第21話 二人の時間と翌朝


 篠崎――桜奈さくなと一緒にうちで勉強をしているときに、スマホが鳴った。スマホン表示される名前で、相手が誰か解る。


「悪いな、篠……桜奈。ちょっと電話してくる」


 それから十分ほどして、俺が部屋に戻ると……桜奈が顔を上げる。


「榊……颯太そうた君、何かあった? もしかして忙しいなら、私の事なんて気にしないで良いからね」


 詮索なんてしないで、桜奈は俺の気持ちを考えてくれる……それは有難いけど気遣いなんて要らないと、俺は桜奈に微笑み掛ける。


「別にたいした事じゃないんだ……親戚の叔父さんと、来週の日曜日に会う事になったんだよ」


 昨日、葵には言ってしまったが――俺は親戚の連中が嫌いだ。だけど、電話があった叔父は唯一の例外と言える相手で……いや、そんな事を言ったら、あいつ・・・が怒るだろうな。


「そうなんだ……颯太君は、その叔父さんとよく会うの?」


 俺の反応に安心したのか、桜奈は優しく微笑む。


「そうだな……年に何回かってところかな。俺の世話を色々と焼いてくれる人でね……だからって俺の生活には干渉しないで、好きなようにやらせてくれる。俺にとっては凄く有難い存在だよ」


 両親の思い出の詰まったこの家で、俺が一人で暮らし続ける事が出来たのは――全部叔父さんのおかげだ。


「へえー……颯太君は、叔父さんを信頼してるんだね」


 俺に家族がいないことを知っている桜奈は、信頼できる親戚がいると聞いて、自分の事のように喜んでくれる。


「そう言えば、桜奈の家の事は聞いた事がなかったけど……」


 俺の言葉に、桜奈の瞳が一瞬だけ曇るが――


「……うちは、全然普通だよ。私も颯太君と同じで一人っ子だけど、お父さんもお母さんも元気だから!」


 すぐに桜奈は微笑んだけど……無理している事くらいは俺にだって解った。


 蘭子を頃った夜に桜奈の家まで送って行ったとき――別れ際の桜奈は何かを言い掛けていた。


「なあ、桜奈……おまえは俺に気を遣い過ぎなんだよ。その気持ちは嬉しいけどさ……俺だって桜奈の力になりたいんだ」


「え……」


 驚いた顔で俺を見つめる桜奈――俺は桜奈の瞳を見つめ返す。


「先に謝っとくけど、俺の勘違いだったらゴメン……桜奈が繁華街で遊ぶようになったのって、桜奈のお父さんかお母さんが原因じゃないのか?」


 そう言うと、桜奈は俯いてしまう――俺は何て無神経なんだ、人の家庭の事情に土足で踏み込むような真似をして。


 桜奈と出会う前なら、きっと俺はそう思っていただろう……だけど、今は違う。


「桜奈……俺は、親が生きているだけで幸せだなんて思わない。生きているからこそ、嫌なところが見えるから……それに傷つく事だって、俺は解っているつもりだ」


 うちの親戚の連中がまさにそうだ――だから、俺も自分勝手な理屈を振り翳す大人の事は知っている。だけど、そんな事じゃなくて……


 正直に言おう――俺は篠崎桜奈しのざきさくなと一緒にいたい。そして……桜奈の全部を、もっと知りたいんだ。


「桜奈が言いたくないなら良いよ……だったら、これ以上は何も訊かない。だけど……俺だって、桜奈の傍にいたいんだ。だから……桜奈に嫌な事があるなら、少しでも俺が受け止めたいんだよ」


 このとき突然――温かくて柔らかいモノが、俺の胸に飛び込んでくる。


「颯太君はズルいよ……今、颯太君の話をしてた筈なのに……」


 桜奈の声は震えていた……だから、俺は躊躇ためらう事なく、桜奈を強くを抱きしめる。


 温かいモノで俺の胸が濡れる――それが何か俺にも解ったから、さらに強く腕に力を込めた。


「颯太君、あのね……」


 そして、篠崎桜奈は自分の両親の事についての全てを、俺に語ってくれた――


 両親の話を全て語り終えた桜奈を――俺はもう一度強く抱きしめる。


「俺には、両親の事をどうすれば良いかなんて言えないけど……おまえの隣りには、俺がずっといるから……」


 これだけ聞けば、俺と桜奈は互いに傷を舐めっているように思うかも知れないけど――決して、そんな事はないと断言できる。


 だって、俺たちは……自分よりも、相手の事の方が大切だって思うから。


※ ※ ※ ※


 翌朝、葵が約束通りにうちに来た――ランニングを終えて俺が戻って来ると。うちのキッチンに、葵が立っていたのだ。


 今日は学校だから、さすがに葵も普通に制服で……葵の学校の制服はセーラー服だった。


 俺は土曜日の格好とのギャップを感じながら――これはこれでアリかと思ってしまう。


「どうしたの、颯太……そんなに見ないでよ?」


 恥ずかし気に頬を染める葵が可愛い――昨日、桜奈とお互いの話をして、桜奈の傍にいたいと思った筈なのに……葵の事も可愛いなんて思っている自分に俺は呆れていた。


「朝ご飯はもうすぐ出来るから……颯太は先にシャワーを浴びてきたら?」


 そんな俺の気持ちになんて、葵が気づく筈もなく。俺は促されるままに冷たいシャワーを浴びる。


 そして、俺がリビングに戻って来ると――炊き立てのご飯の匂いがした。


「ほら、颯太座って……すぐに用意するから」


 葵が作った朝食は――じゃがいもと玉ねぎの味噌汁に、焼き鮭と御飯。


「葵……凄く美味いよ!」


 こんな風に真面まともな朝飯を食べるなんて……俺にとっては本当に久しぶりだった。


「颯太……そんなに褒めてくれると、私も凄く嬉しいよ……」


 はにかむ様に笑う葵――また俺は葵を可愛いと思ってしまった。


 二人の女の子を、どっちも可愛いと思うだなんて……俺って結構良い加減な奴だなって自覚していたが……


 これが『胃袋を鷲掴みにされる』感覚なんだって――俺は何となく思っていた。


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