第12話 朱

走る、走る、走る。まだ確信となる証拠は見つけられなかったが、それでもウィルは自身の勘を信じ家を飛び出した。村人達が何事かと目を向けるのにも構うことなく走り続けたウィルは、数十分程で領主の屋敷に辿り着いた。


ドアが開け放たれた屋敷の中はガランとしていて、そこから無駄にフリルの付いたワンピースを着たアムとエーアガイツが出てくる。


「アムッ!!」

「ッ、ウィル!?」


アムは驚き固まり、エーアガイツは嫌なものでも見たかのように顔を顰める。そんな二人の様子に構うことなく、ウィルは辺りを見回した。しかし目的の人物は見当たらず、アムに詰め寄った。


「アムッ、あいつは、あのはどこにいったっ!?」

「え、あ、マレのこと?さ、さあ?そういえば今朝から姿が見えなくて……もしかして先に出たのかも」


ウィルはアムの言葉を最後まで聞かず再び走り出した。こういう時馬がないのがもどかしい。いくら身体能力が高いとは言っても馬に追いつけるわけがない。

それでもウィルは走り続けた。証拠はない。確信もない。あの従者が怪しいと思う理由は“勘”とかいうなんとも頼りないもの。


(でも、何でか知らないけど、あの従者はこの事件に関わってる気がする)


どちらにしろもう時間は残されていなかった。嫁入りが決まればウィルに打てる手は最終手段、武力に頼るしかなくなる。さすがにそれをすればウィルは犯罪者確定、家族や村人にも、なによりアムに迷惑がかかる為したくなかった。


だから実質これが最後のチャンス。ウィルは必死に手と足を動かし街道をひた走る。と、そこへ背後から馬の足音が近づいてきた。徐々に大きくなる足音はいつの間にか横に並び、見ると青と銀の鎧に身を包んだハルスが馬で並走していた。


「乗れっ」


ウィルは差し出された手を掴み、ハルスの後ろに跳び乗る。それを確認したハルスは更にスピードを上げた。


「どっ、どっ、どっ、どうしてここにっ?」

「イヴが知らせてくれた」

「イ、イヴェイルが?」

「あぁ。実は君のことはずっと見張らせてもらっていた。今日の見張り番はイヴだったが、君が家を飛び出したのを見てオレに連絡を寄越した」


ハルスはイヴェイルから連絡を受け、すぐに馬でエーアガイツ達の元へ向かったがすでにそこにウィルの姿はなく、従者を追って走っていったというのでここまで来たのだという。


「ごめんっ、すぐに連絡すれば」

「構わんさ。それより君の考えではその従者が怪しいんだな?」

「うん、でも証拠がなくて」

「ふむ。ならば直接本人に訊いてみるまでだ」


馬のスピードが落ちる。前には荷馬車を引いた従者がいた。


「止まれっ!オレは王国第二騎士団長のハルス・ロットだっ!お前に話がある!」


ハルスの呼びかけに荷馬車がゆっくりと停まり、従者が御者台から降りてくる。馬をその従者の前まで移動させたハルスはその従者の顔を見てなぜか胸がざわついた。


「何か」

「訊きたいことがある。お前はエーアガイツ・フィゲロアに仕える従者だな」

「えぇ、そうですよ」

「いつから仕えてるの」


ハルスの後ろから顔を出したウィルがそう問うと、従者は能面の様だった顔を歪めた。その視線はじぃっとウィルに注がれ、射殺さんばかりである。ウィルはなぜそんな目で見られなければいけないのか分からず、しかし怯むわけにもいかない為ぐっと歯を食いしばって睨み返した。


「半年ほど前からです」

「なるほど。ところで君、オレは君の顔をどこかで見たことがある気がするんだが……あぁ、そうだ。確かヴァスティーゼとの街道に続く山道で見たんだった」

「はぁ、そうですか」

「あぁ、そうだ。間違いない。オレは確かに君ともう一人一緒にいた男がコルト山の方に向かって歩くのを見た。当然知ってると思うがコルト山は立ち入り禁止区域だ。残念だがオレは君を捕まえねばならん」


ハルスは冷たい目で従者を見下ろす。対する従者は馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。


「そんなわけないでしょう。第一、あの時は山崩れで道が」

「……道が、どうした」

「あ、いや」

「どうしたんだ?」


ハルスの馬が一歩、前に踏み出す。従者の男はそれまでの態度から一変、しどろもどろになりながら視線をうろうろと彷徨わせ始めた。あの程度の引っかけにかかるとはあまり頭がよくないなぁと、成り行きを見守っていたウィルも従者の男に呆れるしかない。

半年前と言えば金の採掘時期だ。その時期は誰であろうと村から出ることは出来ない。なのになぜ山崩れで道が塞がっていたことを知っているのか。答えは一つだ。


「やはり、オレが見たのは君だな」


ハルスは馬から降りると従者の手を縄で拘束した。


「君には他にも訊きたいことがたくさんある。エーアガイツ・フィゲロアと共に王都まで来て」

「――フフフフフ」


瞬間、ハルスは騎乗にあったウィルの服を掴んで後方へ跳ねとんだ。何が起きたのか理解できなかったウィルは強かに腰を打ち、痛みに呻く。


「~~~ったぁぁ!何すんのいきなりっ!?」

「構えろっ」


恨み言をぶつけてやろうと上げた顔。しかしウィルの目に飛び込んできたのは今まさに左腕を捥がれたハルスの姿だった。


「ハルスッッ!!」

「っぐぅ」


焼けるような痛みに呻きながら、それでもハルスはこの程度で済んでよかったと安堵した。


(腕一本あればウィルを逃がすまでは戦えるっ)


へたり込むウィルの目は溶けそうになるほど潤んで、顔は青を通り越して真っ白になっていた。そんなウィルにハルスは笑みを送る。


「振り返るな。村へ戻って、イヴ達を呼んできてくれ。なぁに、オレは大丈夫だ。これでも王国の騎士団長だからな」

「ぁ、ぁぅ、ぁぁぁ」


誰が見ても大丈夫などではなかった。ウィルにも当然それは分かっていた。同時に自分がここにいても足手まといにしかならないことも、理解していた。


「君は良い子だ。手を貸してくれて、ありがとう。――――行けッッ!!!!」


弾かれるようにその場を離れる。溜まった涙がバタバタと落ちて地面に染みを作る。


(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!私、弱くて、ごめんなさいっっ)


村へと走り去ったウィルをは追わなかった。その理由は至極単純で、ここだろうが村だろうがソイツ――マレという魔物にとって射程圏内であることに変わりがないからである。


マレにとって今回の仕事は簡単なものだった。馬鹿な領主は操りやすく、労なく金をヴァスティーゼに送ることが出来た。後は事故にでも見せかけて馬鹿とその娘を始末してしまえば終わるはずだったというのに、少し前から騎士団が村の周囲を探り始めた。更にあの小娘、ウィリディス・ゲールの存在も邪魔だった。


(母親のように大人しくしていれば放っておいたものを)


あの夜殺そうとしたが騎士団の邪魔が入り、ならばとわざわざフェンリルを起こしてけしかけたというのにしぶとく生き残ったウィル。そればかりか騎士団と共に事件のことを探り始めた時はもう一度襲撃してやろうかと何度も思った。それでも今後のことを考えればあまり派手な動きは出来ず、マレはこのまま村を去るつもりだった。だったというのに――。


「全てお前達が悪い。藪を突かば噛まれることもなかっただろうになぁ」

「悪いが藪を突くのが仕事なんでな」

「ハッハッハ、そうか。ならば死ね」


マレの手には剣が握られていた。それはあの夜、ウィルに振り下ろされた剣と同じものだった。しかしその速さは以前とは比べ物にならない。ハルスは自身の予測が甘いものだったことを痛感する。


(まずいな。受けきれん。こんな所で死ぬことになるとは。申し訳ありません、へい)


「やぁめぇろおおぉぉぉっっ!!」


死を、覚悟した。ハルスの目に鮮やかな赤が舞う。それは全てを焼き尽くす業火だった。


「ハルスッッ」

「……そうか。まぁ、そういうこともあるか」


力尽き、膝をついたハルスの元に駆け寄るウィル。なぜ助けを呼びに行ったはずのウィルがこの場にいるのか。それは数分ほど前に遡る。


街道を村へと走っていたウィルは砂煙を上げて近づいてくる一団と出会った。


「イヴェイル!」

「ウィルッ?……ハルスは、ハルスはどこだい!?」


それはイヴェイル達第二騎士団だった。イヴェイルはウィルと共にいるはずのハルスが見当たらないことに違和感を抱き、ウィルに詰め寄る。


「ハルスは、あの従者と戦ってる。お願いっ、ハルスを助けてっ」


ウィルの言葉を聞いてイヴェイル達第二騎士団はすぐにその場を走り去る。残されたウィルはハルスの無事を祈ることしかできない自分に苛立ち、拳を握った。


『ウィ~ル~』

「うっさい!今は黙ってろ!」


しかしそんなウィルの気持ちを知ってか知らずか緊張感の欠片もないプロクスの声が頭の中に響く。


『も~、オレに八つ当たりしないでくれる?』

「――ッ」

『ていうかさ、何でウィルは逃げたわけ?』

「……だって、私があそこにいても力になれない。邪魔になるだけでしょ」

『――――アッハハハハハハハ!本気でそう言ってんの?アハハハハハ!!』

「ッ笑うなっ!」


ウィルは姿のない自身の精霊に向かって怒鳴る。やり場のない怒りがぐるぐると腹の底で渦を巻いていた。


『ゴメンゴメン。でもさぁ、ウィルの言うことがおかしくって』

「なにが」

『だってオレとウィルに比べたら騎士団とかいう連中なんて足元にも及ばないってのに、なぜ逃げる必要が?』

「…………は?」


ウィルはいったい何を言われているのか理解できず、ぽかんと口を開けた。


『はぁ~、まったく。ウィルは何も分かってない。ウィルは精術師、しかも共生シンビオシスの精術師なんだぜ?その身体からだ、その能力が普通の人間と同じはずがないだろう』


プロクスの言葉にウィルは自身の手をまじまじと見つめた。


(私、は、強い?)


『そう、強い。オレと、ウィルがいて、倒せない敵はいない!』


気づけばウィルは駆け出していた。力の使い方も戦い方も分からないまま、ただ走る。不安はなかった。まるで熱に浮かされたように、いつの間にかイヴェイル達すら追い抜いてウィルはハルスの元へ戻って来た。

眼前には今にも止めを刺そうとする従者の男。「やめろ」と叫んだ。その瞬間、視界いっぱいに広がる赤。


(あ、きれい)


炎は全てを焼き尽くす。地も、草も、そして従者の男も。


「……そうか。まぁ、そういうこともあるか」


膝をつき、意識の朦朧としていたハルスがぽつりと呟く。脱力した体がもたれかかって来ても、ウィルは重いと思わなかった。自分より遥かに大きいはずなのに。


「ハルスッ!」


少し遅れてイヴェイル達が到着する。気絶したハルスをイヴェイルに任せ、ウィルは他の騎士団員が取り囲む肉塊と対峙した。


「まだ、生きてるでしょ」


肉塊は真っ黒に焼け焦げていたが、それでも脈打ち、ぐねぐねと蠢いていた。


『い、いぃいいぃ、ぃたぁぁあぁぃいいい』

「ひっ」

「気味が悪い。魔物の一種か?」


肉塊に口はない。だというのに『いたいいたい』と呻く声は確かにそれから聞こえていて。醜悪で気味の悪い肉塊を誰もが今すぐ葬るべきだと思っていたが、しかし体が動かない。ウィルもこの得体のしれない何かに対して言いしれない恐怖のようなものを感じ、動けなかった。


すると肉塊の動きが急に止まり、そこから四本の馬の足が飛び出した。それは優に二メートルを超え、残りの肉塊が徐々に変形して最終的には巨大な漆黒の馬になった。


「う、ま?」

「――は、ははは、ははははは!何になるかと思えば馬か!」

「ははははは、馬になってどうするってんだ?」

「おい、お前ら、こんな馬さっさと」

「――まずい」

「ありゅん」


ぐちゃぐちゃと咀嚼され、飲みこまれたもの。それは騎士団の男の顔半分だった。糸が切れたようにどちゃりと崩れ落ちた男の脳や血は状況を飲みこめない他の団員の鎧に跳ねとび、コロコロと転がった眼球は馬の蹄で潰された。


「――――ぁ、ぁぁ、うわああああああああああああああ」

「にげっ」

「やめろっぐああっ」

「ひいい、ひいい、くるなくるなくりゅりゅりゅりゅ」


一転、地獄が広がる。馬は次々と騎士団員達を喰い、千切り、踏みつぶし、噛み潰していった。唯一、ウィルを残して。


「このっ」

『ストップストップウィル!さすがに素手じゃなまずい!さっきみたいに炎で焼くだけじゃあいつを仕留めきれない!』

「じゃあどうしろってっ」


怒るウィルの目にふと飛び込んできたのは剣だった。主人に使われることもなく血に塗れた剣は、しかしまだ壊れていなかった。

ウィルの剣の腕は素人に毛が生えた程度。しかしそれに炎を纏えばどうなるだろう。


(あぁあぁクソッ!考えたって仕方ない!逃げるな私!ここまで来たら腹くくって戦うしかないだろうがっ!!)


躊躇いを振り切り、剣を拾う。血塗れの鞘を抜けば陽光を反射して輝く銀が。


『よぉし、やったれウィルーーッ!!』


意識を剣に。銀が、徐々に朱く、赤く染まっていく。そして収まりきらなくなったそれは剣の、ウィルの周りを渦を巻くように巡って――。


「お、まえ」

「くらええええええええええええっっっっ!!!!」


馬がウィルへと攻撃の手を伸ばす前に、ウィルの揮った剣の斬撃と炎が全てを吹き飛ばした。

その勢いは凄まじく、馬の体は切り刻まれ、燃え、灰となって尚燃やされ続けた。


(ウィリディスゲールウィリディスゲールウィリディスゲールウウウウウウウウアアアアアアアアアアアアアアア)


怨念も憎悪も燃やし尽くした炎はコルト山の手前で消えた。馬の姿が完全になくなったことを確認したウィルはその場に座り込み、反動で襲ってきた熱が外に漏れないように胸を押さえる。


「ウィルッ、大丈夫かい?」

「う、う、あ、だ、だいじょ、ぶ」


そうは言っても溢れる熱は収まることを知らず、今にもこの一帯を焼き尽くしそうだ。


(まずいまずいまずいどうにか、しなきゃ。どうにか、どうにか)


「ウィルッッ」


――ふわりと、温かいものに包まれた。

それがアムだと気づくのに時間はかからなかった。


「あ、む?」

「ウィル、ウィル、ウィルウゥゥ」


アムは泣いていた。昔のようにうるさくて、子どもで、泣き虫で、ウィルの知るアミークス・フィゲロアが、確かにそこにいた。


(あぁ、よかった。よか、った)


――熱は、いつの間にか消えていた。

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