが男衆の仕事と決まっているようだった。


『転げよ定規、ころころと。導(しるべ)をつけろ母(かか)どもに。ウロウロ迷わずおらさとこ来い。オオカミ様いるこの村に』


 男衆が唄うと、木でできた六角形の枠組みが土の上をころころと転がり、田んぼに一定の印がついていく。どうやらそこを目安に手で植えていくようだった。


『苗を植えましょこの村に。ふらつく暇などありませぬ。盛りが過ぎぬ内が華。

 腰の痛さもなんのその、育つ我が子の可愛いさ見れば気にもなりゃせぬ。まっすぐまっすぐ健やかに、黄昏に輝くその姿、勇ましき姿を見せとくれ。

 オオカミ様よ見てとくれ、痛みに負けず働く姿。男にゃわからんこの痛み、わかれと言わんが、せめて向き合え最後まで』

 

 田植えは進む、唄を掛け合うようにして。特に女衆の田植えは、当然一度唄うくらいの時間では終わりはしない。だから途中歌詞を変えたりするものもいながら、何度も繰り返し繰り返し歌いながら田植えを進めていくのだった。


 その間アユムたち子どもも女衆と一緒に田植え唄を歌い続けた。聞き慣れた声がすると思って見れば、それはやはりリンの声。リンの声は遠く、どこまでも綺麗に響いていた。


 また子どもたちには雑、事を言いつけられて駆けまわるほかにも仕事があった。その主たるものが、田んぼの畔を走り回りながら苗を配ることだった。

 田んぼは1辺が10mのところが多く、特に中央にはただ投げるだけだと風を受けて届かないことも多い。アユムは遊びに使った風の魔法を思い出し、何度か失敗を重ねながらも、必死に苗を飛ばし続けた。




「それじゃそろそろ休憩にするべ」


 その声を合図に、そこここで歓声が上がる。田んぼから上がり、腰に手を当てめいっぱい背を反らす人。お互いの健闘を称えあうその口からは気持ちよい吐息が漏れ、その顔は満足げに輝いている。


 やっと休憩だ。畔にへなへなと座り込んだアユムは、何となく、そんな姿に目を奪われていた。


 あんな風に、誰かと一緒に働いて、誰かと一緒に称えあう。そんな姿が何故か無性に眩しく見えたのだ。


「そんなところでぼさっと立ってないで、アユムもこっちへおいで」


 マリの声にはっと我を取り戻す。気づけばいつのまにか開けた場所には人が集まり談笑している。そこにはいつの間にかちゃっかりレイの姿もあった。思わずアユムは笑顔になって、その輪の中に駆け寄った。




 輪の中心にはたくさんの食べ物。どうやら皆が銘々の得意料理を持ち寄ったもののようだ。それでも被ったものはほとんどない。


「やっぱりフキばあちゃんの豆むすびには敵わないわ~」


 その中でも誰もがまず真っ先に手を伸ばすのが、フキの葉に包まれた豆むすびだった。フキの葉を開くと葉の香りがふわりと広がる。緑の清々しい香りだ。新鮮な葉に熱々のご飯を乗せて包んだのだろう、葉の内側が黒く変色している。つやつやとしたおむすびは少しきつめに塩が効いており、頬張るとフキの香りと豆の甘みが口いっぱいに広がって、何とも言えない美味しさだった。


 ほかにも干した大根などの野菜や、巻貝や魚、山菜などの料理が所狭しと並んでいる。初めは「こんなもの誰にでも作れる」と言っていた母ちゃんたちだったが、口に入れて満面の笑顔を浮かべるアユムを見ると嬉しそうに、どうつくったのかを教えてくれるのだった。

 もちろん中にはちょっと味が濃すぎるものなどあったのだけど。だけどそれはその家の父ちゃんが嬉しそうにぱくぱくと食べていて、どうやらそれが家庭の味らしかった。


 同じ料理など一つもなくてついつい目移りして手を伸ばせば、「これも食べて」と皿が飛ぶ。断り切れないアユムはお腹が裂けそうになるほど沢山食べてしまい、「馬鹿だな」とレイに笑われながら背中をさすられるのだった。

 



 腹が膨れれば次に膨らむのは会話のようで、火が付いた母ちゃんたちの話は中々どうして止まらない。今日の天気や先程の田植えの話など、話はあちこちに飛び交った。


「今年もリンの声はよく響くね」


 そんな中、あるとき誰かがそんなことを言うと、次々に賛同の声が上がった。皆の視線を追えば、そこには居たたまれないように下を向くリンがいた。恥ずかしいのか耳まで真っ赤だ。それからはその場の主役は一気にリンへと傾いた。


「そうそう、どこにいても聞こえてきて、思わず手が止まっちゃうんだから困ったもんさ」


「手じゃなく口が動くのはあんたのいつものことさ」と野次が飛べば弾けたように皆が笑う。


「こんだけうまいんだから、リンの声をオオカミ様も喜んで聞いているだろうねぇ。きっと今年も豊作は間違いなしさ。リンはきっといいお嫁さんになれるさ」


「ねぇお前もそう思うだろ?」マリが不意にレイへと話を振った。するとそれまで下を向いていたリンが、びくりと体を震わせ、おずおずと顔を上げる。だがにやにやと笑うマリに対し、レイは「別に、知らねえよ」とそっけなく言うとそっぽを向いてしまうばかり。「なんて愛想がないんだろうね、そんなんじゃモテないよお前」マリはちらりとリンの方へと目を遣り肩をすくめると、「ねぇ」と母ちゃん同士でアイコンタクトをとり苦笑いをしていた。


 会話はすぐに別の話に流れてしまう。それきりしょんぼりと肩を落としたリンの顔が上げられることはなく、すぐに次の田植えが始まるのだった。

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