第2話:旭山動物園

 空気が張り詰めた音が聞こえたのは気のせいだろうか。真田は目を見開いたまま固まっているし、僕だって恐怖で完全に硬直してしまっている。小林も、顔こそ見えないが、緊張しているのが伝わってくる。


「早く、服部の連絡先、何でもいいから教えてよ」

「……ダメだ」

 真田はゆっくりと首を振って拒否をした。

「服部の連絡先は教えられねぇ」


 真田の行動が僕には全く理解できなかった。僕の心の中にヒヤッとするものが走る。拒否する理由ある? 僕の命のこと舐めてる?

「なんで?」

 同じことを小林も思ったようで、少し苛立ったような口調で真田に問いかけた。そしてその苛立ちは僕に直接伝わる。


 真田は返事をせずに目を泳がせていた。それは一瞬だけのことではあったが、拳銃を頭に突き付けられている僕には、やけに長く感じられた。

「小林、拳銃下ろしてくれないか?」

 僕は恐る恐る尋ねてみる。

「却下」

 冷たい声で小林が答えた。


「警察官相手に拳銃を下ろしたら、俺なんか一瞬で取り押さえられちゃうじゃないか。そんな迂闊な真似はできないよ」

 ……でしょうね。

 彼に職業を誤ってバラしたミスを僕は心の中で猛省した。教えたというより、彼の策略にハマったという方が正しいか。


「小林、お前本当に山村を撃つ気か?」

 おい真田、そんな寝言を言う前に、さっさと服部の連絡先を吐け。

「撃つ覚悟はあるよ。じゃなかったら拳銃の意味がないでしょ」

 小林は冷たく吐き捨てた。その覚悟は凶器を扱う者として非常によろしい。僕に銃を突きつけているのでなければの話だが。やめてくれ〜。銃を下ろしてくれ〜。


「真田、服部の連絡先教えてよ。早く。俺には時間がないんだ」

「教えてどうする? 服部のこと、殺すんだろ?」

 真田くん? 教えなかったら教えなかったで、僕が殺されるんですよ。


「服部を殺さなかったら、に殺されるのは俺なんだよね」

 小林の硬い声で、僕はおおよその実態を把握した。冷静で慎重なタイプの小林がなぜこのような凶行に踏み入ったのかわかった。小林は、服部を追うように命令されていたからだ。


 そりゃそうだよなぁ、と僕は妙に冷静な頭で考える。小林はいくら大事な取引でやらかされたといっても、私怨で旧友を殺そうと地の果てまで追いかけるような人間ではない。よく言えば冷静、悪く言えばドライで他人に興味がない。

 そんな小林を動かす方法は一つだ。誰かが小林の命を盾に服部の命を狙っている。


 ん? これ、僕か服部か小林のうちの誰かが確実に死ぬのでは?

 嫌な予感を、僕は首を振って心から追い払う。

 

「真田」

 小林はいつも通りのクールな調子で語りかける。

「教えたら服部が死ぬ。教えなかったら山村と俺が死ぬ。これは絶対だ。全員救えるなんて漫画のヒーローみたいな考えは捨てなよ」


 小林がもっともなことを言う。銃を突きつけられている身としては、人数だけの問題であれば服部を捨ててくれ、と思わないでもないが。しかし現実的にはそうはいかない。

「わかった? さっさと教えてくれないかな」

 黙って俯く真田に、小林の苛立ちがさらに増したのが感じられた。僕は気が気ではなかった。勢いで小林が引き金を引いたらどうしよう、ただそう思っていた。


「小林」

 僕はゆっくりと、小林を刺激させないように語りかける。小林にはなんとか銃を下させたい。小林を口説き落とせるかどうかは僕の話術次第だ。

「お前、人を殺したことないだろ?」

 つとめて平静を保っていた僕の声には、返事は全くなかった。震えているのが銃を通して伝わってくる。なぜ彼が震えているか。それは人質が反抗したのが予想外だったからだ。


「お前には僕を殺すつもりなんてない。いや、僕を殺せないはずだ。違うか?」

「…………」

「だって、僕を殺すと、警察の情報が入ってこないからな」

 一見、この場で最も優位に立っているように見える小林だが、彼自身の立場は実は危うい。小林はサル山のボスの気分だと言っていたが、あくまで小林は銃を買った客の一員・・だ。


 服部は、ロシアから拳銃を仕入れる輸入業者だ。大量に仕入れた拳銃を、ちまちまと個人客に売るというハイリスクな行動を取るわけがない。服部のような人間は、国内の拳銃ブローカーにまとめて売り、そのブローカーが更に暴力団などに売り捌く。

 つまり、小林は拳銃を買った組織ブローカーした、服部の身柄を持ってこないと殺される立場だ。しかも、彼自身が持っている情報はほとんどない。


「旭山動物園も空振り、警察の指名手配情報も空振り。今日の飲み会まで、お前は服部の情報を全く持っていなかった。焦ってたんだろ? 違うか?」

 本気で服部の居場所を探ろうとする人間が、旭山動物園になんて服部を探しに行くわけがない。よほど服部の情報が不足していたのだろう。十年前の服部の進路希望調査と、警察の指名手配情報にすがるくらいには。


 僕が服部の情報を喋り出したとき、小林は天にも昇る気持ちだっただろう。救われた、と。

 僕は、服部をよく知る人物として、東京からわざわざ北海道に派遣され警察の捜査班に加えられた人間だ。つまり、世の中に服部の動向を知っている人間はそれだけ少ないということであり、僕ですら服部の動向についてかなり詳しい方の人間だということだ。

 慎重な小林が、僕が情報源となる可能性を捨てきれるわけがない。


 まあ実際には、これ以上の情報、僕も持っていないんだけどね。

 命が惜しいから小林には隠しているけど。


 小林からすれば、情報源である(ということになっている)僕を、このまま返すわけにはいかない。そして服部の連絡先を持っている真田を脅さねばならない。一方で、下手に拳銃を取り出せば、誰かに取り押さえられるかもしれない。だから彼は僕にカマをかけた。それは見事成功し、僕は情報源でありながら警戒すべき人間であると小林にバレてしまった。


 そんな小林にとって、あのタイミングでの最適解は、僕に拳銃を突きつけて行動を封じ、真田に情報を出させることだ。……全く、昔と変わらず頭の回転が早い。


 だが、小林のこの行動にも弱点はある。それは、僕を殺せないということだ。僕は直接小林にそう言ってみた。結果はビンゴ、黙っていてもわかるほど、小林は明らかに動揺していた。


「小林、銃を下ろせ」

 確信した僕は、銃を突きつけられている身でありながら、一気に畳みかける。

「……やだよ」

「使い慣れていない暴力は、焦ると得てして使い方を誤る。ここで意図せず僕の脳みそぶちまけてみろ。後処理が面倒だぞ。後始末ってのは僕の脳みそのことじゃない。情報のことだ。お前は賢いんだから、何をどうするべきかわかるだろ」

「…………」


 僕のこめかみから拳銃がすっと離れた。相変わらず姿の見えない小林だが、そっと動いているのはわかる。後ずさりしている、と僕は直感した。銃は下げなくとも、僕の頭に銃を突きつけるのはやめてくれるらしい。


「落ち着けよ小林。僕は小林を捕まえなんてしない。お前に僕を撃てない理由があるのと同様に、僕にもお前を捕まえられない理由があるんだ」

「……そんなの嘘でしょ」

「本当だよ。そもそも、今日の僕は非番だから拳銃も手錠も持っていない。手ぶらでお前に襲いかかるほど、僕は無謀じゃない」

「…………」

 僕と小林の睨み合いは続いていた。

「それに、僕にも、死にものぐるいで服部を探す理由があるし、それは僕一人だけじゃできない」


 服部は警察に密輸の件について洗いざらいぶちまけて逃げている。だがそれは、密輸事件の情報の全貌ではない。服部はまだ情報を持っている。その情報がなければ、僕ら警察は北海道の拳銃密輸団を捕まえるに至らない。情けないことではあるが。


 普通、警察官が被疑者の友人であれば、捜査から外される。しかも、事件現場が遠い北海道となるとなおさらだ。それなのに僕が捜査員に選ばれたのは、服部と交渉する役目が必要だったからだ。

 警察は情報をろくに持っていない。


 だから、僕はこの二人に服部の話を振ったのだ。いや、この二人をプチ同窓会と称して集めたのは、服部の情報を得るためだった。まさかこのような事態になるとは思いもしなかったが。情報を得るどころか、まさか当事者が出てくるとは。


 怪しまれない自信はあった。元々、小林にも真田にも、僕は公務員になったとしか伝えていない。

 これは、嫌われたり、逆に取り入ろうとされやすい警察官にはよくある話で、友人とはいえ無闇に職業を明かさないのは極めて一般的だ。会社員だとか公務員だと言って誤魔化ごまかす。当然、僕もその一員だった。


 だから、怪しまれずに同窓会の話題のフリをして、うまく情報を引き出すつもりだった。まともな情報が出てくるとも思っていなかった。どこかで見たとか、一度会ったとか、それだけの情報を引き出せれば合格点だった。この二人から情報が出てこなければ、他の友人に当たるつもりだった。


 こんなはずではなかった。

 こんな風に、頭に拳銃を突きつけられる予定はなかった。

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