第13話 葵と篠崎と子犬


「篠崎さんと二人きりで買い物とか……いったいどういう事か、説明しなさいよ!」


 俺を睨みつけながら仁王立ちする葵に――俺は呆れた顔をする。


「どういうつもりも何も……電話で話したように、普通に買物に行っただけだよ。俺は週末じゃないと、買い出しとか行けないからな」


 バイトの事は葵に話していないが、俺は食糧品や日用品を詰め込んだ大きなレジ袋を幾つも両手に抱えている。だから、俺が週末に買い出しに行かなければいけない理由を、葵も察したようだ。


「ゴメン、颯太……」


 葵が申し訳なさそうな顔をするので、俺もそれ以上責める気はなかった。


「まあ、気にするなよ……それよりも、立ち話もなんだし。とりあえず、中に入らないか?」


「……うん」


 まだ何となく躊躇ためらっている感じの葵を促して、俺はリビングまで二人を案内する。いや、仁王立ちしてたのには驚いたけど、そこまで気にするような事じゃないとは思う。


 さすがに葵も、今はうちのキッチンを勝手に使うつもりはないようだ。葵と篠崎はリビングのテーブルを挟んで、気不味い感じで黙り込んでいる。昨日と似たようなシチュエーションだが、仲直りの場の筈なのに、今日の方が空気が重い……


 俺は三人分コップに飲み物を入れると、テーブルまで運んで行く。


「まだぬるいと思うけど……氷を入れたから勘弁しろよ?」


「ありがとう、榊原君……」


 篠崎は普通に礼を言うが、


「え……そ、颯太、ありがとう!」


 葵は凄く嬉しそうに微笑む――昨日思い出したのだから、さすがに葵が苦手なコーヒーを出したりはしない。俺は飲み物なんて牛乳と水くらいしか買わないが。さっき〇オンで紅茶のペットボトルを買っておいたのだ。


 俺は二人から少し離れた場所で椅子に座って、自分の分の紅茶を飲む――甘い飲み物は苦手だけど、このくらいの甘さなら問題ない。


 それから暫く、俺は二人の様子を黙って見ていたが――葵はいつまで経っても話始めようとしなかった。仕方ない……ちょっと背中を押してやるか。


「葵は……篠崎に話があるんだよな?」


 俺に出来るのは此処までだ。さあ、葵……頑張れ。


「うん……ねえ、篠崎さん?」


 葵が言い辛いそうに話し始めると……篠崎は顔を上げて、真っ直ぐに葵を見る。


「あの、昨日の事なんだけど……ごめん! 私の態度って、嫌な感じだっよね!」


 思いきり頭を下げられて、篠崎は慌てるように両手を振る。


「そ、そんな、気にしないでよ……秋山さんが謝る必要なんてないよ。私だって、いきなり榊原君の家に来て、図々しかったと思うし……だから、こちらの方こそ、ごめんさない!」


 篠崎が謝る理由なんてないと思うが――互いに謝った葵と篠崎は、顔を見合わせて苦笑する。そんな二人の様子に、俺も思わず微笑んでいた。


「なあ。葵、篠崎……これで二人とも納得したって事で、良いんだよな?」


「うん……颯太、ありがとう」


「榊原君……私も、ありがとう!」


 二人から礼を言われて、ちょっと気恥ずかしい。俺は頬を掻きながら――


「それじゃ、篠崎……お待ちかねの子犬タイムにしようか?」




 子犬がいるのは、俺の部屋だ。万が一、夜に子犬が急に具合が悪くなっても気づく事と、エアコンの効率を考えて決めた。


 余分な荷物を他の部屋に移動したスペースに――今は、犬用の柵が置いてある。昔、うちでも犬を飼っていたので、そのときに使っていたモノを物置から出したのだ。


「ワンちゃん……会いたかったよ!」


 部屋に入るなり、篠崎は子犬に駆け寄って抱き上げる。


「わん……」


 子犬の方もペロペロと篠崎の顔を舐めた。


「子犬を拾ったって言ってたけど……本当に小さい幼犬なのね」


 葵も当然のように、一緒に付いて来ていた。昨日葵がうちに来たときには、子犬は俺の部屋で昼寝中だったから。葵が子犬を見るのは今日が始めてた。


 幼馴染みである葵は、うちで飼っていた犬の事も知っているが。特別犬好きという訳じゃない。そう言えば、子供の頃に飼い犬と遊んでいると……


「葵ってさ、俺が犬と遊んでると……『犬なんかよりも、私と遊びなさいよ!』とか言って、よく怒ってたよな」


「な……颯太は何を言ってるのよ! そんなの記憶にないわ!」


 葵は真っ赤になって否定する。


「何だよ、散々やった癖に……言い逃れするつもりなのか?」


「そ、そうだとしてもよ……子供の頃の事なんだから、忘れなさいよ!」


「ふーん……まあ、良いけどさ」


 これ以上いじると、また葵が怒りそうなので止める。


 俺たちが話している間も、篠崎はずっと子犬と戯れていた。買ってきた子犬用のおやつを小さく千切ると、自分のてのひらに乗せて食べさせる。


「ホント……篠崎も犬が好きだよな」


「うん、そうだよ……だけど、うちはずっとマンションだから、飼わせて貰えなかったの」


「そうか……だったら俺のうちに犬がいる間だけでも、いつでも遊びに来て構わないからな」


「榊原君……本当! ありがとう、凄く嬉しいよ……」


 そう言いながら、篠崎は微笑みは何処か寂しげだった。

 俺たちは文也さんに頼んで、子犬の貰い手を探して貰っている。だから、貰い手が見つかったら、子犬とお別れしなければならない。


「あのね、榊原君……ちょっと意地悪な質問になっちゃうんだけど。榊原君も……犬を飼いたい事は飼いたいんだよね?」


 篠崎が遠慮がちに言う。


「ああ、そうだけど……篠崎も知ってるように、うちには俺しか居ないからな。犬の面倒を見るのは難しいと思う」


 俺は七時まで学校で勉強しているし、バイトもある。家に帰ってくるのは、いつも十一時半頃だ。そこから風呂に入って即就寝。朝も飯の支度と洗濯と、ランニングに筋トレ。今の生活をしている限り、犬の世話をする時間の余裕はない。


 ランニングと筋トレを止めれば……勉強やバイトの時間を減らせばと、考えなくもないが。身体を鍛えるのは父親との約束だし、大学に行くには、勉強の時間もバイトの時間も減らせない。自分の力だけで親戚に文句を言われない・・・・・・・・・・・大学を卒業するって……俺自身が決めたのだから。


「そうだよね、榊原君は忙しいから……」


 篠崎にしては珍しく歯切れの悪い言葉だった。


「篠崎、どうしたんだよ? 言いたい事があるなら、言ってくれないか?」


 別に責めるとか、そんなつもりはなくて。俺は篠崎が何を考えているのか知りたかった。


「うーん……あのね? こんな事を言うと、榊原君に図々しいとか思われるかも知れないけど……」


 篠崎は葛藤を抱えるように、何とか言葉にしようと頑張っていた。


「私が……ワンちゃんの散歩とか、面倒を見るってのは駄目かな? ほら、私はバイトもしてないし、部活もないから……毎朝、榊原君の家に来て、ワンちゃんの面倒を見るってのはどうかな?」


 篠崎の言葉は自分勝手に聞こえるかも知れないが――俺には篠崎の気持ちが解っていた。


 勿論、篠崎も犬好きで、子犬と一緒に遊びたいのも本心だ。だけど、一番の理由は……両親が死んで一人で暮らしている俺のところに、子犬がいれば寂しさが紛れるんじゃないかって……そう思って、篠崎は言っているのだ。


※注:土曜日に、葵は自分の部屋の窓から子犬を見ていますが。颯太と篠崎に気を取られて、子犬の事は良く見ていません。

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