私のそばにいつもいる

木沢 真流

奈津美 ≠ 葉月

「それ、絶対ストーカーでしょ。あんたやられるよ」

 やられる、の具体的な意味は明かさずに、本城ほんじょうつかさは言い切った。

「そうかな……」

「そうだよ、通学路で毎日のように誰かにつけられてて、しかも振り返っても誰もいないって。それストーカーしかないでしょ、隣の花見川高校はなこうでは行方不明になった女子高生もいるくらい最近物騒なんだよ」

 司の浅黒く焼けた頬。部活はバスケ部なのにどこであんなに焼けたんだろう、と関係のないことを水瀬みなせ奈津美なつみは考えていた。そんな奈津美にお構いなく司は細い目をさらに細くして顔を近づけた。

「それに最近は良いアプリがあって、それを」

 唾を飛ばしそうなくらい一生懸命話し続ける司の細い目尻。その向こう側に浮かぶのは雲ひとつない、まるで大きな青のキャンバスだった。太陽がぎらぎらとこちらを睨んでいる。

「ちょっと、ナツ。聞いてる?」

「あはは、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

 ナツこと水瀬奈津美と本城司、二人は県立緑高校の一年生だった。中学の時から仲が良かった二人は昼になると決まって渡り廊下で昼食を食べることになっていた。渡り廊下と言っても、三十メートルほどある長い廊下でしかも最上階である四階同士を繋げているため、屋根が無く、まるで屋上のように校内を見下ろせる場所だった。

「怖くないの? ナツ可愛いから心配」

 そう言いながら司は奈津美の髪に手を当てた。根元を蝶の髪飾りがついたゴムで結び、そのまま重力にしたがって肩までストンと落ちる黒髪。司がさらりと撫でると、その艶のある濡れ羽色は太陽を反射してきらりと光った。

「この蝶の髪留め、確かお姉さんの形見だっけ」

「そうそう、よく覚えてたね」

 奈津美には姉がいた。二卵性双生児の姉で五歳までは元気だった。しかし白血病と診断され、結局骨髄移植までしたが助からなかった。もう十年も前の話である。

「お姉さんか、あたし生まれてからずっと下の子の面倒ばかり。甘えさせてくれるイケメンお兄さん、欲しかったなぁ」

 司が最後のソーセージを口で咀嚼していると、突然背中を叩く者がいた。振り返るとバスケ部の友人だった。

「司、何してんの? 部活会議もう始まってるよ」

「げ、うっそ。今日だっけ? ナツごめん、あたし行くわ」

 そう言ってお弁当箱を片付ける司に、奈津美は小さく手を振った。去り際に司が奈津美の耳元で囁いた。

「暗い夜道とか絶対一人で歩かないでね。何かあったら大声出すんだよ」

 そう言い残して司は校内への階段を下りた。

 一人残された奈津美はすっくと立ち上がると、渡り廊下の柵にもたれかかった。くっきりしたまつ毛の瞳が遠くに霞む山々を見つめた。すっかり冷たくなった冬の風が奈津美の前髪を揺らす。

「ストーカーなんかじゃないよ。私には分かってる」

 奈津美に吹き付けた風がいつの間にか鋭さを含み、冷たく刺さり始めた。


「あなたはまだ私を許していないんだよね」


 水瀬 葉月はづきは奈津美の双子の姉の名前だ。亡くなったのが六歳とはいえ、一緒に遊んだ記憶くらいは奈津美にもある。ただ葉月の病気が発覚してからは、奈津美の家庭環境が激変した。まず母が葉月の付き添いのため家に帰って来なくなった。たまに帰ってきては父とよく喧嘩をするようになり、気づけば父は家を出て行った。奈津美は祖母に預けられ、ほとんど母と一緒に過ごす事はできなかった。その期間は今思い出しても辛い記憶として刻まれている。

 葉月の葬式の時、奈津美は涙が出なかった。これで嫌なことが終わる、やっと母さんが家に戻ってきてくれる、その嬉しさのほうが勝った。でも時は経ち、奈津美は知った。苦しい治療を受けながら死んでいった姉の人生、それがどれだけ無念で不憫だったかを。ほんの一瞬でも姉の死を喜んでいた自分がいると思うと、奈津美は自分の心をめちゃくちゃに踏み潰したい気持ちになった。


 ここ数日、奈津美は通学路で違和感を覚えるようになった。誰かにつけられている気がするのだ。気になって振り返っても誰もいない、しかしなぜか脳裏にはとある表情が焼き付けられる。それは白い顔面にまん丸な瞳でこっちをギッと睨んでいる、そんな残像。それはまさしく奈津美の記憶の中の姉、葉月の表情だった。

 奈津美はわかっていた、葉月は自分を恨んでいるんだと。死を喜んでいたこと、自分だけ何事もなく過ごせていること。

 信じたくはない、でもやっぱり葉月は自分を許していない。

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