第三章 第九話「黒くきらめく宝石のように」

 ……気が付くと、ふわふわとした感触が頬っぺたを包みこんでいた。


 なぜか顔が……千景さんの大きな胸にうずもれている。

 おかしい。

 私のほうが千景さんよりも頭一つ大きいのに、これでは上下が逆だと思う。


「ま……ましろさん。重いのです」

「あぅ」


 私は体を起こし、ようやくこの状況が分かった。

 ……どうやら抱き着こうとして、勢い余って押し倒してしまったらしい。


「ビ……ビックリしたのです。……転んだのですか?」


 動揺する千景さんを、私は真剣なまなざしで見つめる。


「話を聞いてほしくて、抱きしめました。

 ……抱きしめたつもりで、転んだみたいです……」


「ふぁ……っ?

 ま、まさかまた、ほたかみたいな暴露ばくろ話を……するのですか?」


 千景さんは耳を押さえようとしたのか、両腕を振り上げる。

 耳を塞がれるわけにもいかないので、私はとっさにその腕をつかみ、床に押し付けた。


「わ……私は、現実では本当の自分を隠して生きてきて、創作活動を通じて、ネットの中でだけ本当の自分を出してたんです……」


「それが……さっきのイラスト……なのですか?」


「そう! 本当の私は女の子が大好きな変態で、いっつもエロエロ妄想にまみれてるんです!」


「ま、まま……ましろさん!

 自分が変態だって言いながら、ボクを押し倒してるのですか?

 ……これでは、まるでボクがこれから襲われるみたいなのです……」


 千景さんは銀髪を乱し、顔を真っ赤に染めて視線をそらしている。

 その言葉で、私はようやくこの状況を俯瞰できた。


 小さな女の子を押し倒して、馬乗りになっている。

 ……しかも、自分は変態だと告白しながら。

 これは……完全にいろいろアウト。

 警察に通報されても、何の言い訳もできない状況だった。


 私は慌てて、千景さんの腕を解放する。


「あぅぅぅ……ち、ちち、違います! 私の興味はあくまでも二次元フィクション! 漫画やアニメだけのもので、現実の女の子に向けたそう言う感情はこれっぽっちもございません!

 ……って、それはいいんです。

 本当にお伝えしたいことがあるので、今だけ、この状況は無視してください!」


 千景さんは顔を赤らめたまま、私の目をじっと見つめ返した。


「わかりました……のです。

 お……お話を、続けてください。……なのです」


 その赤らんだ顔を間近で見ていると、私までドキドキしてくる。

 このままだと本当に襲いかねないので、冷静になろうと深呼吸した。


「……ふぅぅ。……。じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」


 コホン、と軽く咳ばらいをして続ける。


「……そんなわけで、誰にも秘密にして創作活動をしてたんですが、中学校のときに私のそういう趣味がクラスの人にバレてしまってしまったんです。

 それがきっかけで、好きなはずの創作なのに現実の冴えない自分の影がちらついて、没頭できなくなってしまい……絵が描けなくなってしまった。

 それこそ、最近になってようやくスランプから脱出できたぐらいでして……」


「それは……まるで、ボクと同じ……」


「はい。千景さんのお話を聞いていて、よく似てるって思いました。

 だから分かるんです。

 現実の自分と理想の自分、どっちもひっくるめて自分自身なんだって。

 ……両方を受け入れていかないと、ダメになっちゃうんだって!

 千景さんがいくらヒカリさんになろうとしても、千景さんであることには変わりない。……むしろ、千景さんのままで自信を持ってほしいんです」


 ……そう、そうなのだ。

 倉庫の中の山積みのお仕事ノート。

 勉強し続けたのは、他ならぬ千景さん自身のはず。

 そんな自分の努力を「不器用」という一言で切り捨ててほしくない。


「……ヒカリさんがあんなにテキパキと仕事をできるのは、千景さんが努力しているおかげ! 千景さんこそがすごいんだって、ご自分でわかって欲しいんです!」


「違うのです。

 千景ちかげは『かげ』。

 誰も見てない暗がりでしか頑張れない落ちこぼれ。

 本当に父と母の助けになるのはヒカリなのです」


 千景さんは首を横に振り続ける。目をつむって、何も見るまいとするように。

 でも、耳は塞がないでいてくれる。

 ……だから、私は囁くように言葉をつむいだ。

 千景さんの心にしみ込むことを願って。


「私は絵を描くんですけど……、明るい色だけでは物の形を描けないんです。

 影があるからこそ、物の輪郭がわかり、私たちはその存在を認識できるようになる。魅力ある絵は、光だけではなく影も同時に存在するんです」


「同時……?」


「はい。

 だから、ヒカリさんを演じている時点で、すでにそこに千景さんもいるんです。

 熱心な勉強家なだけではない。

 ご両親を助ける一心で『ヒカリさん』まで演じている。

 ……すべて、千景さんがご自分でやっていることですよ」


 千景さんの努力は誰にも否定させない。

 千景さん自身にも、否定なんてさせたくなかった。


 それに、そもそもヒカリさんなんていなくても、千景さんは十分に魅力的なのだ。

 だってヒカリさんの存在を知る前から、私は千景さんの魅力に見惚れていたのだから。

 恥ずかしがり屋で不慣れなはずなのに、山で私を気にかけてくれてたのだから。


「そもそも、私はヒカリさんじゃない千景さんも……大好きなんですけどね」


「……ボクはいいと思ったこと、ないのです。

 影だけでは、絵は真っ黒になってしまうのです」


 そう言って、千景さんはプイっと横を向いてしまった。


「真っ黒でいいじゃないですか。私、好きですよ。黒い絵。

 なんか、黒ってかっこいいじゃないですか。

 ……それに、その黒はたくさんの想いが集まって黒くなってるんです」


「……想い?」


「ええ。お店のために頑張って勉強し続けた、熱い想いが形作った黒。

 ……黒曜石こくようせきみたいにきらめいて、すごく素敵ですよ」


黒曜石こくようせき……?」


 千景さんの目が潤む。

 ……その瞳の奥に光が宿ったような気がした。


「はい。黒曜石は熱い溶岩から生まれるんです。

 黒く透き通っていて、とてもきれい……。

 きっとヒカリさんは、その千景さんという魅力が放つきらめきの光にしか過ぎないんです」


 千景さんの肩はいつの間にか震え、私を見つめる目には涙があふれてきていた。


「ましろさん。……ボクを泣かせたいのですか……?」


「笑わせたいんです。自信を持ってください!

 千景さんは私の大好きな人なんですから!」


「ましろさん……!」


 涙を浮かべながら、千景さんはやさしく微笑んでくれていた。


 なんて愛おしい人なんだろう。

 その眼差しがあまりにも美しくて、私はたまらず抱きしめる。


「く……苦しいのです。ましろさん……」


「ご、ごめんなさい!」



「……でも、安心したのです」


 唐突に投げかけられた言葉の意味が解らず、私は戸惑ってしまう。


「えっと……。私がなにか……?」


 すると千景さんは私を見上げて微笑んだ。


「誰にも秘密にしていた作品作りがバレて、絵が描けなくなったというお話……。

 聞いた時には自分の事のように辛くなったのです。

 ……あんなに魅力的な絵を描けるまでには、たくさんの時間と想いを費やしてきたはず……。

 だから、今はスランプから脱出できたということで、本当に安心したのです」


 そう言って、千景さんはにっこりと笑ってくれた。


「……そんな。わざわざ私のことを心配してくれてたなんて……」


 なんということだろう。千景さんは自分自身が大変な状況にあったのに、私のことも気にかけてくれてたのだ。


「……もしよければ、ボクにもましろさんの好きなことや絵を、たくさん教えて欲しいのです。それに、これからは趣味がバレても、落ち込む必要はないのですよ。

 ましろさんの作品はとっても素敵だし、自信を持ってほしいのです。ボクが保証するのです!」


「千景……さん……」


 その言葉を聞いて、私の心が震えた。

 千景さんの微笑みに、私の心は高鳴りを抑えられない。

 この感覚は、かつてリリィさんに救われた時の気持ちと同じ。

 言葉は違えど、千景さんはリリィさんと同じことを言ってくれたのだ。


 ……私は自分が怖がられてもいいと思えるほど、千景さんを救いたかった。

 でも、同時に違和感を覚えていた。


 「救う」だなんて、おこがましい言葉だ。

 だって、それはちっとも公平じゃない。

 私はどっちが上とか下とか考えたくなかったのだ……。


 だから、この千景さんの言葉はうれしかった。

 千景さんも私を救ってくれていたんだ。


 もう、こうなっては想いを心にとどめることなんて、できるはずがなかった。

 想いは言葉となり、私の中から飛び出していく。


「わ、私と……友達になってください!」


 ……それは現実で友達がいない私にとって、口にするのもはばかられる特別な言葉。

 気軽に言えるものじゃない。

 ……でも、もう我慢できなかったのだ。



 私は答えを待つ。


 ……答えを待つ。


 でも、いつまでも千景さんの言葉はなかった。



 千景さんの表情を恐る恐るうかがうと、千景さんは床を見つめてうつむいている。

 断られるっていう最悪の想像が心を駆け巡り、とても平穏ではいられなくなってしまう。


「せ、せ……先輩と後輩で友達なんて、変……でしょうか?」


 ……そうたずねるのがやっとだった。

 でも、答えを聞くのが怖くて、膝が震えてくる。


 その時、千景さんがポツリポツリとつぶやくように話し始めた。


「ましろさんはボクのことを、すごいと言ってくれたのです。

 ……でも、すごいなんて、すぐにはどうしても思えません。

 ヒカリはまだまだ必要で、このウィッグはまだ手放せないのです。

 千景はヒカリの影に隠れていないと何もできない、ダメな奴なのです」


 千景さんの沈黙は拒絶の言葉ではなかった。

 私の言葉を静かに噛みしめてくれていたのだ。

 そして同時に、人が変わる難しさを伝えてくれてもいた。


「あぅぅ……。そんなにダメって、言わないでください……」


 そう懇願した時、千景さんの表情に光が灯った。

 頑なに着け続けていた銀髪のウィッグを、千景さんは自らの手でそっと取り去る。


「でも、ましろさんになら見せられます。

 ……特別でもなんでもない、ただの千景を。

 ……友達になるのに、先輩とか後輩とか関係ないのですよ」


 千景さんは、とてもうれしそうに微笑み、手を差し伸べてくれた。



「ボクの友達に……なってください」


 その恥ずかしそうに微笑む千景さんを、私はきっと忘れない。


「よろしく……お願いします」


 私は満面の笑みを浮かべ、千景さんのきれいな手を包み込むように握りしめた。


 私よりもひとつ年上の女の子。

 そして……大切な友達。



 これから大会に向けて、たくさんの大変なことがあるかもしれない。

 でも千景さんが見せてくれた素顔の微笑みを思い出せば、きっと大丈夫。


 きっと頑張れるはずだ――。




 第三章「陰になり日向になり」 完 

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