第25話

「そういえば、あんた、いきなり筋トレを始めたことがあったわね。あれは、そういうことだったのね」

「まあ、な」


 黙って話を聞いていた世良だったが、やがて呆れた様子で溜め息を漏らした。


「あんたって、本当に身のほど知らずね」

「うっ。それはわかってんだよ」


 奈那先輩のことを知っている人なら、奈那先輩との約束がどれ程困難なのか、言うまでもなくわかることだ。


 勢いとはいえ、普通に聞けば、考えなしの言葉にも聞こえるだろう。


「でも、悔しかったんだよ。なんとなくな」


 奈那先輩に全く期待されていないというのがひしひしと伝わってきて、愛想笑いのような奈那先輩の表情は、俺にとってはどうしても許せないものだった。


 それが無謀だとわかっていながらも。


「まあ、でも、奈那先輩への気持ちが変わったのは確実にその辺りだな」


 それまでは、ただ綺麗で頼りになる先輩。という程度だった。

 それはさながら、テレビの奥にいるアイドルに向ける感情と何も変わらなかったかもしれない。


 しかし、あの約束をしてから、俺にとって奈那先輩は、一種の越えるべき壁であり、守るべき対象に変わった。


 まあ、守るべき対象と言っても、実際には守ることなんてできなかっただろうけど。


「それで? 結局、約束は守れたの?」


 そこを深掘りするのかよ。


 なんて思う俺をよそに、世良は続きを催促してくる。


「いや、そもそも守らなきゃいけない場面になんてならなかったし。あ。でも、1回だけ」


 ◇◇◇◇◇◇


 あれはいつだったか、2人で遊んだ時。


「なあなあ、いいじゃん。ちょっとくらいさぁ」


 典型的なナンパ。

 いや、むしろ古い気もするが。


「うーん。ごめんね。君には興味がないんだよ」


 そんなナンパ男を、奈那先輩が適当にいなしていた。横にいる俺のことなんて、どちらも見えていない様子で。


「って、流石に無視はないでしょ。俺がいることを忘れないでくださいよ」


 奈那先輩とナンパ男の間に立って、そこでやっとナンパ男が俺の方を見た。


「あぁ? すっこんでろよ、ガキ」

「いや、困ってるじゃないですか」


 しつこい男にイラつく気持ちもあるが、ここで大事にしたら、奈那先輩にも迷惑だし、このままされ気なくこの場を離れたい所だ。


「とにかく、俺たちは用事があるので失礼します」


 俺は奈那先輩の手を引き、ナンパ男を無視して歩き出す。


 だが、まあしかし、そう簡単にナンパ男は引き下がってくれる訳もなかった。


「カッコつけてるんじゃねぇよ!」


 なんて言いながら、ナンパ男がいきなり殴りかかってきた。

 まさか、こんな人の往来のある所で、いきなりこんな暴挙に出てくるとは。流石に予想外だ。


 こいつ、思ったよりも危険な奴かも。


 だが、そんな適当な攻撃。

 俺には通用しない。


「おっと」

「……へぇ」


 右手は奈那先輩と手を繋いでいるので、左手しか使えなかったが、それでも簡単に受け止めることができた。


 なんだ。

 ただの見かけ倒しだな。


「なっ!」


 ナンパ男は、まさか受け止められるとは思っていなかったようで、心底驚いているようだ。


「これ以上付きまとうなら、警察を呼びますよ」

「こ、この、覚えてろよ!」


 周りも少しざわついていることに気付いたナンパ男は、今時聞かない捨て台詞を吐いて、何処かへと行ってしまった。


 ナンパ男の姿が見えなくなった所で、俺は奈那先輩に方を振り向く。


「大丈夫でしたか?」

「うん。大丈夫だよ。ありがとね」


 奈那先輩は特に気にしていない様子でお礼を口にする。


 しかし、こんな程度で奈那先輩が動揺するとも思えないが、それとは別に、奈那先輩の視線が少し、いつもと違う気がした。


「どうか、しましたか?」

「ん? んー。ふふ。いや、さっきのは中々男らしかったなと思ってね」


 奈那先輩は含みのある笑みを浮かべる。


「この前の契約を守ろうとしてくれてるのかな?」


 わかっているだろうに。

 あえて確認してくる所が、奈那先輩の嫌な所だ。


 だが、ここで下手に言い訳した所で、奈那先輩が見逃してくれるとも思えないし、素直に言うしかないか。


「そうですよ。奈那先輩からしたら、アホなことしてると思うかもしれないですけど」

「そんなことないよ。もちろん嬉しいに決まってるじゃん」


 そう言う奈那先輩の笑顔は、確かに嘘偽りなんてなさそうで、俺は不覚にもドキッとしてしまった。


「まあでも、無理はしないようにね」


 それでもやはり、奈那先輩の言葉は、俺に期待していないように聞こえた。


 元々、奈那先輩は、含みのある言い方をする人だが、これはそれとは違う気がする。


 いや、これは期待していないというより、何かを諦めているような、そんな雰囲気を感じる。


 だが、それは何を諦めた表情なのか、それを知るには、俺は奈那先輩のことを知らなすぎる。


 これだけ一緒に遊んでいても、俺は奈那先輩のことをほとんど知らないんだと、改めて思い知らされた。



 ふと、視線を下に向けると、未だに奈那先輩と手を繋いでいることに気付いた。


「あ、ごめんなさい!」

「おっと」


 慌てて手を離す。

 流石に驚いたようで、奈那先輩は目を丸くしていたが、やがて面白そうに笑いだした。


「君は本当に面白いね。見てて飽きないよ」

「誉められてないですよね?」

「まあ、誉めてはないね。でも、私はそんな君の方が好きだよ」

「っ!」


 その、好きだよ、が、ラブではなく、ライクであるということは言われるまでもなくわかることだった。


 だが、その単語に俺の心臓の高鳴りは、今までの人生で経験したこともないくらい、すごい高鳴りになっていた。


 まともに奈那先輩の顔を見れない。

 顔が熱い。

 心臓の音がうるさい。


 さっきまでの奈那先輩の手の温もりを思い出して、さらにその音は加速する。


「ふふ。そういう反応だよ。後輩くん」

「へ?」


 降ってきた声に顔を上げると、奈那先輩は不敵な笑みで見下ろしていた。


 その顔で、今の言葉が計算された言葉であることに気付いた。


 そう、つまり、俺は弄ばれたということだ。


「な、奈那先輩」

「はは。さて、そろそろ行こうか」


 そんな奈那先輩の態度に俺の緊張も消え失せる。さっきまでの状態が嘘のように。


 それすらも、奈那先輩の手のひらの上で転がされただけのような気もするが。


 どちらにしても、あのままではまともに遊ぶこともできなかっただろうし、良しとしよう。


 それに、さっきの心臓の高鳴りは、まだ完全には消えていない。あまり考えすぎないようにした方がいいだろう。


 その日は、結局、それ以上変なことは起こらなかったが、あの瞬間の気持ちを忘れることはなかった。


 ◇◇◇◇◇◇


「うわー。なんか、女々しい」

「言うな。俺も今更ながらずっと思ってたよ」


 少女漫画の主人公かって程に頭の中が乙女になっていたという自覚はある。

 女々しいというか、なよなよしているのは間違いない。


 そんな俺を横目で見る世良の視線は冷めたものだった。



 ちなみに俺たちは今、適当に街を歩いていた。


 いつまでも神社にいるのも変だろう、ということで適当にブラつきながら話していた訳だが、先を先を、と催促してくる世良のせいで、結局話しながらずっと歩いている。


 しかし、それが幸いしたのか、何ヵ所か曖昧だった部分もはっきりと思い出すことができた。


 まあ、歩いていたおかげで頭が冴えたのかもしれない。


「ていうか、聞いてる分にはそれなりに良い関係そうなのに、結局、フラれてんのね」

「ほっとけ」


 どれだけ良いことを思い出しても、その結果は変わらない。


 そもそも、俺が頑張った所で、奈那先輩を守れるようになったのかと言われれば、まだまだだったと言うしかない。


 そんな状態で告白をしたのが間違いだったのかもしれない。

 もう少し地盤を固めてから告白した方がよかったのかもしれない。


 今になって思えば、あんな突発的な告白で成功する方がおかしい気もする。


「もっと雰囲気を整えて、しっかりと計画を立てていればもしかしたら……」

「あり得ないから諦めなさい」


 ズバッと世良が言い切る。


「流石に傷付くぞ」

「別にいじめるつもりはないわ。単純に、奈那先輩はそんな表面的な部分で告白を断った訳じゃないって言いたいのよ」


 世良の表情は真剣だ。

 皮肉を言っている様子はない。


 どうやら、世良なりに何か確信があるらしい。俺は改めて世良の話に耳を傾けた。


「どういうことだ?」


 すると、世良は腕を組んで俺を見下すようにのけぞり、口を開く。


「だから、あんたが空気を読めないとか、気持ち悪いとか、センスがないとか、気持ち悪いとか、男らしくないとか、気持ち悪いとか、そんなことは奈那先輩もとっくに知ってたことってことよ」

「気持ち悪いって言い過ぎじゃないか!」


 3回も言われたぞ。

 しかも、その他の言葉も負けず劣らず辛辣だ。


「まあ、でも、それはそうかもな。てことは、元から望みなしだったってことか」


 奈那先輩は、その場のノリで物事を決める人ではない。

 雰囲気に流されて告白を受けることはないだろうし、逆に雰囲気が悪いからと断ることもないだろう。


 ということは、あのシチュエーションがどう変わったとしても、あの結果は変わらなかったということだ。


「まあ、今さら考えても仕方ない。もう、そんなことは関係ないしな」


 フラれたからどうだこうだ、なんてものはもうどうでも良い。

 俺はもう一度、奈那先輩に会いたい。

 ただそれだけだ。


「ふーん。少しは強くなったのかしら」

「この前よりは、な」


 ここでまた、この前みたいにねちねち考えていたら、今度こそ世良に殴り飛ばされるだろう。


 世良は俺の態度に気を良くしたのか、少しだけ表情を和らげた。

 そして、満足げに息を吐くと、時計を見て背中を向けた。


「さて、じゃあ、私は寄る所あるから」

「そうか。今日はありがとな」

「ええ、またね」


 離れていく世良の背中を見て、俺も帰ろうと振り向いた。


 その時、

「っ!」


 ジジジッと、まるで壊れたテレビのように視界が揺らいだ。


 モザイクのような景色が浮かび、意識が飛びそうになる。


「いっつ!」


 頭が割れるように痛い。


 弾丸のように景色が流れていく。

 時間の流れが早くなったのか、俺の動きが遅くなったのか。


 霞む視界で前を見ると、そこに奈那先輩がいた。


「な、な、せんぱ、い?」


 奈那先輩の表情は、見たこともないくらいに冷たいものだった。


 これは怒っている。のか。


 怒りに震える手も、刺すような目付きも、血が滲みそうな程に歯を噛み締めて、ただ一点を睨んでいる。


 俺も同じようにそこへと視線を向ける。


「……え?」


 そこには世良がいた。

 倒れている世良が。


「せ、ら?」


 視界が真っ赤に染まる。

 尋常ではない雰囲気に、胸がざわついた。


「世良っ!」


 すぐに駆け出そうとして、今までで1番の衝撃が脳天にぶち当たる。


「がっ!」


 それと同時に、視界が回った。

 空が回った。

 世界が回った。


 宙に浮くような感覚と、押し寄せてくる膨大な記憶。走馬灯のように記憶が頭を駆け巡る。


 今まで思い出せていなかった奈那先輩が消える直前の記憶。

 それが、写真のように断片的な光景で流れていく。


 奈那先輩が消えた原因の発端は何だったのか。


 ずっとわからなかった。


 だが、少しだけわかった。

 そうだ。俺は、奈那先輩の秘密を、あの時に知ったんだ。


 あれが、あいつが、あの事件が、奈那先輩が消えてしまった発端なんだ。



「おい、邪魔だぞ、おら」


 気付けば、俺は元の場所に立ち尽くしていた。

 そして、目の前には一人の男。


 確かに、俺は道のど真ん中で立ち尽くす邪魔な人間だ。


 だが、俺はすぐには動く気になれなかった。


 その男の顔を、俺ははっきりと覚えていたから。


「おい、聞こえてんのか?」

「……すみません」


 俺は頭を下げて横に避ける。

 すると、男は舌打ちをしながらも去っていった。


 あの男だ。


 あの時、奈那先輩をナンパしてきたナンパ男。


 そして、世良たちと行った海で、俺が見た夢の中に出てきたナイフをもった男。


 そして、奈那先輩がいなくなった事件の始まりとなった男だった。

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