第2話

 だから僕はここでもほとんど周りの人間と交わらなかった。孤高を貫いたのだ。


 二年生に進級したとき、そんな僕にも一人だけ話しかけてくるやつが現れた。そいつは石山基樹いしやまもときという男子生徒だった。

 ボサボサに伸びきった髪に黒縁の眼鏡という出で立ちの彼は、その地味な見た目に反してよく喋る男だった。

 始業式の日、出席番号順に並べられた席に座っていると、後ろの席だった石山に声をかけられた。

 僕は友達を作る気はさらさらなかったから、適当に挨拶をして会話を打ち切ろうとした。それなのに石山は強引に会話を続けた。

 無視するのも感じが悪いので彼の話に相槌だけうって聞いていた。

 なんとなくそんな関係がしばらく続くうち、僕の隣には石山がいることが普通になっていた。

 僕は彼を友達と認めることにした。石山は他のクラスメイトとは違い知性と教養を備えていたからだ。

 周りが昨日のバラエティ番組の話や誰と誰が付き合っているなどの下世話な話をしているなか、僕と石山は時事問題や人生論について語りあった。

 特に将来の話をするのが好きだった。僕が将来特別な人間になるんだというたびに石山は「天原ならなれるよ」と頷きながらいってくれた。

 今から思うと本当に可愛げのない子供だと思う。でも、当時はそんな議論をしているのが楽しかった。

 ある日の帰り道、僕は並んで歩く石山に他のクラスメイトと違い僕と仲良くするのはなぜかと尋ねた。

 すると彼は「なんだよその質問」と吹き出した。

 それから僕に向き直った。

「天原といたいからだよ。それだけじゃだめか?」

 照れ臭そうにいう彼を見て僕は高校生になっても石山と一緒にいたいと思った。

 石山とは中学を卒業するまでほとんど一緒に過ごした。石山と過ごした時間はとても楽しくて有意義だった。

 残念だったのは高校が別々になってしまったことだ。

 石山が合格したのは府内でも有数の公立進学校だった。僕もそこを目指したが箸にも棒にもかからなかった。悔しいが石山は僕より数倍頭が良かった。

 結局、僕は仕方なしにランクを下げた高校に通うことになった。賢くなければ馬鹿でもない、人並み程度の高校だ。


 そして迎えた卒業式。その日は校門近くに植えられた桜が綺麗に咲いていてまるで僕らの門出を祝福しているようだった。

 式が終わってそれぞれが最後の思い出を残そうとカメラ片手に走り回っている。教室からその様子を眺めている石山に僕は声をかけた。

「石山、高校は無理だったけど大学で一緒になろう」

「ああ、だが俺の目指す大学はレベルが高いぞ? ちゃんとついて来いよ!」

「なんだ、高校の授業も始まってないのに言うじゃないか」

「これくらいの気概じゃないと厳しい受験戦争には勝てないのさ」

 それから、いつでも連絡できるようにと買ってもらったばかりの携帯のアドレスを交換した。

「これからは頻繁に会えなくなるね……」

「そのかわり携帯で連絡しあえるだろ。そんなに悲しそうにするな。離れてたって俺はずっとお前の友達だ」

 石山は小指を立てた手を出した。

「約束だ」

「うん。約束」

 僕は石山の小指に自分の小指を絡めて約束げんまんをした。

 お互いの顔を見合った僕らはなんだかおかしくて笑いが込み上げてきた。

 笑い合う僕らはきっと青春映画の一コマのように見えただろう。そしてこれがこの映画のラストカットだった。

 高校が始まるとまたつまらない毎日がやってきた。

 中学時代、馬鹿騒ぎしていた連中はいなくなった。クラスメイトは、ある程度の常識は備えている者が多かったのか、僕に対するいじめはなくなった。だからといって過ごしやすい環境になったかどうかは別だ。

 休み時間のたび、中身のない、くだらない会話ばかりするクラスメイトたちにうんざりしていた。僕はまた話し相手をなくしてしまった。

 それに、この頃になると僕は自分が特別な人間ではないのではないかと薄々気づき始めていた。それでもその疑念を振り払うように孤高を気取り、周りとは交わらなかった。

 高校では失敗したが大学で逆転してやると心に誓い高校三年間の青春は勉強に捧げた。石山と同じ大学に行って彼とまた語り合うんだ。その時は酒でも飲みながら高校の同級生の馬鹿さ加減を話してやろう。


 そして今、僕は関西の三流大学に通っている。僕は特別な人間ではなかったのだ。人生で一番楽しいであろう高校時代の青春を捧げたのにもかかわらず僕の学力では石山が目指す国立大学を受けることすらできなかった。

 それでも関西の有名難関私立には合格するだろうと楽観的に捉えていたが、結果は散々なものだった。

 結局、駆け込むようにして三流大学を受けた。合格通知を受け取ったとき、まったく喜びというものを感じなかった。 

 大学に通い始めてもちっとも楽しくなかった。周りは馬鹿ばっかりなのだから。そしてはたから見ると自分もその馬鹿の一人だということに嫌気がさした。

 毎日のようにどこで間違えたのかと半生を振り返った。

 子供の頃は、自分はすごい大人になると思っていた。

 そして気づけばその大人になるまであと一ヶ月半だ。きっと誕生日を迎えて成人しても大して変わることはないだろう。僕は特別な人間ではなかったのだ。

 そしてその絶望は七月のある日僕に一大決心をさせた。


 その日、僕は大学に行く電車で酔っ払いの男に絡まれた。午前中から酒を飲んでいるやつなんてまともじゃない。ちょうど降りる駅だったし無視を決め込むことにした。

 だが男はそれが気に食わなかったらしく、電車を降りようとする僕の腕を掴んで罵声を浴びせた。

 それでも無視を続けると男は僕の胸ぐら掴んでさらに怒鳴りつけた。男の唾が顔に飛んで気持ち悪い。

 カチンときた僕は男の顔を睨んだ。酔いのせいか、それとも怒りからか男は顔を真っ赤にしていた。左頬のあたりにある紫色に変色した痣だけが暗さを放ち異様に目立っている。

 男はしばらくの間、僕を罵ると気が済んだのかどこかへ行ってしまった。

 意味がわからない。僕がいったい何をしたと言うんだ。ただでさえ足取りが重い通学だ。それなのにどうしてこんな目に遭わなければならないんだ!

 顔に飛んだ唾をハンカチで拭った。でもやっぱり気持ち悪い。駅のトイレで顔を洗おう。

 そう考えた時、電車が動いていることに気がついた。慌てて外を見ると降りる駅が遠ざかっていく。


 大学に着いてもまだ腹の虫が収まらかった。

 乗っていた電車が特急だったこともあって大幅な遅刻だ。

 自慢じゃないが入学して今まで無遅刻無欠席だ。それがあんな酔っ払いのせいで記録が途絶えたというのは非常に腹立たしい。

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