12月 クリスマスのおもいで

 なんだか、年々ハロウィンに押されて影が薄くなってきてる気がするクリスマスですが、愛や温もりを感じさせる雰囲気があるのでわたしは好きです。


 子どものころは家でツリーを飾ったりとか、鶏のももや、母が作ったケーキをみんなで食べたりとか、日本の一般的なクリスマスらしいことをしていました。わたしは12月生まれなので、誕生日のプレゼントとクリスマスプレゼントが一つになっちゃってたりするのは残念なことでしたが。


 最初に通った幼稚園は教会が運営する園だったので、外国人の牧師さんもいて、クリスマスは厳粛な雰囲気だったのをなんとなく覚えています。


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 大人になってからは、そんなにいろいろは無いんだけど、友達の家で同性ばかりでケーキを食べたりとか、市内の教会にバイオリンのコンサートを聴きに行ったりとか、ドイツ風のクリスマス・マーケットを見に都会に行ったりとか、そんなことはいくつかありました。

 何年か前には、✕✕と、✕✕の妹ちゃんと3人でイブにベトナム料理を食べたこともあって、あれは良かったな、いつも人気の店ががらがらで。

 ひとはあんまり、わざわざクリスマス・イブに南国の料理を食べようとは思わないみたいです。おかしなものですね。この日は世界中どこでもクリスマスなんだし、この時期、ホーチミン・シティの大聖堂はきらびやかに飾り付けられているのですが。


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 最近は、年々薄らいでゆくクリスマス気分を少しでも感じようと、LEDの灯る小さなツリーやフランス風の家を本棚の上に飾ったりして、いちおうそれらしくしつらえてます。

 猫村は、ドールハウスとか、鉄道模型とか、そういう小さな閉じた世界を眺めるのが(不器用だから自分で作ったりはしませんが)好きなのですが、なぜかクリスマスにはそういうものが似合う気がします。


 毎年、待降節アドベントの時期になると、カトリックの教会の前には、聖母マリアと幼子イエスの人形が置かれた小さな馬小屋の模型が飾られる習わしがありますが、それを眺めるのも好きです。わざわざ教会の前を通って、見に行くこともあります。祝福された、小さな、閉じた、暖かい光景。三十数年後には、その子は十字架にかけられて命を落とすことになるのですが。

(そしてそのことを人類の救いと思えないわたしは、キリスト教徒にはなれそうもないのだけど)


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 長崎地方の潜伏キリシタンの人々は、禁教が続いた江戸時代の200年間、「ご誕生クリスマス」を大切な日として毎年ひそかに祝い続けていました。

 彼らの伝承によると、「さんた丸やサンタ・マリア」が「べれんベツレヘム」の国の牛小屋で「じゆすきり人イエス・キリスト」を生んだのは、とても寒い晩で、凍えそうな赤ん坊を見かねた牛や馬たちが、息を吹きかけて暖めてあげたのだそうです。

 キリスト教の愛と、江戸時代の農村のつつましい人々の優しさとがいっしょになったようなこの物語が、わたしは大好きです。


 読者の皆さまが、愛と温もりと優しさとともにありますように。


  メリー・クリスマス

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