彼方へ -皆鶴姫伝説異聞-

香竹薬孝

第1部 -皆鶴姫伝説異聞-

第1章 鞍馬より 1



 文治三年(一一八七) 霜月晦日、陸奥国上折壁村高沢付近。


 深山に囲まれた晩秋の夕闇は既に深く、麓に吹き降ろす室根颪の凍てついた風には時折霙が混じり、今宵は荒天が予想された。

 奥州の冬の到来は早い。特にこの冬は霜月迎えて間もない頃に初雪が磐井郷一帯を見渡す限り白く染め、北国の人々を慌ただしく冬支度に駆り出した。

 冷たい氷雨の中、凍てつく山風に震えるような鉛色の街道を、二人の旅人が馬を急がせていた。

 先頭を進む一騎は三十路を過ぎて間もないと見える武家風の男。何処となく都人風の涼しい顔立ちに、常にそうしているのか眉間に深い皴を寄せ、恐ろしく峻厳な面持ちで白い息を吐きながら行く先を睨み据えている。主を乗せた栗色の若駒の長い房尾も粗飴のような霙の粒が張り付いている。

 その後ろに続く見事な黒駒を駆るのは、対照的に体格の良い肥満漢。だが手綱を握る盛り上がった剛腕を見ると、男が相当の豪傑であることが知れる。蝦夷の血を強く引いているのか、眉太く大きな鼻を膨らませた顔立ちには人懐こい柔和さがあり、前を行く強面の男よりやや年長と見える。

 彼らの他に街道を行く人の姿はなく、辺りを見渡しても人家の明かりも見つからない。まもなく山裾の寒々しい街道は文目も分かぬ夜の闇が訪れるであろう。

 びゅう、と虎鳴笛も物凄く凍風が二人の両肩を叩いた。

「……いやはや、これはたまらぬ。こんなことなら田束山の住職の言葉に甘えて一宿世話になるのだったな」

 後ろに続く大柄の男が馬上で掌に白い息を吐きながらうんざりした様子で鼻を啜った。

「仕方あるまい。志津川を発つ時には雲一つ無かったのだ。兄上の日頃の行いであろう。……しかし」

 前を行く強面の男が言葉を切って笠を上げる。

 目的地までは小道で六十里。思いの外道草を食ってしまった。

 霙交じりの細雨は何時しか重たい水雪に変わり、空模様は荒れ行くばかり。

「間もなく高沢の村落に着く。そこで宿を問うてみよう」

 


 俄吹雪に難儀しながらも漸く人家の明かりらしきを認めた二人はほっと白い息を吐きながら笑顔を見せた。

 近づいてみると、幸いなことに荒天に随分無理をさせた馬達を休ませることが出来る厩もある。

(しかし、随分と朽ち果てているな。暫く使った形跡がないようだが)

 馬を繋ぎながら首を傾げるも、二人が目指して来た明かりはすぐ傍らの母屋の方から漏れている様子。ずんずんと明かりの方へ歩み行く大柄の男に続いて強面も「御免!」と戸口に声を掛ける。

 ぼぅ、と仄明るい家屋の中にきらりと青白い双眸が光った。

 刺すような眼差しに、思わず二人が身構える。

 顔をすっぽりと覆った真っ黒な頭巾の下の面相は窺えないが、首元から鴉色の黒髪が覗いており、襤褸じみた毛皮の外套の上からも判る華奢な身体から、恐らくまだ年若い青年と見える。囲炉裏の火の傍に座したまま片膝立ちに傍らの大振りの太刀に手を遣り、戸口に立つ二人に鋭い視線を向けていた。

「怪しい者ではない」

 刀に手を遣る青年の警戒を掌で制しながら大柄の男が前に出た。

「我らは平泉の官僚の者じゃ。帰路の途中、この悪天に往生してな。不躾だが、一夜の宿を願いたいのだ」

 青年が刀から手を引き、二人に向き直った。

「私もこの天気に難儀し、空き家と見えたので勝手に使わせてもらっているのです。どうぞ遠慮なさらず火の傍へ」

「忝い」

 思いの外幼い声音にホッと息を吐きながら、蓑の雪を払って上がり込む。

 笠を脱ぎながら二人して囲炉裏の火に当たると、室根颪の寒風に凍えた身体に火の温もりが染みる。

「火とは有り難いものだなあ」

 にこにこしながら手を擦り合わせる大男の様子に愛嬌を感じたか、向かい側に座る青年がフッと頬を緩める気配が聞こえる。

 一方で、強面の男は青年の様子をしげしげと見やる。

 改めて見ると、この青年は最初の印象よりも随分年若い様子だった。頭巾で素顔は判らぬが、その下は女人の顔だと言われても信じたかもしれない。

 身に着けた毛皮の外套やその他の装束も、見るからに接ぎを当てたような風雨に揉まれた様な風体で、恐らく相当な長旅を経て此処に至ったものと思われる。

 それにも関わらず、流浪の無頼者とも思われぬ印象を覚えるのは、最初にこちらに向けられた強い眼差しのせいか。

(……まさか落人の類か?)

 文治元年、鎌倉殿の命を受けた北条時政らの手によって、京では凄惨な平家残党並びにその落胤の捜索と処刑――いわゆる平孫狩りの嵐が吹き荒れていたことは奥州にまで聞こえていた。褒美目当ての鎌倉兵たちにより疑わしきは片端から捕らえられ、中には只見目好いというだけで嫌疑を掛けられた幼子が、泣き叫ぶ母親の目前で首を斬り落とされるという酸鼻極まりない話も伝えられている。

 訝る武者の視線に気づいたか、青年がちらりとこちらに目を向ける。

「ところで、お二人は先程平泉の御役人様と名乗られておりましたが」

「左様。まあ、大した位の者ではない木っ端役人じゃがの。今朝早く志津川を発ったが、御覧の通りここで足止めさ」

 すっかり気を許した態で大柄の男が答える。

「それではこれから平泉に戻られるのですね?」

微かに青年が身を乗り出すのを強面の男は見逃さなかった。

「実は私も平泉へ赴く途中なのです。宜しければお二人の道中をお供させていただけないでしょうか?」

「ほう。見ると随分遠方からこの地へ辿り着いた様子。どういった用向きで遥々参られたのかな?」

大男が口を開く前に強面が問い返す。

「……古い知己の者の消息を尋ねに来たのです」

 強面の詰問の調子に気付いてか、青年はそれきり顔を伏せ、口を噤んだ。

 外は愈々大荒れらしく、みしみしと家鳴りの軋みから時折隙間風が吹き込み、ぶわりと囲炉裏の煙を乱す。

 ジジ、と火の中の炭が小さく啼いた。

「……ところで、其許はどちらから参られたのかな? 随分と長旅をされてきたように見受けられるが」

 沈黙を慮ってか、大男が気さくな笑顔を青年に向ける。

「今朝、松崎の母体田を出ました。その前は諸国各地を流々と」

「おお、では昨日我らと知らず行き逢うていたかもしれんな。我らもこの数日その辺りを巡っていたところじゃて」

「兄上」

 気安い様子を窘めるように強面が再び口を出す。

「ですが、流石にここまで四里の険しい道程は堪えました。道中土地の人に尋ねると平泉まであと六十里とのこと。何分この土地は不案内故、どうかお供させていただきとう存じます」

 青年の声には少し切実さが伺え、強面は少しだけ気の毒に感じ始めた。しかし、

「む、松崎から四里? はて」

 大男が首を傾げる。強面も暫し考え込むが、ふと思い至って膝を打った。

「もしや、其許は西国の生まれか?」

「如何にも、私は山城の生まれですが」

 そこで大男の方も合点が入ったとばかりに頷いた。

「そういえば昔吉次から西国の尺貫は三十六町の大道を使うと聞いたことがある。陸奥では六町を一里というのだよ」

 青年が驚いて目を見開く。因みにこの時代の尺貫法は地域によって大きく異なるため単純に現在の距離単位に換算することは難しいが、後世では大道の一里が一般的となる。

「成程。私は思いの外目的の地に近づいていたのですね」

 ホッとした、というより気抜けしたという様子で青年は微かに笑った。

「しかし遥々山城国からこんな遠方の地までのう。どうじゃ、次郎よ? これも縁ゆえ、道行は賑やかな方が良かろう。祖父上もよく言っておった、奥州を訪ねる旅人はくれぐれも手厚くもてなせとな」

 気安いことのように大男が傍らに問う。

「確かに、臨終の際までしつこく宣っておられたが」

 頭巾の奥で縋るような視線を向ける青年の眼差しの手前、兄にそんな水の向け方をされては吝かにもいかない。加えて、今までの遣り取りで青年の一挙手を見るうち強面の警戒も薄れて来ていた。

(それに、この青年の風体を見る限り、ここに至るまでの道中危険な場面にも少なからず逢ってきたのだろう。これまでの一人旅、見るからに頼りなき身の上では余程心細かったに違いない)

 聊かの同情も感じ始めた強面は初めて青年に笑いかけた。

「まあ、京の界隈に比べればこの陸奥の国では検非違使も閑職同然じゃ。安心して付いてこられよ」

「うむ。となれば明日も早い。火の番は我らに任せて其許は先に休まれるがよいぞ」

 親し気に笑う二人を前に、青年も「忝く存じます」と深く頭を下げた。

 

 言葉に甘えて先に就寝した青年の寝息を聞きながら、二人は火を囲んでポツポツと語り合った。

「あの若者、まるで我らを警戒せなんだな。実は我らは悪い追剥かもしれぬぞ」

「兄上の木っ端役人とかいう名乗りを真に受けたのでしょう。確かに今の兄上の風体、言いえて妙ですぞ」

「戯言を」

「しかしあの様子では、余程の流浪を経て此処まで辿り着いたと見えます。嫌味のない涼しい印象ではありましたが、父上が身罷ったことはとうに坂東にも聞こえているはず。まさかとは思いますが」

「油断はせぬことだな」

 そう答える大男の表情は先程の遣り取りからは思いもつかぬほど厳しいものだった。



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