第7話 町

「おおおぉ」


そんな声を上げたのはいったい誰だっただろう。

村人の中から山慣れた何人かを選出したウィルはその数人を引き連れてマキダケの群生地へとやってきた。昨日よりも更に谷の奥に向かうと、これまで見たこともない数のマキダケがそこかしこに生えていて、興奮した様子の村人達が一斉にそれらを袋に詰めていく。


案内役(兼護衛役)のウィルはその様子を眺めながら先ほどのアムとのやり取りを反芻していた。


(せめて一言ぐらいあってもいいじゃんかっ。アムのバカやろー!)

『確かにね。あの態度はいただけない』

(……はぁー、そういえばあんたがいたんだった)


独り言のつもりで心の中で叫んだ愚痴に返事をしたのはプロクスだった。


『ムカつくなら燃やしちゃう?ウィルが望むならオレは構わないよ』

「バッ」

「ん?」

「バナ、ナが食べたいなぁ」


プロクスのとんでもない発言に思わず声を上げてしまったウィルは誤魔化す為に適当なことを言う。


「バナナ?何だそれ?」

「さ、さぁ?」


しかし咄嗟に口を突いて出た言葉はまたしても自分の知らないもので、余計に苦しくなったウィルはあははと笑ってその場を離れた。


(あんたのせいで変人扱いされそうだったじゃんかっ!)

『今更でしょ』

(誰が変人だっ!)


もしもプロクスの姿がここにあったら一発殴っているところだ。ウィルは形のない精霊という存在に対して苛立ちを募らせる。対するプロクスはどこ吹く風といった様子でぺらぺらと喋り倒していた。


「とりあえず一通り採ったぞ。来年の為にも少しは残しておかないとな」

「また山崩れが起きなければいいけどね」

「そればかりは人の手じゃどうにもならないことさ」


はははは、と村人の笑い声が谷に響く。太陽は真上から少し傾いたところだったが、急げばまだ町に着ける時間だった。


「先行して商人には話を通してあるはずだから、今回はウィルが売りに行ってみるか?」


村人の意外な言葉にウィルは目を瞬いた。


「ウィルは村の外に出たことがないだろう。一度も町に行ったことがないんじゃ可哀想だからな」


その言葉に、確かに生まれてこの方村から出たことがないことにウィルは気がついた。そもそもバナーレ村は農業や畜産業がメインジョブということもあってとても広大な敷地を持つ。その為下手な町より数十倍は広い上、山々に隣接しているということもあってこれまであまり閉塞感を感じたことがなかった。しかしそう言われてみると興味も湧くというもので、ウィルは村唯一の商店を営む一家と共に町へ向かうことにした。


「はー、これが」


石畳の通路、二~三階建ての家々、建ち並ぶ店ときらびやかな品物達。何もかもがバナーレ村とは違っていて、その眩しさにウィルは口をぽかんと開けて立ち尽くすしかない。まさしくお上りさんの典型のような反応をするウィルに一家の主人は幾らかの小銭を握らせて「遊んで来たらいいよ」と告げる。


「いや大丈夫。今日は仕事で来てるんだし」


悪いと思って返そうとしたお金はしかしすぐに押し返され、少しの押し問答の末勝手に上着のポケットに突っ込まれてしまった。


「ウィルのおかげでうちらは大儲けできるんだ。これぐらい大した額じゃないさ。それにウィルはまだ子どもなんだから仕事は大人に任せて遊んできな」

「でも」

「いいからいいから。ほら」


ぐいぐいと押されて通りに出たウィルは視線をキョロキョロと彷徨わせ、どこか落ち着かない様子で辺りを物色し始める。けれどそれも最初だけで、暫くすると町の雰囲気にも慣れ余裕を持って買い物を楽しむことが出来た。


「すいません。それもいいですか」

「はいよ、ありがとね」


一通り見て回って小腹の空いたウィルは広場の噴水の側に座って先ほど買った甘酸っぱいベリーのジャムが入ったパンを食べる。広場はウィルと同じように一人者や家族連れ、恋人同士など多くの人々で賑わい、騒がしい。しかしその騒がしさに不快感はなく、ウィルは午後の僅かなひと時を楽しみ一家の元に戻った。


――帰路、すっかり日が沈んでしまって慌てるウィル達。いくら町へ続くメインストリートとは言っても、少なからず衛兵のいる町と自衛が基本の村では危険度が異なる。精術師(村人は知らない)でありズアールトから剣術を習ったウィルも、三年の間に成長したとはいえ盗賊などに襲われれば無傷ではいられない。そもそもズアールトに習った剣術は本当に基礎的なものばかりであったし、戦いという戦いをしてこなかったウィルには圧倒的に経験が足りていない。更に言えば誰かを傷つけるということ自体ウィルはあまりしたくなかった。それが動物であれ他の種族であれ、嫌だという気持ちに変わりはない。


「そろそろ村に着く。最後まで油断するな」

「うん」


ようやく景色が見慣れたものに変わった頃、前方から一つの影が近寄って来て荷馬車が急停車する。それは村へ先に戻った先行隊のうちの一人だった。


「はぁ、はぁ、ま、まずいぞ」

「いったいどうしたってんだ」

「領主が、エーアガイツの奴が王都から戻って来たんだっ!」

「はぁっ!?」


皆が一斉に声を上げる。それは当然だった。バナーレ村は国の端に位置する。対して王都は国中心から少し北寄りにあり、村から行こうとすれば馬で駆けても二日はかかる。エーアガイツが村を出たのは昨日の早朝。もし本当にエーアガイツが村に戻っているのであれば、王都へ行くのをやめて引き返してきたということになる。


しかしそれはあり得ないことだ。今回の王都行きはアムの婚約話の最終調整で、この話し合いで正式に決定するという話だった。その大切な話し合いを置いてでも戻ってくる理由。ウィルは嫌な予感がして今日の売り上げの入った袋を握りしめる。


「とりあえず村の裏から金だけでも入れよう。オレ達は奴の気を逸らせるために表から入る。なぁに、問い詰められても適当に誤魔化せるだけの口は持ってるさ」

「分かった。気を付けて」

「ウィルもな」


一家と別れたウィルは月明かりのみが照らす、道とも言えない荒れ地を突っ切って村の裏側へ回り込む。道中、なぜエーアガイツの奴が戻って来たのかその可能性を考え、そんなわけないと頭を振った。


(信じろ、信じろ。だって友達なんだから。ずっと一緒だったんだから)

『それって何年前の話』

「うるさいっ」


的確に痛い所を突かれたウィルは反射的に言い返す。プロクスの言葉はウィル自身の本音でもあった。けれどそれを認めれば何かが崩れてしまう気がした。


(信じられる。まだ、私は、信じられる)


藪をかき分け柵を乗り越え村の中へ。後数十メートルで家へ辿り着く。その僅かな気の弛み。


――初撃を、避けられたのは偶然だった。

慣れない環境で普段とは違う疲労感を抱えてここまできた。我が家の窓からもれる明かりを見て力の抜けたウィルは上げ損ねた足を柵に引っかけ、つんのめって頭が下がった。その上を僅かな差で通り過ぎた刃とその持ち主の存在に気がついたのは、一回転して背中から地面に倒れたが故だ。


「運がいい」


瞬間、ずんと体に圧し掛かったのは死だった。どうやっても死ぬのだという確信がウィルの胸中に飛来する。仰向けでそいつを見上げることしかできないウィルはどうにか体を動かそうとするもまともに力が入らず指一本すら動かせない。


「だが二度目はない。死ね」


振り上げられた剣が月光を反射して鈍く光る。


死ぬのか)


いったい私は後何度死ねばいいんだ。どうにもならないその運命を受け入れかけた、その時。


「はああああっっ!!」


空気を割るように響き渡る重低音。ウィルに向かって真っすぐ振り下ろされるはずだった剣は一本の槍を受け止めていた。


「チィッ、新手か」

「そういうことだ」


槍の持ち主はウィルの三倍はあろうかという長身で、盛り上がった筋肉がぼろきれた服の中で窮屈そうにしていた。


「さすがにか。本当に運のいいガキだ」


謎の剣士はウィルを一瞥すると暗闇の中へ消える。それを確認して、ようやくウィルは詰めていた息を吐き出した。

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