応援コメント

第39話 教養授業9限目。真田昌幸…武田信玄を語る…その③」への応援コメント

  • 武田家には「自分達は源氏の末裔だ!」という認識があったでしょうから、話ができるのはせいぜい今川までで、北条や織田、上杉という名前の長尾家と対等な条件など考えもしなかったと思います。
    それでいて戦略はここまで触れてきたように、重臣の意見に左右された行き当たりばったりですから、遅かれ早かれこうなったんじゃないかなと思います。

    ただ、この妙なプライドが家康には好ましくも映ったんでしょうね。滅亡後は色々手を尽くしていますし。

    作者からの返信

    武田は領国が貧しいながら、それなりに周辺国に武威を示している辺り、内政は優秀で、優れた官僚が居たのだと思います。武田滅亡は、家康にしてみれば、優秀な社員を安値で抱えられるチャンスだったでしょうね。織田信忠は徹底的に迫害しているっぽいので、経験の差が出ている気がします。家康は秀吉みたいに有名人を金で釣る式ではなく、日は当たっていないが、有能と思われる人物の登用を良くやっています。このあたりはさすがですね。

  • 大変面白かったです。
    私も武田勝頼公を扱い、その結果の悲惨さから逆算して厳しめの表現で紹介しましたが、個人的な戦闘能力や問題解決能力はけっして劣なる者ではなく、戦術だけなら信玄公より優秀だと思います。

    信玄公もそうですが、孫子の戦術面ではすさまじいばかりに活用していましたが、戦略的視点で見ると明らかに無理がありました。
    純粋に生存、お家をつなぐという発想が正義だとすればこの両名はかなり無理というか無茶をしたなと思います。

    歴史の評価は今の評価や価値観とも密接に関係しているので、今からさらに数年、数十年後にはまた別の評価になるかもしれませんね。
    今の時点ではとても分かりやすく理にかなった説明で読後感のよいお話でした。
    ありがとうございます。<(_ _)>😊

    作者からの返信

    郭隗の馬の骨様。

    お読み頂き感謝です。武田信玄、
    勝頼父子に共通しているのは、
    古い農業資本的発想で、
    金山と略奪頼みの経営から
    抜け出せなかった事です。
    あと信玄は、長期的な戦略という
    ものを殆ど考えていませんね。

    当時の日本の主要経済拠点と、
    貨幣経済を抑えた織田と比較すると、
    最盛期の武田ですら、GDPで
    7倍近い差が有った様なので、
    勝頼に代替わりした時点で、
    本来敵にしてはいけない相手
    だったのです。

    戦争はお金がかかりますし、
    鉄砲等、火力で戦争の帰趨が
    決まる時期に入っていた為、
    きちんと情報を集めて分析出来て
    いれば、織田と全面戦争するのは
    ありえないという結論になった
    はずです。でもそれが出来なかった
    のですね。

    天正9年の段階で、
    織田は東は武田、上杉、
    西は雑賀衆に毛利、長曾我部と
    戦争状態でしたが、それぞれの
    方面で相手を圧倒していました。

    信長の経済的センスは、
    この時代において断トツに優れ、
    世界史レベルで見ても、16世紀に
    これ程の経済的視点と戦略を
    持って、征服活動を行った
    支配者は稀です。

    そういう意味で、
    勝頼は非常に運がなかったと
    思いますね。

    北条氏康だったら、
    全然別の戦略を取り、
    上手くやっていたかも知れません。



    編集済
  • 読み応えありました!
    鈴音先生の授業だということを何度か忘れ、心はすっかり戦国時代に。
    武田家の滅亡、将の寝返り、真田兄弟の死に様などは確かヤングマガジンに連載中の『センゴク』シリーズで読んでいたので、その時のことを思い出していました。
    武田信玄に対する見方はかなり変わりました。
    それでもビッグネームであることは間違いないので今後も様々な映画や漫画、ドラマなどで主役になったり敵役になったりするのでしょう。

    作者からの返信

    天皇や将軍家の権威を利用して周囲の大名を
    服属させる…こういう発想をした信長は、
    当時としては非常に特異な存在だったと思います。

    殆どの大名は信玄と同じ発想で、所領の拡大と
    略奪しか頭になかったのですね…。

    武田家の崩壊は、2代続けて代替わりに失敗した事が
    とても大きいと思います。調べてみるとわかりますが、
    信玄のお父さんの信虎さんは、どちらかと言うと
    信長に近い発想の持ち主で、攻勢正面の限定に
    非常に腐心され、当主の権威強化にも努力しています。

    それが信玄の代になると行き当たりばったりになり、
    領国拡大のペースが大幅に落ちて行きます。
    当主の権威拡大にも失敗しており、
    時代背景と実績だけ見るなら、現在の一般的な
    武田信玄に対する評価は、過大と言わざるを得ない
    と思うのです…。勝頼への権限の委譲の仕方も
    中途半端でしたから、武田滅亡の原因の多くは
    信玄にあったと私は思います。