第九話 朝の空気


 若葉と双葉は訓練や手伝いの邪魔になるからと、日中は祖父に預けることになった。


 日中はあちらこちらへ言われるがままに走り回り、荷物の移動や設備の点検を手伝っていたが、陽が傾いてくると賑わいも落ち着き、小春達半人前の五人は入り口の大鳥居付近の掃除をしていた。


 秋風が小春の髪を遊ぶように吹き抜ける。


「小春ちゃんは、ずっと髪を伸ばしているの?」

 隣で一緒に掃き掃除をしていた琴音が問いかけてきた。


「そうなの。昔、おばあちゃんに髪には力が宿るから大切にしなさいって言われてから、なんとなく伸ばしているの。迷信なんだけどね」


「確かに、髪の毛には色々な言い伝えがあるよね。秋ちゃんもね、つい先日までは髪長かったんだよ。わけあって、ばっさり切っちゃったけど。それでも大人っぽさ残ってるよね。うーん、私も伸ばしたらもっと魅力的になったりするかな?」


 琴音は三つ編みの毛先を軽く引っ張った。


「もうじき掃いても掃いても落ち葉の舞う、掃除の大変な季節になるな」


 ふいに後ろから、塵取りを持った夏月が話に加わってきた。琴音は今の言葉が聞かれていなかったか気にする素振りを見せる。


「えっと、夏月さんでしたよね」

 小春と夏月は面と向かって話をするのは、これが初めてだった。


「よせよ。さん付けも敬語も苦手なんだ」

 両肩を軽く上にあげておどけたように夏月は笑った。


「私は小さい頃から、かづ君って呼んでるよ」


「やっぱり急に呼び捨てっていうのは、どぎまぎしちゃって。では、あたしもかづ君って呼ばせてもらおうかな」


「おう。よろしくな」


 夏月は気さくな印象で話しやすかったが、時折考え込むように鋭い視線で遠くを見つめることがあった。


 今も会話が途切れると、鳥居の奥に広がる郷をじっと見つめては、心ここにあらずという感じだ。


「かづ君、ごみ、袋に入れちゃっていいよ」


 集めた枯葉を夏月の持つ塵取りに入れ終わった琴音が、しゃがみこんで夏月と目線を合わせた。


「おう、悪いな」

「また、変なこと考えてたでしょ」

「変な事ってなんだよ。これからどうなんのかなぁって思っただけだ」


 琴音は腰を上げ、鳥居の奥に目を向ける。


「そうだね。……彼岸花、今年も咲き始めたね」

「そうだな」


 琴音の言葉に小春も鳥居の隅に目をやった。真っ赤な彼岸花が三本咲いている。


「琴音、お前も錦になんか言われても、あんまり思い詰めるんじゃねぇぞ」

「うん、ありがとう」


 秋風が吹き抜ける。冷たさが心地よいはずなのに、どこか切ない気がした。


「うっし、そろそろ飯か。中へ戻ろうぜ」


 腰を上げた夏月について参集殿へ向かおうとした、その時だった。

 雷が落ちた時のような音と、隕石でも落ちてきたのかと思うほどの衝撃が境内に走った。


「なんだっ? 結界が壊されたのか」

「そのようだな」

 夏月が見上げながら叫ぶと、少し遠くにいた錦が返事をした。


「秋穂と夏月は結界印の元へ。琴音は小春と一緒に中に戻ってろ、いいな」


 秋穂と夏月は錦の言葉にうなずいて走り出した。錦も走り出そうとすると琴音が叫んだ。


「私も行く」

 呆れた表情と鋭い視線で錦は琴音を見やる。

「お前にはまだ早い。足手まといだ。お前は自分のやるべきことをしろ」


 駆けだしていた秋穂と夏月が足を止め振り返る。


「錦早く!」

 その言葉に錦も二人に続いて、境内の奥へと走って行ってしまった。


 取り残された琴音は三人の後姿ではなく地面を見つめていた。


「えと、ごめんね琴ちゃん。中まで案内してもらってもいい?」

 

 小春は心配そうに琴音の横顔を覗き込んだ。

 琴音は深く息を吸い込むと、一気に吐き出した。


「もうっ、兄さんはいつも私を子ども扱いするんだから。ごめんね、小春ちゃん。中へ急ごうか」



*****


 早朝の冷たい空気を吸い込み、固まった体を空へと伸ばす。まだ陽も登りきらない、ぼんやりと薄明るい空だった。


 本来であれば、この時間は鳥のさえずりが響くのみの静寂なはずだが、今日もあちこちで作業をする物音や掛け声が聞こえてきている。


 結局、昨日は結界が半壊し、夜明けまで結界の修復と妖怪の退治に追われていたらしい。なんの手伝いもできない小春と琴音は、邪魔にならないように部屋の隅っこで身を寄せ合って仮眠をとった。


 眠りに落ちてゆく中で、周りの喧騒が自分が無力なことを実感させた。

 きっと、琴音も同じ気持ちだっただろう。いや、たぶん小春よりも強く感じたんだとと思う。


「がんばろうね」

 眠る前に、琴音に小さい声でそう囁かれたのが忘れられない。


 結界の張り直しに手伝っていた錦、秋穂、夏月は、今は仮眠をとっている。

 琴音は準備したいものがあるからと自室へ行ってしまったので、小春はこうして外に出てきたというわけだ。


 郷長に、都への避難の呼びかけも兼ねて少しの間、神社を出ると告げてきた。朝は妖怪の行動も少ないからと承諾を得られたのだ。

 すでに呼びかけの成果もあり、早朝にも関わらず避難を始める家が数件見受けられる。


 もう半数の郷の家人は都へ避難しているのだろう。無人の家並みを見ると虚しさを覚えた。



 かるく郷を回り、そろそろ神社へ戻ろうかと街並みを抜けて、田んぼ道へと続く宮ノ橋を渡っていた時だった。どこからか走る足音と荒い息遣いが聞こえてくる。


気になってそちらを見ると、ちょうど柳の木にもたれかかり膝を折る人影が見えた。


「大丈夫ですか?」


 小春が近づいて声を掛けると、その男は肩で息をして顔を俯かせたまま手を上げて制した。近くで見ると、小春と同い年くらいに思えた。


「だ、大丈夫です。ありがとう。さすがに、息が切れてしまって」


 言い終えた男が顔を上げ、小春を見て目を一瞬見開くと、そのまま固まってしまった。


「え、なんです? 何か顔についてますか?」


 小春は慌てて一歩後ずさると、両手を頬に当てた。なぜだが見つめてきた男の顔に、雰囲気に、懐かしさを感じた。


「あぁ、ごめんなさい。なんでもないんだ、ただ懐かしい人に似ていたから」


 男も慌てた様子で両手を振った。

 すると男の後ろの茂みが大きく揺れて、黒紫色の子鬼の影が五匹飛び出してきた。


「もう追いついてきたのか」

「とっ、とりあえずこっち! 神社に逃げましょう。結界が張ってあるので妖怪から逃げられます」


 とっさに男の腕を掴み立たせると、神社に向かって走り始めた。


 男も息絶え絶えに付いてきていたが、田園の途中で子鬼の影が背後に迫ってきているのを感じ、足を止め振り返った。


「ちょっと、大丈夫ですか!?」

 小春が慌てて声を掛けるが、男は小春を見ることなく目の前の子鬼の影を見据えていた。


 ふいに、男は目の前の空気を右手で払う動作をした。


「吹き飛べ」


 その言葉が聞こえたかと思うと、辺りの稲穂が一斉に体を倒し、強い風が小鬼の影へ吹き荒れた。

 その風に耐える力もなく、子鬼の影は後方へ吹き飛ばされていく。


「ごめん、少し距離を離しただけだ。早く行こう」

 荒い息のまま、男は小春の方へ向き直るとまた走り出した。


 聞きたいこともあったが、まずは神社へ駆け込むことが優先だと考え、小春も前を向き走り出した。




 二人は逃げ込むように石段を上り、神社へ駆け込んだ。

 石段の付近から子鬼の影は近づけなくなったようで、諦めたのかいつの間にか姿を消していった。


「さっきの風って一体何なのですか?」


「あれは少しばかり自然の力を貸してもらっただけさ。それにしても、ここはずいぶんと強い結界を張っているんだね。それでも、壊されかけているみたいだけど」


 空を見上げるようにして男は呟いた。


「すごい、そんなことわかるんですね。何か教わっていたんですか?」


「いや、ちゃんと教わったことはないんだけど、先祖がそういう人だったのと、小さい頃から感覚的にって感じかな。あ、ごめん、まだ名乗ってなかったね。僕は柳瀬冬哉。よろしく」


「そうでした、あたしは橘小春です。こちらこそ、よろしくお願いします。えっと、ひとまず逃げてきましたけど、休んでいきますか?」


 そう小春が提案したところで奥から郷長がこちらへやってきた。


「おお小春、戻ったか。朝からだいぶ息を切らしているみたいだな」

「郷長様、ただいま戻りました」


 小春は退治屋に入ってから、周りの人と合わせるように祖父のことを郷長様と呼ぶようにしていた。


「ほう、客連れか。見慣れない顔だが、君、名前は?」


「はじめまして、柳瀬冬哉と申します」

 冬哉は深々と頭を下げた。


「柳瀬……そうかそうか。私はこの郷長の橘源だ。こやつの祖父でな。時間があるなら、ちょいと爺の世間話に付き合ってほしいんだが、どうだろう?」


「郷長様、僕も少しお話がありまして機会を伺っておりました」

「それはよかった。では小春、拝殿で琴音が待っているから行ってやりなさい」

「あ、はい。それではこれで」


 小春は二人の会話に違和感を感じつつ、軽く頭を下げてから拝殿へ向かった。

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