10.最後の〈やりたいこと〉

第42話

「本当に全部処分するんですか」

 部屋を見渡して仰天する野宮に僕は頷いた。

 僕たちは今、僕の部屋で最後の身辺整理をしている。本当は一人でするつもりだったのだけど、警察署からの帰りにその話をすると野宮は手伝いを申し出てくれたのだ。

 奥本の事件から三週間が経った。ケガもほとんど治り、僕たちは徐々に日常を取り戻しつつあった。事件の影響といえば、あの後、何度も事情聴取のために警察署に呼び出されたことぐらいだろうか。

 そこで聞いた話だと、後の捜査で奥本による僕たちへの暴行及び野宮の監禁の事実が認められたそうだ。奥本は野宮が包丁を振り回したから正当防衛だったと主張しているそうだが、肝心の包丁には奥本の指紋しか検出されなかった。警察はむしろ包丁を使って野宮を脅した可能性があるとし、奴は暴行、傷害、逮捕監禁の罪で再逮捕されたということだった。

「それにしても倉井には悪いことをしたな。コンビニ、クビになったんだろ」

 僕はそう言いながら、本棚の片付けに手をつけた。棚に並んだ蔵書を取り出しては紙袋に詰めていく。本もDVDもCDも選びに選んだ数点以外は全部売ってしまうのだ。

「莉奈はあんまり気にしてませんでしたよ。給料も良くなかったし、ちょうどいいタイミングだって。今度はもっと給料のいいところ探すと言ってました」

 野宮は髪の毛を耳にかけた。その何気ない動作に一瞬、見惚れてしまった。

「……それなら良かった。彼女の性格ならすぐに次が見つかるだろう」

「そうですね。……あ、私も手伝いますね」

「じゃあ、野宮は下の段をよろしく」

 野宮は本棚の前にしゃがみこんで本を一冊ずつ紙袋に詰め始めた。

 下段はサイズの大きい書籍を収納してある。僕が所有している本は文庫本と漫画の単行本がほとんどだから、下段に収納してあるのはそれらのサイズよりも大きいものだ。あまり量は多くないから野宮でも簡単に持ち運べるはずだ。

 僕は僕で上段から文庫本を抜いて紙袋へ入れる作業を繰り返す。数えたことはないけど、蔵書数は五百冊は超えているんじゃないかと思う。なぜなら僕は大の読書家だからだ。まだ大学に通っていた頃は空き時間を見つけては近隣の古本屋に足繁く通った。その結果、目の前の本棚にはところ狭しとびっちり背表紙が並んでいる。

 この本たちをすべて袋に移すのは実に骨が折れる作業だ。それに一つひとつに思い入れがあるからなお辛い。

「これも手放しちゃうんですか」

 気を引き締め直した時、野宮が一冊の本を持ち上げた。

 見るとそれはプラネタリウムに行った帰りに購入した星景の写真集だった。

「それは売らないよ。死んだあと棺桶に入れてもらうつもりだ」

 処分しない文庫本と漫画はあらかじめ除けていたけど、大きいサイズの書籍のことは忘れていた。よくぞ訊いてくれた。野宮のナイスプレーに感謝だ。

「綺麗ですよねぇー」

 野宮は写真集を適当に開いた。そのページは山から空を見上げた写真で、上半分は星空、下半分は森という構図だった。空は六等星まで見えているんじゃないかというぐらい星でいっぱいだ。

「ホントだな。死ぬ前に一度見てみたかったよ」

 名残惜しそうな僕に野宮は写真集から顔を上げた。

「じゃあ、行きましょうよ」

「え?」

「だって天原さんが死ぬのって明後日の誕生日でしょ? まだ間に合いますよ?」

 野宮の大きな瞳が僕を見つめる。部屋の外をバイクが通り過ぎる音が聞こえた。

「まあ、そうだけど……」

「それに〈やりたいこと〉、まだ全部終わってないんでしょ?」

「何でそんなこと知ってんだよ!」

 すると野宮はキシシと笑うと、体を捻って後ろを向いた。

「だって、ほら」

 彼女が体を戻すとその手には一枚のルーズリーフが握られている。ルーズリーフには僕の字で〈やりたいこと〉がいくつも書き並べられていて、『遠くへ旅行に行く』という項目以外はすべて横線が引かれている。つまり──僕の〈やりたいこと〉リストだ。

「おい! 勝手に見るなよ!」

「いいじゃないですか。代わりに私の最後の〈やりたいこと〉を教えてあげますから」

「最後?」

「はい、最後です」

 それから野宮は正座するとシャンと背筋を伸ばした。切り揃えられた髪が揺れる。

「私の最後の〈やりたいこと〉。それは『地元に帰る』です」

 地元に帰る……? 野宮はこの町に住んでいて地元の高校にも通っている。それなのに「地元」って?

「地元ってここじゃないのか?」

「違いますよ。ここへは中学生の時に越してきました」

 きょとんとする僕に野宮は淡々と答えた。

「小学生の時、事故で家族が亡くなってからは親戚中をたらい回しにされているんです」

 そういえば以前、野宮がそんな話をしていたことを思い出した。奥本の一件ですっかり頭の隅の方に追いやられていた。

「だから、ここに住んではいますけど地元ではないんです」

「じゃあ、野宮の地元ってどこなんだ?」

「長野です」

「それって……河内?」

 僕の発言の意図が彼女には分からなかったようで、頭の上にクエスチョンマークを浮き上がっている。

「分からないならいいんだ。大阪に河内長野って名前の市があるからふざけただけだ」

 それで合点がいったように野宮は手を打った。

「確か天原さんは大阪出身でしたね。でも私が言っているのは長野県の方です」

 野宮はパタンと写真集を閉じた。そしてまぶたを閉じて、すぅ、と息を吐くと僕の目を見た。

「そこで提案なんですけど、天原さんの『遠くへ旅行に行く』と私の『地元に帰る』を一度に済ませちゃいませんか?」

 僕は「うーん」と小難しい顔をして腕を組んだ。

「それはつまり、長野へ僕ら二人で旅行に行くということか」

「そうです。それに私の地元ではこの本みたいな星空が見れますよ! どうです?」

 野宮は閉じた写真集を額縁を持つように持って表紙をこちらに向けた。表紙には黒い夜の空に天の川が流れている。

 僕は少し考えた。今日、今から出かけるのは片づけが終わっていないから無理だ。そうなると残りは明日しかない。明日、長野に旅立ち、向こうで観光と野宮の用事を済ませたあと、夜を待ち満点の星空を見る。そして日付が変われば僕は大人なる。

 漠然と誕生日に死のうと考えていただけだったから、それが朝なのか昼なのか夜なのか細かく決めていなかった。

 そうか、星空を眺めながらそのまま……というのも悪くない。その場合、誕生日は日が変わった後の数時間しか味わえないが、そこまで大事な人生でもないから別にいいや。

「分かった。綺麗な星を見ながら一生を終えるのも悪くない。行こう!」

 そうと決まれば、やることは決まっていた。まずは目の前の品々を片付けるのだ。

「よし、野宮! 今日中にこの部屋の物、片付けるぞ!」

「えっ! 本気で言ってます?」

「当たり前だ。旅行に行ったら最後、この部屋には戻ってこないんだからな」

「そうですけどぉ」野宮は軽く唇を噛んで不本意そうな顔をした。

 それでも彼女しぶしぶといった様子で再び本棚に手を伸ばした。嫌だ嫌だと言いつつも手伝ってくれるのが野宮のいいところだ。

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