第1章

第1話 義妹が勇者になった夜

アインラハト=ハウゼンには血のつながらない妹がいる。


妻の実妹で、自分にとっては義妹だ。

といっても妻だったラウラとは三日しか夫婦になれなかった。四日目の朝に六歳になったばかりの幼いミーニャを残して失踪してしまったのだ。

もともと都でも評判の美少女姉妹だった。なんの奇跡が起こって自分と結婚してくれたのか不思議だったのでいなくなっても慌てたりはしなかった。

そもそも出て行った原因に心当たりはある。


ただ彼女が実妹を残していったことが気がかりだった。

四日前に義兄となった男との突然の二人暮らしだ。親が恋しい時期に、姉に捨てられたも同然の出来事に傷ついていやしないかと心配になった。

ただでさえ、泣き虫なのだ。

暗がりが怖いと泣き、虫が出たと泣く。そんな小さな普通の少女なのだ。


だが、彼女は健気に振る舞った。泣くことも姉を呼ぶこともなく、小さな手でアインラハトの手を握ってくれた。

温かなぬくもりは、妻の仕打ちに密かに傷ついている自分を自覚させられた。様子の変わってしまった妻にそのうち別れを告げられるのはわかってはいたが、実際に出ていかれた現実に打ちのめされていた。


姉に見限れた男の元に置いていかれたミーニャの方が傷ついているはずだ。

それなのに癒そうとしてくれる義妹に、感謝とともに深い愛情を感じた。

小さな子供に縋りつくようなみっともない真似はできなかったが、心の中は号泣の嵐だった。


この小さくて心の優しい泣き虫の少女を守って生きていこうと誓うくらいには感動した。


それからはミーニャと二人で本当の兄妹として過ごしてきた。

あれから十年。

美幼女だった六歳の小さな赤毛の女の子は、十六歳の美少女になり、なぜか国一番の勇者になってしまった。


え、勇者? なぜ勇者?


勇者になったんだと自宅の夕食の席で告げられて、アインラハトは動揺しつつも心配げに小さな義妹を見つめる。

今日の夕飯は蒸し鶏のサルバンティアソースがけだ。

これならから揚げ好きのミーニャも食べてくれる自信作でもある。

数種類の果汁と発酵調味料と酒をフランベして作り上げられるサルバンティアという料理人が考案した秘伝のソースである。

いや、今は夕食のメイン料理にかかってるソースなんてどうでもいい。


「え、なんだって?」

「だから、ミーニャ、勇者になったの」


もしかして聞き間違いかとも思ったが、やはり勇者だった。


王都の外れでしがない道具屋を営んでいるアインラハトには到底想像のできない世界だ。


このハワナック王国の勇者は、十年に一度開かれる大会で優勝した者に授けられる職業だ。つまり国に認定された用心棒のようなものだ。西に魔物が現れれば退治しに行き、東で戦争あらばすぐさま駆け付ける。そんな何でも屋のような職業だ。


そんな荒くれ者で腕っぷしが必要とされる勇者に義妹がなっただと?


もちろん、国から仲間を紹介されるので一人で戦うことはない。

それでも十六の少女が簡単になれるものでもなく、偶然にしても運が良かっただけでは片付けられない出来事なのだが、肝心のミーニャは平然としている。


「勇者って、俺の知ってる勇者か? 勇者大会に出て優勝した人に、王様が授ける称号の、あの勇者?」

「もちろん、そうだよ」


どうやら間違いではないらしい。

自分の想像通りの勇者に、義妹がなっている。

実際にミーニャがなってしまったのだから受け入れるしかない。


「ミーニャ、サルバンティアソースが頬についてる」

「うにゃあ、もったいない!」


どんな食べ方をすれば、べったりと頬につくのか理解はできないが、彼女は皿についたソースを舐めるくらいにはこの料理が好物だ。

今も頬をぺろりと舌で舐めとっている。

器用なことだと感心しながら、自分を落ち着かせるためにふうっと息を吐く。


「お前、そんな怖がりで泣き虫なのに、勇者とか本当にやっていけるのか…そもそもどうして大会に出たんだ?」

「迷子になってたら親切な人が案内してくれてね。それがどうやら大会だったみたいで…でも、ミーニャが困っていたら対戦相手が勝たせてくれたの」


自分たちが住んでいる町の話だよな?

迷子になったとはどういうことだ。まぁ、彼女を一人で町の中心街に行かせたことはないので迷子になるのも頷ける話ではある。

十六の少女に過保護すぎるとアインラハトの友人などは常々顔を顰めて苦言を呈するほどではある。その友人はその後にまあ暴れ竜みたいな狂暴娘を野外に単独で放つのは感心しないがとぼやくのだがもちろんアインラハトの耳には届いていない。


とにかく過保護すぎる自覚はあるが、彼女一人で町の中心に行かせるのは色々と心配になってしまうのだ。


「ミーニャが一人で町に行ったのか? なんだよ、声をかけてくれれば一緒に行ったのに」

「一人で町くらい行けるもん」


いや、結局迷子になっているだろうが。

そして、なぜ迷子の行き先が勇者大会なのか。

しかし勇者になったのは、偶然の産物だったらしい。そんなふらっと現れた迷子が優勝して勇者になるなよと言いたいが、ミーニャなら仕方がない。

それがミーニャという生き物なのだから。


「勇者ってのは皆が憧れる存在なんだぞ、それをたまたま譲ってもらうとか…それはよくないよ。きっとミーニャが可愛かったから皆気を遣ってくれたんだろうけどさ。勇者を目指すような人たちは高尚なんだなぁ。でもやっぱりそれは正しくない。そもそも勇者ってのは凄く怖いこといっぱいしなきゃいけないんだぞ。オバケよりも怖い魔物と戦って悪い人をやっつけるんだ。そんなのお前にやらせるわけにはいかないよ。絶対に泣く羽目になるぞ。今から取り消すことはできないのか?」

「すごく強い人たちとパーティ作るから大丈夫だって言われたよ。なんとかの再来とかなんとかの剣とか、なんとかの聖女とか。ミーニャは眺めてるだけでいいんだって。優勝しちゃったのは事実だしもう公表しちゃったから取り消せないって言われたの」


仲間の強さがさっぱり伝わってこないが、ひとまず通常のパーティを組むようだ。

基本的には勇者を中心に近距離攻撃の剣士、バフと中長距離攻撃を得意とする魔法士、防御と治癒に特化した聖女の組み合わせになる。


しかし、なんだそのマスコットみたいな勇者は。

まあミーニャだし、可愛いし万人が納得したのかもしれない。義妹の容姿ならば仕方ない。

赤毛の長い髪をツインテールにして顔を動かすだけで揺れる様は眼を引く。小さな顔に猫を思わせる真ん丸の瞳は晴れた空を思わせる澄んだ水色だ。ぷっくりした唇は赤く形良い。百人が百人とも可愛いと太鼓判を押すほどの美少女なのだから。

姉とはまたタイプの違う美少女になった義妹に、アインラハトは日夜ハラハラしているのはまた別の話だ。


とりあえずミーニャを護れるほど強い仲間がいると聞いて安心したのも確かだ。


「そうか…まあ勇者は十年ごとにパーティ組んでるから他の勇者が仕事してくれるならやっていけるのかな。確か今の勇者パーティは歴代最高って言われているし、まだ引退してないもんな。とにかく他の人に迷惑かけないようにできる範囲で頑張るんだぞ。でも怪我だけはするなよ。お前が痛い思いをするなんて考えるだけで俺は泣いちゃうからな」

「お義兄ちゃんも泣き虫だもんね」


えへへと笑う義妹の赤い髪の毛をそっと撫でながら笑いあったときには、まさか彼女たちのパーティがあっさりと歴代最高の勇者パーティの称号を塗り替えるとはアインラハトは夢にも想像していなかったのだった。

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