第一章 第四話「岩フェチって……変なの?」

 私が部室から出ようとした瞬間、ロープで縛り上げられてしまった。

 ……もしかして、ほたか先輩は投げ縄の得意なカウガールなんじゃなかろうか?

 あんな一瞬で縛ってしまうなんて、尋常じゃない!


 私は部室からの脱出も叶わずに縛られ、椅子にくくり付けられてしまった。


「あぅ~。なんで縛ったんですかぁ……?」

「それは……ここにちょうどザイルがあったし、逃げないでほしいなぁって思ったからっ!」


「ザイルって、このロープのことですかぁ?」

「……うん」


「ザイルがあったって、人を縛っちゃダメですよぉ~っ!」


 ほたか先輩を一瞬でもリリィさんっぽいと思ったけど、間違ってた。

 私が半泣きになっていると、先輩はうるんだ瞳で私の膝にすり寄ってくる。


「ましろちゃん……。お姉さんとインターハイを目指そっ!

 たった一言、『入部する』って言って欲しいの!」


「縛られてるのにオッケーする人、いるわけないですよぉ。

 それより離してぇぇ~。

 早く校長先生に言いに行かなきゃ、本当に選手登録されちゃうぅ……」


「だめぇぇ。お願いだから、入部してぇ~。この通りだからぁ……」


 そして、なんとほたか先輩は必死に土下座しはじめた。

 さらに私の足にすがりついてくる。


「私よりも体力ある人、いますってぇ……」

「いないのぉ~!」


「あぅ?」

「うちの学校は部活必須だから、み~んなどこかに所属済みなの。どこにも所属してないのは補習クラスのましろちゃんたちだけなのぉ!」


「剱さんがいるじゃないですかぁ~」

「ましろちゃんが入ってくれないと、人数が足りないの~」


 そう言って、再びほたか先輩は床に額をこすりつけた。

 本物の土下座を見るのは生まれて初めてだし、自分には絶対にできない。


 ここまで必死になるなんて、登山部はほたか先輩にとって、そんなに大切なんだろうか?

 女子高生と登山の似合わなさに疑問を感じ、先輩の必死さの理由が知りたくなってきた。


「……あの。なんでそんなに山にこだわるんですか?」


 私が素朴な疑問を口にすると、ほたか先輩は顔を上げ、目を輝かせる。


「ましろちゃん! やっぱり興味を持ってくれたの?」


「な、なんというか……。

 女子なのに登山部にここまで必死になるって、珍しいなぁって……」

「そ……そんなに珍しいかな?」


「えっと……。洋服やお化粧とか、男子に興味を持つのが普通なのかなって……?」

「ましろちゃんも?」

「いやっ! 私はそういうのに興味はないです!

 もっぱら漫画やアニメばっかりで……」


 いけない。つい話がそれてしまった。

 ……気を取り直して、ほたか先輩に質問する。


「ほたか先輩は、山の何が好きなんですか……?」


 その言葉が点火剤だったのか、ほたか先輩は急に立ち上がり、力強くこぶしを握りしめた。


「お姉さんが大好きなのは日本アルプス!

 なかでも、北アルプスの森林限界なの!」


 日本アルプスという言葉は聞いたことがある。確か、長野や群馬あたりの山脈のことだ。


 でも、もう一つの言葉は聞きなれないものだった。


「しんりん……げんかい?」


「森林限界っていうのは気温や水源、地質の関係で高い木が育たないような環境のことでね、日本だと高い山や北の地方にある場所のことなの。

 高い木がないから、本当に遠くまで見渡せてね!

 何よりもあの険しくかっこいい岩肌を堪能できるのが、もう、最高……!」


 ほたか先輩は怒涛どとうのようにしゃべりながら、だんだんとうっとりとした表情になっている。


「か、かっこいい岩肌……ですか?」


「そう! 特に北アルプスは露出した岩、切り立った崖が美しいの。

 天空を貫くような槍ヶ岳やりがたけ、氷河をまとったつるぎだけ

 そしてなによりも、お姉さんの名前の元になった穂高ほたか連峰れんぽう

 おく穂高ほたか、大キレット、ジャンダルム……。

 あの雄々しく、巨大で、人の世界なんて意にも介さないぐらいの

 厳しい岩の世界……。

 はぁ、はぁ、はぁ……」


 ほたか先輩は前のめりになって、息を乱している。


「あぅぅ。興奮しすぎです。お話はもう十分ですよ……」

「えぇ……。だって、まだ山の魅力を少しも語れてないよ?

 本番はこれから……」


「……ほたか先輩の趣味はちょっと特殊すぎて、ついていけないというか……」


 ほたか先輩は山の魅力を力説してくれたみたいだけど、よくわからなかった。

 すっかり置いてけぼりの私は、ほたか先輩が『変』と言われていたことを思い出す。

 もしかすると、登山部に部員が入らないのは先輩のこういう変なところのせいかもしれない。



 私がドン引きしていることが分かったのか、ほたか先輩の表情はみるみると曇っていった。


「うう……。やっぱりそうだよね。……今までもね、山の魅力を伝えようとするたびに、みんな嫌そうに逃げちゃうの」

「それは、そうですよぉ……」


「……みんな、お山に興味がないのかなぁ。岩が嫌いなのかなぁ」

「……いや、山に興味がないからというより、ほたか先輩が変だからなのでは……」


「へ……へん?」


 ほたか先輩は目と口を開いたまま、止まってしまった。

 ショックを受けてしまったのか、とても悲しそうな眼をしている。


「かっこいい岩が好きって……そんなに変なのかな……?」


 落ち込んだようにつぶやくほたか先輩を見て、私はやってしまった、と思った。


 理解できないからと言って、人の趣味や人格を否定するなんて、オタクの流儀に反している。

 私だって自分の創作活動やオタク趣味がバレた時にあんなにショックだったのに、そんな自分が同じ過ちを犯してしまうなんてあってはならなかった。


 私は前言を撤回しようと、必死に首を横に振る。


「ち、違うんです!

 ただの勉強不足で、お話が十分楽しめなかっただけでして……」


 ほたか先輩は変な人だけど、悪い人じゃない。

 傷つけるのは本意じゃなかった。



 その時、下校のチャイムが鳴り響いた。

 はっとして窓の外を見ると、空は茜色に染まっている。


「あぅぅ……。本当に選手登録されちゃう。離してくださいよぉ……」


 私が悲鳴を上げても、ほたか先輩は無言のまま首を横に振る。

 どうやら、本気で解放してくれる気がないらしい。


 私は仕方なく、部室の奥に視線を送った。

 ……そこには膨らんだ寝袋が置いてある。


「……あの。寝袋に隠れてる方でいいので、助けてほしいんですけど……」

「えっ? ま、ましろちゃん。何を言ってるのかな? だだ誰も隠れてないよ?」


 ほたか先輩が上ずった声で慌てるので、これは決定的だ。


 実は部室に入った時から私は気付いていた。

 部室の奥の窓際に山積みになった寝袋……その一つがやけに膨らんでいることを。

 自慢じゃないけど、絵を描くので観察力には自信がある。


「……うまく隠れてるし、身動き一つしなかったのは凄いですけど、私の目はごまかせないですよぉ~。お願いだから助けてくださいぃ~」


 その声に反応して、寝袋が動き出す。

 寝袋の……たぶん顔を出す穴から足が飛び出てきた。


 たぶん頭から寝袋をかぶっているのだろう。

 その何者かは、フラフラと立ち上がる。



 その寝袋人間は私たちのほうに歩み寄ろうとしているようだけど、当然前が見えていないようで、テーブルにぶつかって転んでしまった。


「……ほたか。手伝って」


 女の子の声が寝袋の中から聞こえてきた。

 ……しかも、すっごく可愛い声。


 ほたか先輩は慌てたように寝袋人間の元に駆け寄ると、足首近くにあるファスナーの取っ手を引っ張り、寝袋を開いた。


 すると、中からは一人の女の子が現れる。



 その姿を見た瞬間、私の美少女ハンターとしてのアンテナがビンビンに反応しまくった。

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