第七章 第三話「なんか大変なピンチです!」

 孫三瓶の山頂を過ぎ、林の中を下り始めてから十五分ほど歩く。

 足元の様子は先ほどまでと打って変わり、大きな岩がゴロゴロと地面に埋まっていた。雨で岩が濡れているので、私は転ばないように慎重に足を下ろしながら進んでいく。



 ……このまま何事もなく進むかと思われた矢先、木々の間から見えたのは異様な光景だった。


 力なくうずくまる人や、すすり泣く人。

 間違えるはずもなく、彼女たちは松江国引高校のチームだった。

 さらに、見知らぬおばあさんもいる。


「あぅ……? これは一体……」


「……何が起きたんだ?」


 私と剱さんが愕然としていると、千景さんがなにかに気付いた。


「おばあさん……怪我、かも」


 よく見ると、たしかに辛そうな顔で足首をさすっている。


「とりあえず、広くて安全な場所にみんなで移動しよう。

 そしたら、何が起きたのか聞こっか」


「そっすね。……ひとまず、ばあちゃん。アタシの背中に乗るんすよ!」


 おばあさんは痛みで動けないようなので、剱さんはとっさにおばあさんを背負って平らな場所まで下っていった。

 そして剱さんは地面におばあさんを下ろし、その足元にうずくまる。


「出血はなさそうっすね……。

 服の外から見ただけじゃ、骨折か捻挫ねんざか分かんないな……」


「ごめんなさいねぇ……。

 こんなおばあちゃんのせいで、みんなを困らせてしまって……」


「何があったか分かんないっすけど、気にする必要はないっすよ!」


 剱さんはおばあさんを励ますかのように、ニカッと笑う。


「それよりばあちゃん、靴は脱げそうっすか?

 足の状態はちゃんと確認したいし、骨折でも捻挫でも、

 ひとまず靴を脱いだほうがいいっす」


「そうだねぇ……。脱げそうだよ……」


 剱さんはおばあさんとやり取りしながら、スムーズに靴を脱がせていく。

 その手際の良さには目を見張るものがあった。

 剱さんは確か、応急処置の勉強をしたことがあったと言っていた。

 こんな状況だと、その経験が何よりも頼もしい。



「う~ん……。軽く叩いてもそんなに痛みがなくって、ひねると痛いってことは、捻挫かもしれないっすねぇ。

 ちゃんと病院に行ったほうがいいっすけど、ひとまず足首を固定するっす」


 私は「足首を固定」と聞いて、ハッとした。

 漫画とかでは、確かこういう時に木の枝をあてがってた気がする。

 周りを見回すと幸いにも木が多く、使えそうな枝はすぐに見つかった。


「こ……これ使えるかなっ?」


 なるべく真っすぐで太い枝を何本か差し出すと、剱さんは驚いた後、笑顔を私に向けた。


「すげぇ! さすがは空木っ。ありがとな!」


 その屈託のない笑顔はまるで太陽のようで、不意打ちのように私を照らす。

 私のドキドキなんてお構いなしに笑顔で枝を受け取ると、剱さんは救急箱を取り出した。


「うちの救急箱にも、使えそうなテープがあったはず……」


 救急箱をまさぐり、中から茶色と白のテープを一巻きずつ手に取る。


「それは……何に使うの?」


「白いほうは非伸縮性のホワイトテープで、

 茶色いほうは伸縮性のあるキネシオテープ。

 しっかりと固定するから……ホワイトテープがいいかな」


 そして剱さんは茶色いほうを救急箱にしまい、おばあさんの足を丁寧に固定しはじめる。



 ひとまずおばあさんは大丈夫みたいだ。

 剱さんの手際のいい処置をずっと見ていたいけど、松江国引高校のみんなも気にかかる。

 彼女たちが怪我をしていないかも心配だし、ここで何があったのかも把握しておきたかった。


 ふと見ると、ほたかさんと千景さんが松江国引高校のメンバーに寄り添っている。


「痛みはない?」


「ひぐっ……ひぐっ……」


「おばあさんは美嶺ちゃんが診てるから大丈夫だよ。

 ……ここでいったい、何があったのかな?」


 ほたかさんが優しく聞くと、涙ぐんでいた女の子が口を開いて、ぽつりぽつりと語り始めた。


「……おばあさんと私達がすれ違おうとした時、

 おばあさんは気を使って道の脇にどいてくれたんです。

 ……でも、その足元の岩が崩れてしまって……。

 岩は私にぶつかる寸前で、つくし部長がとっさに止めてくれたんですが、岩に乗っていたおばあさんは足を痛めてしまって……」


 その話を聞いたところ、それは本当にやむを得ない事故だったと思える。

 事故現場を見上げると、たしかに細い山道の真ん中を邪魔するように、バスケットボールよりも何割かは大きな丸い岩が転がっていた。


「きっと……、雨で地面が緩んでたのかもしれないね……」


 ほたかさんが言うと、つくしさんはうつむいたまま首を横に振った。 


「リーダーである私の判断ミスです。

 先を急ごうとするあまり、すれ違う余裕のない場所でおばあさんを立ち止まらせてしまった……」


 つくしさんは悔しそうに歯を噛みしめている。

 リーダーの責任はとても重くのしかかっているようで、その表情を見るだけでも私の心は苦しくなった。


 ほたかさんはウェストポーチから小さなタオルを取り出し、泣いている子に差し出す。


「そっか……。ひとまずあなたに怪我がないのはよかったよ。涙をぬぐってっ」


 しかし彼女はタオルを受け取ることなく、弱々しく首を振る。


「……違うんです。

 こんなことになるなら、私に岩がぶつかったほうが良かった……」


 ぶつかったほうがよかった……?

 その言葉の意味が分からない。



 私が首をかしげていると、剱さんがやってきた。


「ばあちゃんの応急処置は終わったっす」


 おばあさんも「本当にありがとうねぇ」と、深々と頭を下げてくれる。


「……でも、歩けないっすね。救助が必要っす」


 それは、見るからに明らかだった。

 登山で足は生命線。

 痛めてしまえば、無理に歩けばさらなる事故につながりかねない。


 ……だけど、こんな状況でどうすればいいんだろう。

 今はチーム行動中で選手だけしかここにいない。

 いずれ審査員の先生がやってくるかもしれないけど、どれだけ待てばいいのか分からない。



 途方に暮れていたとき、つくしさんが顔を上げた。


「付き添い……ですか。……わかりました。私がここに残ります」


「えっと……それはリタイヤしちゃうことになるよっ? ……いいのかな?」


 やけにあっさりと申し出てくるのでビックリする。

 松江国引は膨大な練習を積んで大会に挑んでるはずなので、リタイアを望んでいるとは思えない。


 そんな私の疑問を察したのか、つくしさんは足を高く上げた。


「私も、もう歩けないからです……」


 つくしさんのはいている登山靴……。

 その靴底が、大きく剥がれていた。

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