第6話「妹の判定は如何に」

「さて、言い訳を聞こっかな、お、に、い、ちゃ、ん?」


 現在ベッドに正座をさせられている俺は、不機嫌そうに眉をひそめる佐奈に見据えられていた。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように身動きを取る事が出来ない。


 ちなみにだが、神楽坂さんが作ってくれた料理だけは食べさせてもらえた。

 折角作ってもらったものなら食べないと失礼だという当たり前の理由で食べさせてもらえたのだけど、その間目の前に座る佐奈が怖くて味がよくわからなかった。

 見た目は凄く綺麗で、匂いもとてもよかったため絶対においしかったんだと思う。

 佐奈さえいなければおいしく頂けたはずなのに――と文句を言いたい気持ちはあるけど、相変わらず今回も俺が悪いため何も言う事ができない。

 ただ、神楽坂さんには悪い事をしたと反省はしている。


 ――うん、いろんな意味で。


 その神楽坂さんはといえば、佐奈の後ろで椅子に座らされていた。

 佐奈が怒る対象は俺だけであり、彼女は被害者という扱いらしい。

 妹よ、兄をなんだと思っているのだ。


「言い訳は……ないです……」


 俺は心に思っている事などおくびにも出さず、素直に頭を下げる。

 今まで佐奈がこんなふうに怒る事がなかったため、どう対応をしたらいいのかわからないのだ。

 そして、自分がやらかしてしまった事を自覚している事も理由になる。


「お兄ちゃんさ、確か彼女さんいたよね? 何、浮気してるの?」


 どうやら佐奈がここまで怒っているうちの理由の一つに、浮気を疑われている事があるようだ。

 別れたのは昨日だから佐奈は知らないし、元カノとは何度も会った事があるため長い付き合いだと知っており、浮気だと疑われても無理はない。


「いや、彼女は昨日別れたから浮気じゃ――」

「別れたの!? えっ、なんで!?」


 別れたと言うと、佐奈は凄く食い付いてきた。

 やはり女の子だからこの手の話題が好きなのだろう。

 別れた理由を話すのは簡単だけど、振られたというのはあまり言いたくない。

 だから俺が言い淀んでいると、再度佐奈は冷たい目を向けてきた。


「あぁ、別の子を取って彼女さんを振ったんだ。お兄ちゃんがそんな最低な人だとは思わなかった」

「ち、違うぞ!? 俺が振られたんだよ! 仕事が忙しくてあんまり相手ができなかった事が理由らしい!」


 嫌な誤解をした佐奈にこのままではまずいと思った俺は、プライドなど捨て慌てて訂正をする。

 しかし、佐奈にとって俺の言葉は意外だったのだろう。

 佐奈は俺の言葉を聞くと驚いた表情をして、その後にショックそうな顔をする。

 だけど、何かを思い出したかのように再度冷たい目を向けてきた。


「だからって、彼女さんと別れた次の日には別の女の子と寝るの? 何、さかってんのお兄ちゃん?」

「おまっ――! どこでそんな言葉を覚えてきたんだよ!」

「今質問をしてるのは私」

「はい、ごめんなさい……」


 突き放すように冷たい声で言われ、俺は再度頭を下げる。

 その際に神楽坂さんが『お兄さん、妹さんに弱い……』と呟いたのが聞こえたけど、今の佐奈が怖いのだから仕方がない。

 普段怒らない人が怒ると凄く怖いって本当だったんだ、と身を持って思い知っている。


 できれば知りたくなかった。


「はぁ……もう信じられないよ……」


 兄の情けなさに頭を抱える妹。

 どうやら兄が他の女の子とベッドで抱き合っていたのがショックだったらしい。

 まぁ俺も佐奈がよその男と抱き合っている姿は見たくないため、同じような気持ちなのだろう。

 それに俺の場合、相手は歳が結構離れている年下の女の子だし。


 正直なところ佐奈が思っているような関係ではないのだが、だからといって養おうとしているとか、付き合ってはいないけどこれから二人暮らしをするなど口が裂けても言えるはずがない。

 一般常識で考えて見ず知らずの女の子を養うなどありえないし、俺たちは親御さんの了承も得ていないのだ。

 ましてや記憶はないけど、俺は神楽坂さんに取引として手を出してしまっているらしい。

 後ろめたさでいうと、もうこれ以上ないくらいやばいといえる。

 それなの佐奈にどう説明しろというんだ。

 少なくとも、平気な顔をして説明できるほど俺の面は厚くない。


「もうほんと、いっそこのまま警察に突き出しちゃおっか……」

「それは本当にやめてくれ。別に悪気があるとかそういう事じゃないんだ……」


 警察に突き出そうと悩み出す佐奈に、俺は真剣な表情でやめてくれるよう頼みこむ。

 このまま警察に突き出されるとどんな罪に問われるのかは知らないけど、前科付きにはなりたくないのだ。

 ちなみに最初佐奈は本当に俺を警察に連れて行こうとしたらしく、それを止めてくれたのが父さんだった。

 佐奈を止めてくれたのは有り難い。

 有り難いけど――説得する時の言葉が最悪だった。


 あのくそ親父、佐奈に最初こう言ったらしい。


『さすが俺の息子! たくさんの女の子にモテる事はいい事だ!』と。

 おかげで佐奈が怒り狂ってしまい、落ち着かせるのに苦労した。

 まぁその後ちゃんと、『そんな不義理をするような奴じゃないから、ちゃんと話を聞いてから佐奈が判断しろ』と言ってくれたおかげで、佐奈も思い止まってくれたようだが。


 普通に最後の言葉を最初に言ってくれればよかったのに、どうして余計な事を言うんだろう。

 たちが悪いのは、佐奈が怒るとわかっててやっている事なんだよな。

 あの人は自分が楽しむためなら平気で息子たちをからかうところがある。

 だから俺は家が近いにもかかわらず、一人暮らしをしているのだ。


「もう……ふざけてるわけじゃないんだよね……? その、軽い気持ちじゃないっていうか……」

「あ、あぁ、ふざけてるわけじゃない。凄く真剣だよ」


 真剣に――神楽坂さんとは向き合っている。

 もちろん居候をする事をちゃんと認めたわけではない。

 俺には負い目があるけど、このまま彼女が俺の家で暮らすのがいいとは思えないからだ。

 だけど無情に彼女を追い出すつもりもない。


 このまま追い出してしまえば神楽坂さんは寝るところに困るし、また他の男に同じような事をするだけになる。

 それなら、一応俺の家にいてもらったほうが安全だろうという考えだ。


 ……いや、もうほんと、色々手を出しといて今更何を言ってるんだって事ではあるんだけど、普段の俺なら手を出したりはしないんだ、本当に。

 少なくとも彼女の弱味につけ込むつもりはないし、これから先体の関係を要求するつもりもない。

 だから真剣に彼女と向き合っていると言えるだろう。


 後は、彼女が自分の事を話してくれるようになれば、彼女の親を探して話をしてみようと思っている。

 それでうまくいかなければ、またそこから考えればいい。


 今俺にできる事は、神楽坂さんに不義理をしない事だけだ。


「うん、わかったよ。とりあえずお兄ちゃんに後ろめたい気持ちがないって事で信じる」


 どうやら俺の真剣な気持ちが伝わったらしい。

 佐奈からは怒りの表情が消え、代わりに苦笑いをしていた。


 ――しかし、俺に後ろめたい気持ちがないからと言われてしまうと、むしろ後ろめたい事だらけなんだが……。

 どうしよう、全てを知られたら今度こそ警察に突き出されるんじゃないのか……?


 苦笑いの中に安堵の色を見せる妹を前にして、俺の背中には再度冷たい汗が流れた。

 だけど、次の瞬間予想外の事が起きる。

 それは、佐奈の言葉によって始まった。


「しっかし、まさか神楽坂さんに手を出すかぁ……。お兄ちゃんって命知らずだよね」


 なにげなしに発せられた言葉。

 佐奈には特に意図した事はないようだが、今確実に神楽坂さんの名前を口にした。

 しかも、彼女の事を知っているような口ぶりだ。


 俺は佐奈が来てから神楽坂さんの事を名前で呼んでいないし、特に彼女について説明もしていない。

 なのにどうして佐奈が知っているのだろうか?

 それに、命知らずってなんだ?


「佐奈、神楽坂さんの事を知っているのか?」

「へっ? 当たり前じゃん、同じ学校に通う同級生なんだし。……えっ、なんで逆に知らないのと思ったの?」


 俺に質問をされた佐奈は、少し訝しげに俺の顔を見てきた。


 俺が迂闊な質問をしてしまい、どうやら佐奈に不信感を与えてしまったようだ。

 佐奈が疑問を抱いたのは、俺が佐奈と神楽坂さんが顔を合わせる可能性を考えていなかった事だろう。

 同じ学校に通っていて、しかも同級生になればお互いを知っていて不思議ではない。

 俺が佐奈の事を神楽坂さんに言っていなかったとしても、俺自身は二人が同じ学校に通う同じ学年の生徒だと知っている事になる。


 それなのに佐奈たちが知り合いだと俺が一切思わなかった事は、二人が同じ学校に通う同級生だと知らなかった事になり、それは一つの違和感を与えてしまう。


 妹がどの学校に通い、何年生かを知らない兄は極僅かだ。

 ましてや、彼女の学校や学年を知らない彼氏もそうそういないだろう。

 佐奈は今神楽坂さんの事を俺の彼女だと思っているだろうし、疑念を抱かせてしまうのは当然の流れだった。


「ねぇ、お兄ちゃん。もしかして神楽坂さんの通う学校――うぅん、年齢すら知らなかったの?」


 再度疑うように佐奈は目を細めて俺に質問をしてきた。

 ここで返答を誤れば、まず間違いなく佐奈の怒りを買う。

 しかし神楽坂さんと口裏を合わせる暇はなかったため、正直俺にはどうしようもない状況だった。


 佐奈が神楽坂さんを知っている以上、何か質問をされて俺が嘘をつけばすぐにバレてしまうだろう。

 たった一言がまさかこんな状況を招くとは……。


 俺は自分の迂闊な発言に心底後悔をした。

 このまま黙っていても佐奈の疑いが増す一方。

 だけど下手に口を開けばそこからボロが出てしまい、取り返しのつかない状況になるのは目に見えている。


 いったいどうすれば――俺がそう困った時、思わぬところから助け舟が出た。


「――私が教えていなかったのですよ」


 俺にはどうしようもない状況。

 そんな中で助け船を出してくれたのは、先程まで顔を真っ赤にしてテンパっていた神楽坂さんだった。

 今はもう朝の時と同じように平然とした態度を取っている。


「それっておかしくないかな? なんで隠すの?」


 横やりが入った事で、佐奈の矛先が神楽坂さんに向く。

 佐奈にしては珍しい少し責めるような視線だ。

 隠し事をしているという事は、何か後ろめたい事があるんじゃないのか?

 目だけでそう問いかけているように見える。


 しかし、神楽坂さんは佐奈の視線を意に介した様子はない。


「私とお兄さん――貴明さんがお会いしたのは、街中でした。その時の私は面倒ごとに巻き込まれていたのですが、たまたま通りかかった貴明さんが助けてくださったのです。偶然にもそんな事が複数回あり、私は貴明さんを運命の人だと思いました。ですが彼には既に彼女さんがいらっしゃり落ち込んでいたところ、たまたま昨日お振られになるところを目撃したんです。ですから、私は衝動的に貴明さんにアタックしてしまいました。その間、私の年齢などについて話すタイミングがなかったのです」


 息をするかのように自然に発せられる言葉。

 後半はほとんど本当の事だけど、前半は嘘だらけだった。

 それなのにこれほど人は自然に嘘がけるものなのか、と一周回って感心した。

 俺が彼女と会ったのは昨日が初めてだ。

 彼女ほどの美少女を一度見たらそうそう忘れないため、確信を持って嘘だと言い切れる。


 だけど、当事者ではない佐奈は神楽坂さんが嘘をついているかどうかはわからない。

 ましてや今の自然に発せられた言葉からは嘘を感じられなかっただろう。

 案の定、佐奈は神楽坂さんの言葉を鵜呑みにする。


「あ~、お兄ちゃんその辺ほんと気にしないからね。そうだよね、神楽坂さんが嘘とか冗談でお兄ちゃんを選ぶとかありえないもん。ごめんね、疑っちゃって。面倒ごとってのも神楽坂さんなら何か想像が付くよ」


 ここまで佐奈があっさりと信じたのは、神楽坂さんの人柄のおかげかもしれない。

 まだほんの少しの間しか一緒にいないけど、神楽坂さんがいい子だという事は既に俺にもわかっている。

 おそらく普段の学校でも彼女は同じように気が利くいい子なのだろう。


 だけど、だったら佐奈が言っていた命知らずってどういう事なんだ?

 それに、彼女が巻き込まれる厄介ごともいったいなんなのだろう?

 もしかして神楽坂さんが家出をしている理由にも繋がるのか?


 俺は佐奈の言葉に色々と疑問を持ってしまうが、迂闊に質問をするとまた疑われる事になるためグッと我慢をする。

 特に、巻き込まれる厄介事なんて聞いてしまえば即疑われるだろう。

 なんせ話を聞く限り、俺はその厄介ごとに関わっているらしいからな。

 それなのに質問をしてしまえば、俺が関わっていなかったと自白するようなものだ。

 まさに口は災いの元という奴だな。

 だから何も質問をしないほうがいい。


 俺は問題がなくなり、神楽坂さんが俺の彼女になった事に対してはしゃぎ始めた佐奈を横目に一人結論付ける。

 後はボロがでないうちにさっさと佐奈が帰ってくれる事を祈るのみ。


 ――と、そんな事を考えていると、佐奈が何かを思い出したかのように恐ろしい事を言ってきた。


「あっ、そうそうお兄ちゃん。これからは夜道に気を付けたほうがいいよ」

「……はい? えっ、どういう事……?」

「そのままの意味だよ。うちの学校で一番人気の神楽坂さんを盗っちゃったんだから、その事を知った男子生徒から何されるかわからないからね」


 笑い話のようにサラッととんでもない事を言う佐奈。

 完全に他人事だった。

 そして、佐奈の様子から嘘でもない事がわかる。

 神楽坂さんに視線を向けてみても、気まずそうに目を逸らされてしまった。

 どうやら事実らしい。


 なんで俺はこう、次から次へとトラブルを引き寄せるんだ……?


 ――妹から聞きたくなかった忠告を耳にした俺は、自分の境遇を呪うのだった。

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