第34話
行くって言っても倉井はバイト中らしいし、いくら客がいないといえ勝手に出てきて大丈夫なのだろうか。
雨脚がどんどん強くなってきた。時より吹く強い風が傘を連れ去らおうとしてくる。
十分経ったが相変わらず列は大して進まず、代わりにJRに乗れなかった人が後ろに続々と追加されていく。
吹き付けられた雨が僕のシャツを濡らす。濡れたシャツが僕の体にぴっちゃりとくっつき体温を奪う。
夏だというのに今はとっても寒い。
二十分経った。あと一息で屋根があるところに入るという時に一台の黄色いスクーターが路肩に止まってクラクションを鳴らした。
運転手はシルバーのヘルメットにずぶ濡れのコンビニのロゴがついた制服を着た女だ。ヘルメットの下から短い金髪が見えている。それにしてもなんともミスマッチな格好だ。
運転手はゴーグルを取ると叫んだ。
「おい! 天原! 後ろ乗れ」
「倉井! その格好は……?」
「バイトばっくれて来たんだよ。クビ確定だ!」
僕は列を抜け、倉井の後ろに乗った。
「バイクなんて乗れたんだな。免許持ってんのか?」
「当たり前だろ。いつもは自転車なんだよ。燃料代だってただじゃないからな。連絡もらってから一回家に帰って乗り換えてきたんだ」
「それはご苦労様」
僕は渡されたヘルメットを装着した。
「しっかり掴まっとけよ? とばすからな!」
倉井はそう言ってスクーターを急発進させた。
雨粒が流れ星のように後方に飛んでいく。そしてそれが勢いよく顔に当たって痛い。
スクーターは次々と車を追い抜いていく。猛スピードで車と車の間をすり抜ける運転に肝を冷やした。
倉井の運転はいつもこうなのか、それとも急いでいるからなのか分からないが、免許を持ってない僕でも明らかに違反だと分かる運転をしている。信号が赤に変わりそうになると、アクセル全開でぶっ放すし、多分スピード違反もしているだろう。
スクーターは府県境を越え進んだ。流れる景色も幾分か緑が多くなった気がする。交通量が減るとさらにスピードがあがった。
奥本のマンションまであと少しのあたりで僕が恐れていたことが現実になった。
倉井が人気のない交差点の赤信号を突っ切った時だ、後方から甲高いサイレンが鳴った。
『そこのスクーター、止まりなさい』
拡声器による警察官の指示に倉井は「チッ」と舌を鳴らした。
「こっちは急いでんだよ」
パトカーは僕たちのスクーターの後ろに陣取り、サイレンで威圧する。倉井はスピードを上げ、道を右に左に曲がるがパトカーも追跡を諦めることなくしっかりついて来る。
「どうするんだ、倉井!」
「うるせー、喋るな舌噛むぞ! 今からちょっと乱暴な運転になるから振り落とされんなよ」
「今までの運転は⁉」
「いくぞ!」
金色の髪をなびかせて倉井はそう言うと思いっきりハンドルを切った。スクーターはほぼ直角に向きを変え細い路地へと入った。遠心力で体が外側に放り出されそうになるのを踏んばって耐える。
パトカーはいきなりの進路変更について行けず、そのままサイレンを鳴らして後ろの道を直進していった。
「へへっ、どうだ」
後ろを見ながら得意げな口調で言う。そんな彼女に僕は抗議した。
「ちょっと! 落ちるとこだったぞ」
「だから掴まっとけって言ったろ。で、奥本のマンションってどこだ」
「駅からの道しか知らないから、一度駅前まで行ってくれ」
「了解」
駅前まで来ると、僕のナビで奥本のマンションまで向かった。その間も何度かパトカーを見かけた。だが、倉井はパトカーを見つけるや否やすぐにスクーターを死角に入れてやり過ごした。
マンションの前に到着すると、スクーターが完全に停止する前に僕は飛び降りた。
「おい!」
「先に行く!」
「ヤツの部屋は?」
「四階の一番奥!」
エントランスを抜けてエレベーターへ向かう。ボタンを押して呼び出すがその待ち時間も惜しい。
僕はエレベーターホールの横にある階段を四階まで一気に駆け上がった。
四階に到着すると外廊下を通り、一番奥にある奥本の部屋へ急いだ。
部屋の前まで来ると、外廊下側にある窓に設置された鉄格子にビニール傘の他に女物の傘がかけられているのに気づいた。傘は濡れていて、垂れた滴が真下に水溜りを作っている。
ちょうどそこにエレベーターで上がって来た倉井と合流した。
「これ優月の?」
「さぁ。でも奥本は一人暮らしぽかった」
「じゃ、この部屋に優月が……」
倉井の顔が強張った。瞳孔が揺れている。
「突入するぞ」
上がった息を整える。
野宮を早く助けたいと焦る気持ちと、奥本と渡り合えるだろうかという不安が僕の中で入り乱れた。
ドアノブに手を伸ばした瞬間、倉井が僕の腕を引き留めた。
それからコンビニの制服のポケットからガムを取り出すと口に放り込みクチャクチャ咀嚼し始めた。
「おい、今はおやつタイムじゃないぞ」
僕が眉を顰めると倉井は「違う違う」と顔の前で手を振った。そして反対のポケットからバナナを一本出した。
「オマエはこれ持ってろ」
そう言ってバナナを僕に差し出した。
「バナナ? ふざけてるのか」
受け取ってよく見てもただのバナナだ。こんな時に倉井は何がしたいんだ?
「ハンカチかタオルでそれを包んで。銃の代わりにする」
「こんなので戦えないよ。絶対バレる」
「大丈夫だ。普通の日本人は銃を見たことがない。それっぽく振る舞えば相手は怯む。コンビニ強盗でよくある手口だよ」
さすが現役コンビニ店員。コンビニで働く彼女にしか出来ない考えだ。
ジーンズのポケットからハンカチを出してバナナに被せた。しかしハンカチではバナナを隠しきれなかった。そこで今度はさっき買ったばかりのライブグッズのタオルを出してバナナに巻き付けた。タオルは余裕でバナナを包み込んだ。あとは持ち方さえ気をつければ銃に見えるだろう。
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