第三章 疑惑

第十四話 洗礼


 空が赤く染まり始める頃、小春たち六人は裏庭に集められていた。

 そこには昨日まではなかった地鎮祭のような祭事の準備がされている。郷長の服装もいつもより厳粛な印象だ。


「そこに座りなさい」


 これから何が始まるのかとお互いの顔を見合わせながら、指示通り祭壇の前に用意された御座ゴザに座った。


「これからお前たちに洗礼の儀を執り行う。実感している部分もあるかと思うが、ここ二、三日で瘴気がまた濃くなってきておる。今後、結界の外での戦闘も予想されるだろう。その時に瘴気から身体を守るために肺に結界を張らせてもらう。

さすれば、瘴気を吸っても体内から侵されることはなくなる。……まあ、だからと言って、無暗に吸いすぎれば結界は切れてしまうから安心しすぎるなよ。

では、一度お前たちの穢れを祓わせてもらおう」


 郷長は手に持っていた榊の葉を大きな盃に浸すと、勢いよく小春たちに振りかざした。榊の葉から飛び散る飛沫からつん、と日本酒の香りがする。


 祝詞を唱えながらそれを何度か繰り返すと、祭壇に向かって深々とお辞儀をする。

それから祭壇の最下段中央に置かれていたお盆を手に取ると、小春たちの方を振り返り近づいてきた。お盆の上には小さな盃が六つ置かれている。どうやら一人ずつ手に取れ、ということだった。


 全員に盃が行き届くと郷長が祝詞を止めた。


「清め酒だ。強い力が込められている。少し苦しくなるかもしれんが、ゆっくりと全部飲み干しなさい」


 小春は祝い酒を舐めたことがある程度だったが、その時と同じように静かに口元へ盃を運ぶ。恐る恐る舌を濡らすように口に含むと、一口目を喉に流した。

 お酒特有の風味に鼻がむずむずしたが、それ以上に体の中でお酒が流れたところから熱を帯びていく。


 隣で琴音が咳込んだ。

「焦らずに、ゆっくりでいいからな」

 琴音は小さく返事をすると、またゆっくりと盃を口元へ傾けた。


 すべて飲み干すと、小春と冬哉と秋穂も軽く咳込んだ。胸に熱いものが渦巻いている感覚に息がつまる。


「しばらくすれば、いつも通りに戻るから辛抱なさい」

 郷長は盃を回収すると元の位置にお盆を戻す。


「さて、次に猫神様の力の欠片をお前たちに宿す。これは、言霊師として正式に認められた者のみに与えられる通過儀礼だ。本来ならばお前たちにはまだ早い。しかし、今回ばかりは急を要しておる。力不足ではあるが人材に不足はない。よって、これより猫神様の通過儀礼を執り行う」


 通過儀礼と聞いて全員が気を引き締める。祭壇脇の笹の葉が風に吹かれ、枯れた音を鳴らした。


「この通過儀礼により、お前たちの身体能力と神通力が底上げされる。さすがに生身の人間の身体能力では、妖怪に太刀打ちできんからな。そこで、猫神様が自分の力をお分けくださったのだ。故に、我々は脚力や身のこなしの早さを手に入れ、とにかく逃げるという手段が取れるようになる」


「え、逃げちゃうのか?」

 堪えきれなかったのか、夏月が間抜けな声で言った。これには小春も同意だ。


「逃げることは悪いことではないぞ。まあ、聞きなさい。もちろん、太刀打ちもできるようになった。猫神様の加護を受けることにより、遠くの気配を感じることだってできるようになる。夜目もきく。だがこれは神聖な力だ。身体に馴染んで使いこなすまでに時間がかかる者もいるが、しっかりと会得して宝の持ち腐れにするんじゃないぞ」


 祖父は狐面に似た不思議な面をつけると神楽鈴を手に持った。

 焦らすように鈴を構えると、一気に振り下ろし鈴の音が響く。そこからは一定の間隔で小さく鈴を鳴らし続ける。


「これから起こることに身を委ねなさい。目を閉じて、ゆっくりと呼吸をする。座っていられない場合には無理せずに横になりなさい」


 六人は目を閉じると鈴の音色に耳を澄ませた。何が起こるのだろうと緊張している鼓動を深呼吸して落ち着かせる。


 鈴の音色に合わせて祝詞が唱えられてゆく、太くしっかりとした、それでいて優しい声。まるで歌を聞いているようだった。

 懐かしい気持ちがあふれ、あたたかい何かに包まれる感覚。しかし、だんだんと息が苦しくなっていった。

 息がしづらい。苦しい。目が開かない。怖い。


 戸惑いと不安に駆られた瞬間、頭の中に声が響いた。


「安心して、ゆっくり息を吸いなさい」


 祖父ではない。女性の声が聞こえた。だが、琴音でも秋穂でもない。

 なんとなく祖母を思い出したが、祖母の声でもない。でも、どこか懐かしい声だった。


 そんなことを考えていたら頭が真っ白になっていった。




 気が付いた時には辺りは真っ暗になっており、空を見上げるとうっすら星が見える。


「痛むことろはないか?」


 祖父の声が聞こえたので小春はゆっくりと体を起こした。すでに錦と夏月は体を起こして伸びをしている。

 冬哉も小春に続き起き上がると、秋穂と琴音も目を覚ました。


「身体の感覚がずれるような、むずむずする感じ。あと、少しだるいかな」

 手のひらを開いたり閉じたりしてから、体を思いっきり伸ばしてみる。


「今晩は、その感覚を身体に馴染ませなさい。明日から激しく体を鍛えてもらうぞ」


「えええ、猫神様の力で体力も筋力も底上げされたなら、そんなに鍛える必要はないのでは?」


「何を甘いことを言ってるんだ。鍛えてこその能力だぞ。若者よ、励め励め!」

 楽しそうに笑う郷長に琴音は苦笑いを浮かべた。




 役場に本部を移動してからの訓練は本格的なもので、そこの生活に慣れたかなどと考えている余裕はなかった。


 裏庭の紅葉も色づき始め、秋の深まりを告げている。

 小春達が訓練を続けるなか、銀地、鶴彦、牡丹の三人は空を見上げていた。


「やっぱり結界が安定しないな」

「御神石の封印も全然上手くいかないらしい。街の見回りの奴らも小さな妖怪が増えてきて困っていると言っていた」


 そこへ夏月が話を聞いていたのか、息を切らしながら口を挟んできた。どうやらちょうど目標回数を達成して休憩にはいるところのようだ。


「でも、郷長含め上層部の人間が御神石を封印できないんじゃ、この先どうしようもないんじゃないか?」


「それがどうもね、簡単な話じゃないのよ」


 お疲れ様、と牡丹が夏月に手ぬぐいを渡すと、夏月は戸惑うように礼を言って牡丹から視線をそらした。牡丹の妖艶さに慣れず、理性を保つためだ。


 まずは何から教えてやるかと銀次と鶴彦は互いに目配せしてため息をつく。


「この世の中の上層部の人間は、封印しましょう、そうしましょう! で話は進まないんだ。目先のものに焦ってすぐに行動したい連中もいれば、石橋を叩かないと行動できないって連中もいる。その折り合いが重要になってくるわけなんだけど、今回の件は中途半端な人員で様子を伺いながら行動して封印できるもんじゃない。ここは郷長に頑張ってもらいたいところなんだけどな」


 鶴彦が言い終えて、また息を漏らした。なんとなく、その場の全員がこの会話に耳を傾けていた。


「つまり郷長の率いる突撃組は、今すぐにでも全員で神社に突っ込んで封印をしたいわけだよ。でも、郷の未来を左右する重大な案件だ、それだと被害が大きすぎる! と自衛組が抑制する。

だから今の退治屋の動きとしては、自衛組に折り合いを付けて突撃できる少数部隊で状況を探り、我々は下準備をさせられている。というわけさ」


「郷長ならガツンと言いくるめて指示を出しちゃえばいいのに」

「それもできない理由があるのよねえ。色々と」


「いくら百人にも満たない人数とはいえ、そんだけ人が集まれば、同じ志をもっている者同士でも考えってのは変わってしまうのさ。せいぜい石橋を叩きすぎて壊さなきゃ良いんだがな」


 先輩の話を横目で聞いていたら、小春は急にめまいを感じた。同時に雷が空を引き裂くような音が鳴り響く。だが、もちろんこの音は雷ではない。

先日にも聞いた結界が壊れる音だ。


「なんてこった! 皆は建物の中に避難して。錦たちも本部の護衛を頼む」

 指示を出した先輩方は風のように走り去ってしまった。


 役場に本部を移動して幾日も立っていないというのに、結界が壊される音を聞くのは三回目だった。でも今回の様に破壊されていたわけではない。


 前回までは穴を開けられた程度で済んでいたという。


 本部内では、御神石から離れたのに何故なのかと、人間を疑う声も聞こえはじめている。


 本部に戻った小春たちは、まず忍び込んだ妖怪がいないかを確認した。というのも、前回穴を開けて入ってきた妖怪が、火薬札を備品から盗み出し発火しようとしたボヤ騒ぎがあったのだ。


 火薬札とは文字通り、火薬の含まれた御札で上手く摩擦を加えれば発火させることができる。用途は様々だ。


 知恵のある妖怪がいたとしても、備品室をすぐさま見つけ、その中から火薬札を盗み出す芸当が簡単にできるとは思えない。そしてそれが、名のある妖怪ではなく、魑魅魍魎の仕業だと言うのだから誰かが裏で手を引く者が入ると噂が立ったのである。


 魑魅魍魎を式神として使役できる人物……。


 本部内は不穏な雰囲気が漂い始めていた。

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