第4話


 真昼の海辺は活気に満ちている。港はもちろん海岸でも漁が行われており、得た魚や貝、海藻などをり分け運び、空になった網や籠を再び戻しに来る、が繰り返されていた。私はいくつかの区画を歩き、お昼休憩に入っている人たちを見つけては件の歌と水浸しの人について尋ねて回る。その結果、知っている者も知らない者いたが、圧倒的に知っている者の方が多かった。

 その内のひとり、真っ赤な髪の筋骨隆々な男性から、私は今話を聞いている。というのも、彼が水浸し被害者のひとりであると分かったからだ。

「でな、向こうの岩場を歩いていたら急に子守唄みたいのが聞こえてきたんだ。すげー眠くなって膝をついたら、その直後に海に引きずり込まれて、なんかぐんぐん引っ張られた。不思議だったのはあれだな、水の中なのに息が出来たこと。周りがキラキラしてたから魔法か何かだったのかもな。それで次に水から出された時、周りから『こいつじゃない』みたいな声が聞こえてきて。そしたらそのまま置き去りだよ。少ししてからはっきり目が覚めて、周りを見たら元の場所から随分離れた所だったんだぜ」

 帰るの大変だったよ、と言いながら、男性はポケットから小さい袋を取り出し、中から割れた水晶のようなものを取り出した。

「安物だけどさ、これ一応守りの宝石なんだよ。多分俺が完全に寝なかったのはこいつのおかげじゃないかな。今までぶつかったりしても割れなかったのに、目が覚めた時には割れてたから。――ところでこういうのってどうやって処分するのか知ってる? そのまま捨てると呪われそうで怖くて手放せないでいるんだよな」

 守りの宝石とは、悪意の込められた魔法や呪いから所有者を守るものだ。値段はピンキリで、効力もそれに合わせて変わってくる。私も職業柄持っているが、私が回収してきた原石を父が加工してくれた最上品だ。つまり、私は同じ状況になっても正気でいられる可能性が高い。

 男性にお礼と壊れたお守りの処分の仕方を教えてから、私は男性が襲われたという岩場に向かった。人気がなく、歩ける場所を選んで進むと少しもしない内にさっきまでいた海岸が見えなくなる。これは犯人もさぞ襲いやすかろう。周囲への警戒を強めながらさらに進む。

 それからしばらく歩き続けたが、結局何も起こらない内に逆側の海岸がちらりと見えてきた。やはり昼間は襲われないか。だが、襲われる人がいるのはよく分かった。これは弟に報告して見回りを――。

「! 歌」

 突然聞こえてきた美しい、しかし不思議な響きの声を聞きつけ、私はすぐさま臨戦態勢を取り――かけたが、力を抜いてしゃがみこむ。そうだ、最初からかかっていない様子を見せてはいけない。せめて犯人が姿を見せるまでは。

 頭に手を当て眠気に抗っているふりをして、私は表情を隠した。そのまま気配を探っていると、目の前の海面が揺らめきだす。それは徐々に大きくなり、やがて水面下には魚影――ではなく、人影が揺れながら映し出された。人だ。なら、私でもどうとでも出来る。そのまま待つこと数秒。水面に近付いてきた犯人が白い手を勢いよく伸ばしてきた。

「捕まえた!」

 私はそれを片手で捕まえ一気に引き上げる。手の主は抵抗しようとしたようだが、軽すぎて何の意味もなさなかった。そう、軽すぎる。

「って、女の人!?」

 腕の細さからまさかと思ったが、引き揚げた相手は金色のミディアムヘアの女性。細い上半身には小ぶりな膨らみを覆う下着のような丈の服のみが身に付けられている。女性は顔に張り付いた髪の間から憎々しげに私を睨みつけてきた。輝かしい青の双眸はそれでもなお綺麗なままで、何かが引っかかった私は思わず女性の髪をかき上げる。

 そして出てきた美貌に、思わず呟いてしまった。

「ノーマさん……?」

 彼女じゃない。彼女ではない。けれど、その面差しはノーマさんにそっくりだ。驚いていると、女性も衝撃を受けたような顔をする。そしてすぐに、ギリッときつく歯噛みした。

「私の妹を惑わした人間はお前か……っ!」

 低く唸るように呟いた言下、女性は思い切り体をよじる。直後水が大量に顔にかけられ、咄嗟に目を細め手を顔の前にかざした。その間から見えた、彼女の下半身――人間の足ではない、鱗を帯びた魚の尾に衝撃を受けている間に、今度は私が掴まれ海に引きずり込まれる。うわちょ待って私浮かないから泳げない!

 陸に戻ろうともがくが、それが叶う前に女性に首根っこを掴まれぐんぐん陸から離されてしまう。先ほどの男性が言った通りのキラキラに包まれ息が出来るのだけは幸いだった。とはいえ叫ぼうとすると口に水が入って来て音にならない。許されているのは呼吸のみのようだ。そうなっては出来ることなどなく、私はただただ拉致されるのを受け入れるしかなかった。



 ややあって、私は大きめの岩礁がんしょうに放り出される。うっかり口に入れてしまった海水の塩辛さに咳き込んでいると、頭の上でいくつかの女性の声が聞こえてきた。

「あらー? アデリンいないと思ったらなぁにこの人間さん?」

「ちょっとちょっと、何で人間なんて連れて来てるのさ!?」

「あーあ。アデリンお姉ってば、昼間は海岸に近付かないって話したのにー」

 高さや喋り方は違うが、似通った声質。呼び方から察するに、私を攫った女性含め、姉妹なのかもしれない。顔に滴る水を手で拭い、ついでに顔にかかる前髪と脇の髪を全部後ろに撫でつける。それからその場に座り直すと、私が座っている場所より一段・二段高い岩の上に3人の人魚がそれぞれ腰かけているのが視界に入った。

 ひとりは頬に手を当てている、緩やかなウェーブがかかったベリーロングの髪の女性。ひとりは目をぱちくりさせて驚きを隠せないでいるベリーショートの女性。ひとりは呆れた顔をしているショートカットの女性。皆金の髪と青い目、そして、ノーマさんを彷彿ほうふつとさせる美貌を持っている。

「そんな場合じゃないってば! ジョディ姉さま、ベッキー姉さま、スージー、こいつよ! この人間がノーマをたぶらかした人間よ!」

 私の後ろから岩礁に上がってきたミディアムヘアの女性はびしっと指を私に突きつけてきた。会話から察するに彼女がアデリンで、ショートカットの女性がスージーなのだろう。人魚姉妹はアデリンの言葉にそれぞれ驚きを浮かべる。

「え……いや、女の子でしょその子。ジョディ姉さんより小さいけど私らよりよっぽど胸あるじゃん」

 言いながらベリーショートの女性――消去法でベッキー――は隣に座る姉・ジョディのたわわな胸を鷲掴み、自分の平らな胸に掌を当てた。判断基準はそこだけなのかと少々悲しくなるところだが、今はそれよりも先ほどからアデリンが名前を出しているノーマさんの方が気になっている。

 声を無くした美女。人魚の姉妹。これはまるで、人魚たちの歴史に名を残す泡と消えた末姫のような――。

「でもこいつノーマのこと知ってたのよ!? 私のことも片腕で引き揚げたし、『赤い髪の強い人』ってこいつでしょ!」

 アデリンは何度も私のことを指差してくる。赤い髪の強い人って何だ。そんなのいっぱいいるじゃないか。……あれ、そういえば、さっき話聞いた人も赤い髪だ。

「……もしかして、赤い髪の人こんな風に何度も誘拐してる?」

 じぃっとアデリンを見据え問うと、「だったら何よ」と睨み返された。

「夜に聞こえてくる『復讐の女』歌ってるのもあなたたち?」

「だからっ、それが何よ!」

 アルトとは違う種類だが、やはり高い声で怒鳴られると耳が痛い。物理的な意味のみならず少々頭痛を覚え、私はこめかみに指先を当てる。

 どうやら犯人が分かったようだ。夜に聞こえる呪いの歌も、水浸しで気絶している人々の原因も、彼女たちらしい。

「何でそんなことを」

 話にならないのでアデリンではなく上の方に座ったままの3人を見上げた。真っ先に答えてくれたのは目をぱちくりさせたスージーだ。

「おー、こんな海のど真ん中で人魚4人に囲まれてるのに物怖じもしないとか凄い人間だねぇ。殺されちゃうかもとか考えないの? 人魚の人間嫌いは有名だと思ってたけど」

 ……訂正。答えた、というより、反応した、だこれは。親しげに物騒な質問に、私は軽く肩を竦める。

「怖いって言えば怖いけど、会話が成り立つならまずそっちが優先でしょ。相手が人魚だろうが何だろうが。お姉さんたちは会話してくれるつもりはある?」

 問い直せば、スージーは「あるある~」と軽く返し、私の後ろにいるままのアデリンに名前を怒鳴られた。慣れているのかスージーは両耳を指で塞ぐ。

「あらあら~、本当にノーマが言っていた人間ってあなたなのかもしれないわねぇ。私はジョディ、この子がベッキー、あなたを連れてきた子がアデリンで、今喋っていたのがスージーよ。あなたのお名前は何かしらぁ?」

 間延びした喋り方でジョディは改めて自己紹介をしてくれた。どうやら名前と人物は私の予測通りで合っているらしい。私はまた濡れた髪から垂れてきた水滴を掌で拭って自己紹介を返す。

「私はエレン・ダルトリー。そこの町で素材回収屋をしてるハーフドワーフ。それで、赤髪の人を襲ってる理由は?」

 もっと訊きたいことはもちろんある。これだけ情報が集まれば最早確信に変わっているのだが、それでも直接はっきりと答えを聞きたいと思ってしまうのは仕方のないことだろう。

 けれど、とりあえずはこの話を片付けるべきだと思った。私のやるべきことではないだろうが、乗りかかった船だ。襲っている理由を明らかにして、必要なら自警団に報告しなくては。

 そんな義務感を抱いていると、ベッキーが「実は」と話し始める。

「うちの末の妹さ、昔から外の世界に憧れてたんだけど、半年前にそれが爆発しちゃったんだよね。海の魔女に薬を貰って、人間に姿を変えて海出てっちゃったの。すぐに帰ってくるだろうと思って見守ってたんだけど、『好きな人が出来たから帰んない』って言いだしてさ。もう4ヶ月以上毎日やり取りしてるのに顔も見せやしないんだから。あ、あなたがさっき言ってた歌がやり取りの手段ね。流石に普通に会話できる距離までは近付けないしさ。そこの暴走妹その2はだいぶ近付いている上に誘拐までしてるけど」

 困った子たちだ、とベッキーはため息をついた。いつもの私なら(末っ子の件は)同情していただろう。陸で探すの手伝おうか、とでも言っていたかもしれない。けれど今はそれどころではない。私の予想が正しいとして、その妹というのが"彼女"だったとして。

 ――海に帰りたくないくらい好きな人って誰?

 私の脳裏には食堂に入り浸る男たちの姿が浮かんでは消えていく。あいつか? いやあいつか? それともあいつか? 候補を上げては否定を繰り返していると、頬に手を当てたジョディは眉を八の字にする。

「本当に困ったわぁ。今の海の魔女の薬は、人間になるだけなら副作用はないんだけど、恋をしてしまうと、それが叶わなかった時に泡になってしまうのよぉ」

 耳に入って来た言葉が、私の思考を奪っていった。

 かつての歴史。陸の人間からすればただのおとぎ話になりつつあるそれが、今なお人魚たちの間には残っている事実。そして、その瀬戸際に、"彼女"が置かれているという現実。どくんどくんと騒ぐ心臓がうるさい。

「……妹、さんも……?」

 掠れる声で確認すると、スージーは「そうなんだよねぇぇぇ」と両手を頭に当てて空を仰いだ。びちびちと揺れる魚の尾の騒がしさが、彼女がもどかしい現状に耐えていることを教えてくれる。私は苦い思いで俯いた。

 恋が叶わなければ泡になるというが、きっとそうはならない。だって"彼女"だ。"彼女"を振るような男なんていないだろう。きっと"彼女"は恋を叶えて生き残り、ずっと幸せになる。それはとても喜ばしい。

 そう考える一方で私の心がどんどん暗くなっているのは、とても自分勝手で、とてもおこがましい思いから。"彼女"が泡にならないということはつまり、私は、"彼女"への想いを諦めなくてはいけない。もちろん叶うなんて思っていないし、絶対応えて欲しいとも思わない。元々間違いのように始まった恋だ。破れればその内に消えていくだろう。

 ただ、今、辛いだけ。

 俯いていると、不意にまとめている髪を掴まれ後ろざまに引き倒された。ごつごつとした岩礁に背中からぶつかり軽い痛みが走る。私だからその程度だったけど、ドワーフの固い肌と筋肉がなければ怪我をしていたかもしれない強さだ。犯人はすぐに分かった。高い場所に座ったままの人魚たちが彼女の名前を――アデリンの名前をとがめるように叫んだから。

「やめなアデリン! 何てことするんだ!」

 ベッキーが強い口調で制止するが、私にのしかかり首元にかけた手に力を込めるアデリンは私を睨み下ろすばかりだ。

「みんな困る必要なんてないじゃない。だって薬の呪いを解く方法は末姫様の頃と変わらないんだから」

 言下アデリンが空いている方の手の指先を動かす。応じて、海から水球が浮かび上がってきた。揺らめく水の向こうに留められているのは、輪郭だけは嫌にはっきりしている透明の刀身のナイフだ。水、で出来ているのかもしれない。

 アデリンがそれに手を伸ばすと、水球は音を立てて割れ、中のナイフは彼女の手の中に納められる。逆手に握られたナイフの切っ先は、私に向けられていた。

「ノーマが自分であんたを殺さないと意味ないから、今は手足を動けなくするだけで済ませてあげるわ。――可哀想ね。眠りの魔法が効けば痛みが少なくて済んだのに」

 見開いた視界の端で、ジョディたちが岩礁を降りるべく前傾姿勢になる。そんな彼女たちより先に、アデリンが掲げたナイフは私に向かって振り下ろされた。――けど、私はその手首を掴んでナイフを止める。元々腕力はない方らしいので至極簡単だったのだが、アデリンはぎょっとした。それでもすぐに正気に戻って、私を睨みながらナイフを両手で持ち直す。そのまま全体重をかけてくるが、やっぱり命の危機は感じない。いや、いつもならもう少し「やばい」とか思うかもしれない。そうならないのは、アデリンが言った言葉を上手く理解出来ていないから。

「え、あの、ごめん、確認していい?」

「な・に・よ……っ!」

 余裕綽々よゆうしゃくしゃくに見える私と、ぎりぎりと震えるほどに力を込めてくるアデリンの差がよほど意外だったのか、他の人魚たちはその場でぽかんと動きを止めているようだ。そんな彼女たちにも、今は視線を向けられない。だって確認せずにいられない。

「あの、ノーマさんが好きな人って……私? 他の男の人じゃなくて? うちの兄弟とかも赤髪だけど」

 確信していたけれど、改めて事実だと突き付けられた"彼女"――ノーマさんの名前。でも今の私はそれ以上に今問いかけた内容に衝撃を受けている。だって、思い出してみたアデリンの最初から今にかけての言葉と行動を総合すると、そうなってしまう。もし兄弟たちがライバルなら全力でぶん殴りたい気分だが、一応選択肢として挙げてみる。けれど、私を睨み続けるアデリンは「あんたよ!」と喧嘩腰に答えてくれた。

「さっきあんたがノーマの名前を口にした時っ、今も! ノーマの魔力が帯びてる! 人魚の魔法をあんたが使えるわけないんだから、ノーマがわざわざそうしたってことよ! だからあんたを殺すの!!」

 肯定はとても嬉しいのだが、名前だ魔力だ人魚の魔法だと言われても、理屈が全く分からない。もっと詳しく教えてよと言いかけると、すぐ近くで水が跳ねる音がする。そうかと思えば、私の上にいたアデリンが飛び込んできた影に突き飛ばされて岩礁に放り出された。鈍く擦れる音に、怪我でもしたんじゃないかと思わず上半身を起こしそちらに視線をやる。だけど、倒れる彼女を目に入れた途端に、遮るように濡れた腕に頭を抱えられた。

「アデリン姉さん! エレンちゃんに何てことしてるのよ!」

 私の頭の上で怒鳴ったのは初めて聞く、けれど人魚姉妹たちとよく似た女性の声。ぎゅうぅぅ、と抱きしめる力は強く、この細腕によるものととても思えない。少し痛いし苦しいけれど、耳に当たる胸の奥から聞こえる早鐘が、本気で心配してくれていたことを伝えてきてくれて離れがたい。

 でもそろそろ確認しないとね。私は抱きしめる腕を軽く叩く。私を抱きしめてくれていた人ははっとして慌てて腕の力を緩めた。

「あっ、ごめんなさいエレンちゃん! 大丈夫? 姉さんたちに無理やり連れて来られたのよね? 怪我は? 痛いところはない?」

 "彼女"はおろおろとしながら私の頭や顔、腕などに触れて怪我の有無を確認し始める。ああ、本当の本当に姉妹だったんだ。あなただったんだ。

 初めて聞くその声に浸っていたい気持ちに耐えて、私は笑顔を"彼女"に返す。

「大丈夫です――ノーマさん」

 濡れている以外何も変わらない、髪に、肌に、ワンピース。けれど大きな違いは確かにあった。水を含んで張り付くワンピースの裾から覗くのは、青い鱗の魚の尾。

 ノーマさんも、紛れもない人魚だ。

 私の回答にノーマさんはほっと胸を撫で下ろし、よかった、と本当に安心したみたいに呟いて今度は正面から私を抱きしめてくれる。いつもより体温は低いみたいだけど、これはこれで心地いい。抱きしめ返そうか迷っていると、横から金切り声が飛んできた。ノーマさんの名前を叫んだようだ。

 私とノーマさんがそちらを向くと、姉妹たちに助け起こされたらしいアデリンが半ば涙が浮かんだ目でこちらを睨みつけている。ちょっとお姉、とスージーが困った顔で肩を掴むが、それはすぐに振り払われた。

「目を覚ましなさいノーマ! 今ならまだ間に合うから、そんな人間殺して、呪いを解くの。お家に帰るのよ。あなたが泡になるなんて姉さん嫌よ!」

 岩礁を移動するために突っ張った腕には、先ほど擦ったのか大きな擦り傷が出来ており、血が滲んでいる。まずいんじゃ、と心配になるが、こちらに近付く内にその怪我はどんどん治っていった。人魚の回復能力は高いと聞いていたが、これほどとは。場違いなことに驚いていると、ノーマさんはアデリンを睨みながらまた私を強く抱きしめる。まるで、大事なものを守るように。

 妙に感動していると、ノーマさんはいつもの彼女らしくない厳しさで「嫌よ」と突っぱねた。以前「おしゃれなんてもうやめよう」と泣き言を言った私に「やだ」と突っぱねたことはあったが、それとは比較にならないくらい冷たく聞こえる。

「姉さんたちが心配してくれるのは嬉しいわ。本当にありがとう。でもアデリン姉さん、私の道を勝手に閉じようとしないで。私は自分で選んで魔女さんから薬を貰ったし、自分で選んで陸に残ってる。誰かのせいじゃない。私が選んだの。お願いだから分かって」

 どうやらノーマさんは今回の騒動(を、知っているかは分からないが、少なくとも私のこと)は姉たち全員によるものではなく、アデリン単体の暴走だと判断しているらしい。実際そうなのだろう。ジョディ、ベッキー、スージーは最初から私に対して友好的だったし、今もノーマさんとアデリンの喧嘩を心配そうに見守っていた。

「分からないわよ! ノーマこそ分かってるの? 泡になるのよ? 死んじゃうの。死体も残らないで。家族の元に帰れないし、誰の元にも残れないのよ? 本当に、分かってる? あなたが好きになったとか錯覚している人間だって、あなたが消えた理由なんて何も知らないままのうのうと生きてくのよ。忘れられてくの、何もなかったように」

 憎々しげに指差されると、私が何かを答えるより先に、ノーマさんはアデリンを見据えながらまたぎゅっと私を抱きしめる。

「分かってるわ。分かってる。でも、私はどんな結果になっても誰かに責任を押し付ける気はないわ。だって私が選んだんだもの。そんなの、私の問題でしかない」

「ノーマ! あなたは目がくらんでるだけよ。外の世界に、初めて見る人間に。そんなの恋じゃないわ!」

「だからっ、姉さんが私のことを勝手に決めないで!」

 お互いに全身を震わせるような大音声で怒鳴り合う二人は完全に平行線だ。言い合いがやむと今度は睨み合いになった。

「ねぇ、アデリン、ノーマも。ちょっと落ち着きなさいー?」

「そうだよ、お互いそんな頭ごなしに怒鳴り合ってたら通じる話も通じなくなっちゃう」

「ここ来る前から言ってるけど、アデリンお姉は人の恋路に首突っ込みすぎだし、ノーマは盲目過ぎ。お互いもうちょっとお互いの気持ち考えなって」

 言葉の応酬が落ち着いたのを見計らい、ジョディたちがそれぞれに冷静になるように声をかける。「妹の心配して何が悪いのよ」、と反駁はんばくするアデリンと違い、ノーマさんは無言のままだった。かと思うと、私の両肩に手を置き、どこか苦しげに笑いかけてくる。

「エレンちゃん、巻き込んでごめんなさい。とりあえず陸に帰りましょう?」

「え、でもまだ――」

「いいの。さあ」

 首を振り、ノーマさんは先に海に入った。アデリンが背後でまた怒鳴っているので思わずそちらを向くと、彼女は姉妹たちに両腕とお腹を抱えるように抑えられている。

「面倒だからとりあえず今は帰っちゃって。じゃあねエレン、またね」

 姉の腹を抱き締めたままスージーが手を振ってきた。私は後ろ髪を引かれながら、アデリンの殺さんばかりの視線を浴びながら、私はノーマさんが海から伸ばしてくれていた手を取る。

「っ、どうせ、その子に応えられないくせに! 何かを犠牲にする勇気もないくせに! 愛を示すことなんて、出来ないくせにっ!!」

 海に飛び込む直前背中から聞こえてきた血を吐くような叫びが、私の胸をぎりっと締め付けた。




 海を渡る時のキラキラは人魚の魔法で合っているらしい。海で息を出来るようにする代わり、言葉を奪うそれは、人魚たちが陸に上がる薬と真逆のようだ。何でも、人魚にとってはそれだけ「声」というのは重要なのだそうだ。魔力のすべてがそれに宿っているといっても過言でないほどに。

 そんな、今訊かなくてもいいような質問から展開された話を聞かされている間に、私たちは陸に辿り着く。私はノーマさんに支えられながら陸地に上がり、その場にごろりと転がった。

「大丈夫? 本当にごめんね、変なことに巻き込んで。……あと、種族を偽ってたのもごめんなさい」

 海に入ったまま、ノーマさんは岸を両手で掴み頭を下げる。それに慌てて、私はすぐに体を起こして胸の前で両手を振った。

「いやいや、騒ぎが起きてるの分かってて近付いたの私だから、気にしないでください。その騒ぎの元がたまたまノーマさんのお姉さんたちだった、ってだけですよ。種族は、まあ、言いづらいですよね、珍しい種族だから、人混み出来ちゃいそうだし」

 ノーマさんが気にしちゃわないようになるべく軽い口調で返す。ごめんね、と繰り返したノーマさんは、どこかほっとした様子に見えた。

 ……訊くなら今だろうか。アデリンが言っていたノーマさんの好きな人が、本当に私なのか。でも何て訊く? 「ノーマさん私のこと好きなんですか?」って? でもそんな訊き方は卑怯じゃないだろうか。しかも、聞きようによっては責めてるように聞こえてしまう気もする。

 じゃあどうする。私が言うか? ここで? あなたが好きです、って?

 どんどん早く大きくなっていく心臓の音が私から冷静さを奪っていく。訊くか、言うか。迷っている内に無言の時間は増え、段々ノーマさんが不安そうな顔をしだした。ああごめんなさい、そんな顔させるつもりはないんです。ええと――!

「あのっ、名前の魔法って何ですかね!?」

 迷って混乱してきた私からようやく出てきたのは、結局全く関係ない質問。ああもう、私の意気地なし……。情けなさ過ぎて、自然と視線は明後日の方向に向いてしまう。

「……え……?」

 質問の内容が理解出来なかったのか、ノーマさんが小さく聞き返してきた。私は頭の後ろに手を当てて空々しく明るい笑みを浮かべる。

「あっ、あの、アデリン――さんが、私がノーマさんの名前を呼ぶとノーマさんの魔力が帯びてるって。人魚の魔法がどうのって言ってたんですけど、これって何、ですか――ね?」

 あれ?

 え?

 私、何か変なこと言った、っぽい……?

 気がつくとノーマさんが真っ赤になって目を見開いていた。わなわなと震えだし、口を何度も開け閉めしている。

「ノ、ノーマさん……?」

「しっ、信じられない……っ、そんなことまで言うなんて……っ! ああやだ、待って、私さっきエレンちゃん本人の前であんな――!」

 これ以上ないぐらいに、ノーマさんの顔は赤く染まった。涙すら浮かんでいる。可愛い、と場違いなことを思ってしまう思考を頑張って蹴り出し、うわ言のように呟かれる内容について考える。さっき。本人の前で。それは、アデリンの言葉を否定もせずに認めていたことを言っているのだろうか。ということは、やっぱりノーマさんは――。

「ノーマさ」

「やだっ、ごめんなさいエレンちゃん! あのっ、私のこと気にしないでいいから! こんなの、こんなのどうかしてるよね。ごめん、ごめんね。本当に――っ」

 感情が昂ぶりすぎたのか、青い双眸からは大粒の涙が零れた。一粒、二粒、三粒、どんどん増えていくそれを隠すように手で顔を覆ったかと思うと、ノーマさんは海に潜ってしまう。そのまま、振り返りもせずに沖の方へと泳いでいってしまった。

「ノーマさん!」

 待って、と言う間も無くその姿は見えなくなってしまう。何でこの先は陸じゃないんだろう。これじゃあ、彼女を追いかけられない。私の気持ちを、伝えられない。

「……ひとりで突っ走んないでよ、ノーマさん。それ、私がやることじゃん……」

 立っていられなくて、その場によろよろと座り込む。ぽつりぽつりと乾いた岩を濡らすのは、きっと髪とか肌から落ちる水滴だ。


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