4

 その時だった。


 ガツン、というショックが伝わる。


「!?」


 何かがぶつかった、という感じじゃない。むしろ、何かにいきなり引っ張られたような……


 まさか……?


 俺は、マリリンを映していたカメラを一気にズームアップする。


 フックには、命綱が付いたままだった。しかもそれは、ぴんと一直線に伸びている。


 ということは……!


 その先に、マリリンがいる、ということだ!


 そうか……


 あいつは、命綱を外したわけじゃない。リールのロックを外して飛び出したんだ。そして、命綱が最大長まで伸びて止まった反動が、さっきのショックだったんだ。

 俺は嬉しくなった。さすがは未来の博士さまだ。ちゃんと考えているじゃないか!


「おい!  マリリン! 応答しろ! 命綱をリワインド(巻き取り)するんだ! おい!」


 だが、応答はない。考えてみれば、あいつの酸素ももうそろそろ切れる時間だ。気絶しているのかも。今助ければ、まだ十分間に合う。


 俺はベルトを外し、重力下でも使えるヘヴィデューティータイプの命綱を持って、ハッチを開けて外に出る。無重力状態ではないので移動には慎重を期した。船底まで行きつくと、彼女の命綱は「下」ではなく「真横」に伸びていた。さくら2の回転に彼女自身が引きずられているのだ。まずい。このままでは彼女の体はさくら2の外壁に衝突してしまうかもしれない。


 俺は自分の体をリールにしてマリリンの命綱を手繰り寄せる。重い。それはそうだろう。ほぼ地上の重力と同じくらいの遠心力がかかっているのだ。そして……


 「!」


 命綱が、今度は「真横」から「下」に動き始める。


 そうか。外壁に衝突する前に、彼女はさくら2の遠心力によって「下」への移動を始めたんだ。助かった。しかし、こちらから見れば彼女はブランコに乗っているようなものだ。遠心力にさらに遠心力がプラスされたような状態。命綱はさらにずっしりと重くなっていた。それでも俺は、必死でそれを手繰り寄せる。


 彼女の姿が見えてきた。命綱が短くになるにつれ、ブランコの運動の周期も早くなる。そして……俺はようやくこの手に彼女を抱きしめた。


「マリリン! おい、しっかりしろ!」


 反応はなかったが、スーツ同士の緊急データリンクから、彼女の心拍と呼吸が途切れてはいないことが分かった。良かった……彼女はまだ生きてる!


「03コントロール! 要救助者サバイバーをキャプチャーした! 大至急上げてくれ!」


 ---


 マリリンの目が開く。


「……ここは?」


「さくら2の第4医務室さ。君は助かったんだ」


 俺は笑顔で応える。思っていたよりマリリンは美人だった。ただ、顔立ちには年齢なりの幼さがあった。


「その声は……スキッパーね!」マリリンが起き上がって言う。


「ああ」


「あたし……助かったんだね! 良かった……」


 彼女の目からみるみる大粒の涙がこぼれ始める。


「本当に、ありがとう……スキッパーのおかげだよ……あたし、死んでてもおかしくなかったのに……」


「なあに。君だって、最後の最後にやってくれたじゃないか。君が命綱のリールのロックを外して飛び出さなきゃ、ドッキングに失敗してたからな」


「え、何それ」マリリンが泣き止み、目をぱちくりさせる。「あたし、そんなことしてないよ。ただ、あたしがあそこで艇を蹴れば、艇が上に上がるかな、と思ってさ、頭を下にして命綱にぶら下がった状態で、思いっきり両足で蹴ったんだよね。そしたらいきなり吹っ飛んじゃってさ……命綱、切れたのかと思ったよ……それであたし、ああ、これは死んだ、って思って……そこから、記憶がない」


「……」


 前言撤回。やっぱこいつ、何もわかってない。


「あのなあ。命綱にぶら下がった状態で蹴ったって、艇は上がらねえよ。それが出来たらプロペラントなんかなしで加速できるじゃねえか」


「え、そうなの?」


「ああ。ってことは……どうも、君が蹴りを入れた瞬間、リールのロックが壊れたみたいだな。もともと重力下用の装備じゃなかったようだし。まあしかし、そのおかげで君の意図通りにはなった、ってことだ」


「??? よくわかんない……」


「いいか、生物だけじゃなくて、物理も勉強しておけ。宇宙で暮らすならな。それじゃ、お大事にな」


「あ、待って」


「え?」部屋から出ようとした俺は振り返る。


「スキッパーって、意外に若いね」


「はぁ? こう見えても三十過ぎてんだぞ。君の二倍近くは生きてる」


「そうなんだ。そんな風には見えないけど。でも、ほんと、ありがとう。あたしの命の恩人だよ」


「……」


 俺はそれに応えず、黙って手を振って、その場を後にした。

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