加神和美

 空蒼病院の分娩室で女性が苦しそうな声を上げていた。女性は分娩台の上で足を広げ、何度も呼吸を繰り返している。股の間からはわずかに赤ちゃんの頭が見えていた。

 助産師は女性の股の間に手を入れて赤ちゃんを取り上げたが、その表情は強張っている。女性も強張った表情で赤ちゃんを凝視していた。

 赤ちゃんの横腹からは小さな上半身が生え、下半身を共有していた。いわゆるシャム双生児だった。しかし、助産師たちの表情が強張っている理由はそれではなかった。赤ちゃんには。まるでのっぺらぼうのように顔の表面がツルツルしている。

 助産師たちは訳が分からず固まっていると、赤ちゃんの顔に文字が浮かんだ。それは『炎』という文字だった。赤ちゃんの顔から炎が吹き出し、助産師の体が燃え始めた。

 さらに横腹から生えた赤ちゃんの顔にも文字が浮かぶ。『風』という文字だった。赤ちゃんの顔から風が吹き荒れ、炎の勢いが増し、瞬く間に燃え広がる。あっという間に分娩室は火の海になった。

 助産師は熱さに耐えきれず、赤ちゃんを分娩台に放り投げると、床を転げまわった。しかし、すぐに活動を停止した。全身の皮膚が焼け爛れ、見るも無残な姿になっていた。周りの看護師の体にも火が燃え移り、室内を動き回った後、活動を停止した。

 女性はあまりの恐怖に失禁していた。化け物を見るような目で自身の赤ちゃんを凝視している。赤ちゃんの顔に『溶』の文字が浮かんだかと思うと、溶解液が放出された。溶解液は美しい弧を描き、女性の顔面にかかった。顔がドロドロに溶け始め、液状化した皮膚が分娩台に垂れ流れていく。溶解液は皮膚の下の筋肉まで溶かし、やがて頭部は完全に溶けた。

 赤ちゃんは分娩台から飛び降りると、顔に『水』の文字を浮かび上がらせた。勢いよく水が放出され、周りを囲む火を鎮火する。道を確保した赤ちゃんは扉に向かって歩き出した。


 ☆☆


 髪をたなびかせる黒髪の女性――加神和美かがみかずみは閉鎖中の研究所にいた。まったく手が付けられていないのか、瓦礫は散乱したままだった。壁の至る所にヒビが入っている。

 加神が研究所に来たのは『幼児保持者ベイビーホルダー』との関連性について調べるためだ。数年前に研究所が爆発事故を起こしてから、現れ始めた点が気になっているのだ。『幼児保持者ベイビーホルダー』と爆発事故には何らかの関りがあると見ている。

 加神は手がかりを探そうと研究室内を見回した。奥に散乱している瓦礫の下に紙らしきものが見えた。近づいてみると、紙の他にプラスティックらしき破片も混じっている。奥に研究報告書を保管する棚を置いていたのだろう。

 加神は瓦礫をかき分けると、紙を手に取った。紙には何か書いているが、千切れていて分からなかった。瓦礫の中から紙片をかき集めると、一つにした。紙には『空蒼山のガスについての報告書』と書かれていた。ガスについて研究していたとは知らなかった。

 続きを読んでいくと、『空蒼山のガスには動植物の――させる効果があることが分かった。ただし、ある――の動植物に限られる。しかし、この研究が進めば皮膚病を失くすことも可能になるかもしれない』と書かれているが、肝心の部分は黒く塗りつぶされている。研究成果を盗まれないように、黒く塗りつぶしたのかもしれない。

 数年前の爆発事故は空蒼山のガスが原因なのだろうか? もしそうなら町にガスは流れたはずだ。だが、体には何の異常も見られなかった。『幼児保持者ベイビーホルダー』が生まれた原因がガスだと仮定した場合、なぜ大人は能力が発現しなかったのだろうか? 加神は『幼児保持者ベイビーホルダー』の血液を注入して能力を得たに過ぎない。それに『幼児保持者ベイビーホルダー』が現れ始めた時にはガスは消え失せている。ガスが原因だとしても、如何にして赤ちゃんに能力を発現させたかが分からない。

 加神は何かしら関連性があると確信していたが、考え込んでいると、レーダーが反応した。携帯端末型のレーダーを確認すると、隣の空蒼病院に出現したようだった。しかも二つの反応がある。赤い丸が重なっているのはなぜだろうか? 

 加神は紙をポケットに入れると、空蒼病院へと急いだ。


 ☆☆


 空蒼病院の中に入ると、奥の廊下から赤ちゃんが歩いてくるのが見えた。赤ちゃんには顔がなく、体が結合している。シャム双生児だった。

 赤ちゃんは加神の存在に気付くと、顔に『水』の文字を浮かび上がらせた。顔から水が放出され、勢いよく向かってくる。加神は目にも止まらぬ速さで左に移動して水を避けると、寸分の狂いもなく元の位置に戻った。背後から入口のガラスが割れる音が聞こえた。

 加神の能力は『神避考帰ペーパープレーン』。攻撃が放たれると、目にも止まらぬ速さで自動的に避け、元の位置に戻る能力だ。避けるだけの能力であり、攻撃はできない。

 赤ちゃんはまたもや顔に『水』の文字を浮かび上がらせると、床に向かって水を放った。床は一瞬にして水浸しになった。横腹から生えた赤ちゃんの顔には『雷』の文字が浮かび、水を目掛けて雷を放った。

 加神は身の危険を感じたが、予想に反して感電はしなかった。赤ちゃんも顔はないが、不思議そうにしている。感電しなかった理由に加神は気付いた。赤ちゃんが放ったのは純水だったのだ。それ故に感電しなかった。雷を通すのは水に含まれる不純物であり、純水は雷を通さない。

 加神は深呼吸すると、赤ちゃんに向かって駆けだした。赤ちゃんは顔に『炎』の文字を浮かばせ、炎を放った。続けざまに横腹から生えた赤ちゃんが『風』の文字を浮かべた。風が放たれ、炎と融合し、凄まじい勢いで燃える。

 炎を避けて元の位置に戻ると、再び駆けだした。すぐに放たれた雷を避けて元の位置に戻ると、目前に炎が迫っていた。避けきれずに炎を顔面に喰らってしまう。皮膚が燃える音が聞こえた。この能力の弱点は元の位置に戻ったタイミングで攻撃されると避けれないことだ。

 加神は転がり、床に溜まった水で炎を消した。勢いに任せて立ち上がると、赤ちゃんに向かって飛び掛かった。腕を赤ちゃんの首に回すと、力任せにへし折った。

 赤ちゃんが死んだことを確認すると、政府に電話をかけ、任務完了を告げた。赤ちゃんを抱えると、散らばったガラスを避けながら、病院を出た。


 ――ちゃんと供養するからね。

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