第8話 家の対決とバイト先の対決


 俺は、篠崎桜奈しのざきさくなと、秋山葵あきやまあおいを連れて、リビングに戻った。葵を帰らせるという選択肢もあったが――二人の目が納得していなかったのだ。


 リビングのテーブルを挟んで向かい合う篠崎と葵。俺は二人の間に座っているが――どういうシチュエーションなんだよ? 全然意味が解んないんだけど……


「えっと……私は秋山葵あきやまあおい。隣りに住んでいる颯太の幼馴染だけど……貴女は?」


「私は篠崎桜奈しのざきさくな。榊原君の友達で、一緒に子犬を拾って……今日は勉強を教えて貰いに来たの」


「ふーん……友達・・ね?」


 葵が勝ち誇るように笑う。その意図を察したのか、篠崎がぎこちない笑顔で応じた。


「えーと……秋山さん、どういう意味かな?」


「別に……でも、ただの友達・・・・・よりは、幼馴染の方が颯太との距離が近いと思うけど?」


 葵の言い方は、端で聞いている俺にも鼻に付いた。


「おい、葵……幼馴染とか言っても、俺とおまえは三年くらい会ってないよな?」


 俺がフォローすると篠崎は嬉しそうな笑みを浮かべて、葵は憮然とした顔をする。


「颯太……それは、あんたが……」


 葵が何を言いたいのか、俺には解っていたし。葵には悪いと思う気持ちもあったが――今の俺にとって二人のどちらが大切なのか、それは明白だった。


「葵……悪いけど、今日のところは帰って貰えるか? おまえは……篠崎を馬鹿にしたから。そう云うの……俺は嫌いだからさ」


 俺の言葉に葵は愕然として。唇を噛みしめながら、まだ何か言いたそうな顔をしていると――


「駄目だよ、榊原君……私のために怒ってくれたのは嬉しいんだけど」


 何故か、篠崎が困った顔で口を挟む。


「秋山さんだって……たぶん、榊原君の事が心配で来てくれたんじゃないのかな?」


 隣りに住んでいるというのに、三年も会っていない幼馴染――その原因は全部俺にあるのだが、篠崎は俺の両親の事を知って……俺と葵の事も何となく察してくれたようだ。


 そして俺自身も――篠崎の言葉に気づかされる。そうだよな、葵だって……わざわざ文句を言うために来た訳じゃない。


「ごめん、葵……俺が言い過ぎたよ」


 俺は素直に謝ったつもりだったが――


「颯太……馬鹿にしないでよ。私は全然……そんなんじゃないから!」


 葵はそう言って立ち上がると、走るようにして出て行ってしまう。バタンと音を立てて閉まる玄関のドア――


「葵……」


 俺は葵を怒らせるような事を言ったのだろうか――これまでの事を考えれば、どれだけ嫌われても仕方がないと思う。


「榊原君……」


 篠崎は俺を気遣うように見つめていた。俺は篠崎の手に触れたいと思うが――葵の事を考えると、そんなことは出来なかった。


※ ※ ※ ※


 その後も暫く、俺と篠崎は無言で座っていたが。時間を浪費するだけなので、二人で勉強をする事にした。


 夕方になると俺は篠崎を送って、そのままバイトに向かう。


「よう、颯太……早かったな。今日は結構予約が入ってるから、助かるよ」


 文也さんに言われて、俺は早々に着替えると今夜のメニューの下拵えを始める。


 葵との事は――正直に言えば、今さらだと思う。俺は頭を切り替えて、バイトに集中した。


 『アルテミス』はガールズバーだが――旨い飯を出す事で他と差別化を図っている。可愛いお姉さんと美味しい料理……両方揃えば無敵だと云うのが文也さんの持論だった。


 俺は下拵えくらいしかできないけど、出来る事を精一杯にやる。あとは料理の腕もプロ級の文也さんに任せるだけだ。


「何だよ、颯太……随分と頑張ってるな」


 そう言って声を掛けて来たのは――先輩の阿部大輔あべだいすけさんだ。


 真っ赤な髪の毛に、青い瞳のカラコン……こんな格好をしているが、大輔だいすけさんは地元の国立大学の工学部の学生だ。バイト歴としては一年強の先輩だけど、仕事ぶりは、それ以上に大きな差を感じる。俺にも良くしてくれるから、文也さんの次くらいに尊敬していた。


「こいつは一番と二番さんの分だ……颯太、ヨロシク!」


 大輔さんに渡されたトレーを俺はカウンターの端まで運ぶ。


「お待たせしました……フライドポテトに、ブラッディーマリーに、ジントニックです」

 カウンターの一番席と二番席は二人組の若いサラリーマン風の客で、芽以さんと美久瑠さん……うちのキャストのお姉さんたちが、相手をしていた。


「颯太、ありがとう!」


「うん、今日も頑張ってるね!」


 俺は二人とハイタッチ――らしくもないと思うが、これが『アルテミス』のノリ・・で。バイトモードの俺は、店の雰囲気に合わせて行動する。


 しかし、今日の客はそれが気に入らなかったようで――


「何だよ。客を差し置いて、従業員同士でイチャつくとか……ムカつくな!」


「そうだよな……俺たちは金を払って飲んでるのに、どういう事だよ?」


 二人の客は舌打ちして、あからさまに文句を言ってくる。


「あの……」


 空気を読んで、俺は謝ろうとするが、


「お客様……うちの従業員が、何か不快な事をしましたか?」


 文也さんが直ぐに、フォローしてくれた。


「そういう事はオーナーである私の責任ですから……至らない点がありましたら、何なりと言ってください」


「いや、ホント申し訳ありませんね……俺がこいつの教育係なんです! 何か問題がありましたら、全部俺のせいですから!」


 続いて、大輔だいすけがやってきて――二人の笑顔だけど有無を言わせない雰囲気が、客たちを黙らせる。


「いや、そこまで言う気は……」


「そうですか、ありがとうございます……これは当店のサービスですので」


 文也さんが二人の酒を追加で持って来ると、それで全部丸く収まってしまった。


 俺は……この二人には絶対勝てないと思う。


※ ※ ※ ※


 今日は土曜日だから、俺は閉店までバイトをしていた。キャストのお姉さんたちが帰って、俺と文也さんと大輔さんの三人で店の掃除をしていると。


「おい、颯太……何を難しい顔してるんだよ?」


 大輔さんが揶揄からかうような口調で話し掛けてくる。


「いや……今日の文也さんと大輔さんの対応を見て、自分の不甲斐なさを実感したって言うか……」


 俺が素直な気持ちを言うと、大輔さんは優しい笑みを浮かべる。


「それは、そうだろう……高校生の颯太に敗けてたら、俺の方こそ文也さんに怒られるからな」


「おい、大輔……おまえの接客とか、全然まだまだだからな?」


 文也さんがフンと鼻を鳴らして、意地の悪い顔をする。


「え……酷いなあ、文也さん。俺だって、結構成長したでしょ?」


「ああ、結構な……でも、店を任せられるレベルじゃないな」


 アルテミスは四号店の出店を計画している――二号店と三号店の店長はバイト上がりで、文也さんが自分で選んだ人だった。


「まあ、そうでしょうね。俺も頑張りますよ……颯太の二倍くらいはね!」


 別に俺の事を悪く言っている訳じゃない――文也さんは俺の死んだ父親の後輩だから、俺を特別扱いして高校生なのにバイトで使ってくれている。だから、大輔さんに比べれば俺が劣っているのは仕方のない事なのだが……


「大輔さん、それは聞き捨てならないな! 俺だって店に出ている以上は、精一杯頑張るからさ!」


 俺がこういう反応をするのを期待して、大輔さんは発破を掛けてくれているのだ。だからこそ――俺は精一杯頑張ろうと思う。バイトに過ぎないなんて、この二人の前では絶対に言えなかった。


「ところで……颯太? 篠崎さんだっけ? あの子とは何か進展あったのか?」


 文也さんの不意打ちに――


「え……文也さん? もしかして、颯太に彼女が出来たとか?」


 大輔さんも完全に揶揄からかいモードに入る。


「いや、そう言いうんじゃないから……学校の同級生で、この前一緒に子犬を拾ったから。貰い手が見つかるまで、一緒に面倒を見てるんだよ」


 別に嘘なんて言ってないが……文也さんも大輔さんもニヤニヤ笑っている。


「そうか……颯太にもようやく春が……」


「おい、大輔……揶揄からかうのは良いが。そのせいで駄目になったら、代わりの女ぐらい紹介しろよ?」


「あのさ……ホント、そう云うんじゃないから……」


 今何て言っても、揶揄からかわれるだけなのは解っていたけど――


「えっと……今の話はどういう事? 颯太の童貞は私が貰うって言ったでしょ? 女子高生のお子様より……お姉さんの方が、颯太は好きよね?」


 夜食のための料理を取りに来ると聞いていなかったのは、俺だけか? 『アルテミス』のキャストのナンバーワン――高城美月たかしろみつきさんが、店の入口に立ちながら、不敵な笑顔を浮かべていた。


 内跳ねのナチュラルなロングに、悪戯っぽい瞳――推定Fカップなのに、ウエストラインは物凄く細くて。この人に勝てる男なんて、そうはいないと思う……文也さん以外は。


「よう、美月……あんまり颯太を揶揄わないでくれよ」


「そんなんじゃないわよ……私は颯太君が好きだから」


 流し目と、思わせぶりな笑み。


「いや、そう云うのがさ……何なら、俺が相手をするけど?」


「うーん……文也さんは、私よりも良い女を知ってそうだから嫌。颯太君なら……私色に染められるから!」


「おい……まあ、最後は颯太が決めれば良いんだけどな?」


 この状態で高校二年の男子に丸投げするか? 俺は一瞬そう思ったが――全部試されているだけだと、すぐに理解する。


「あの、美月さん……俺みたいなガキじゃ、美月さんとは釣り合いませんから」


「え……そんな謙遜する事ないじゃない? 私としては……凄く残念よ」


 そう言って美月さんが帰っていくと――


「颯太おまえ……美月さんを振るとか、マジで尊敬するよ!」


 大輔さんに真顔で言われた。


「いや……颯太は何も解っていないだけだからな」


 文也さんにも同情の視線を向けられて――俺は自分が何をしたのかようやく気付く。


 いや、マジかよ……『アルテミス』のナンバーワンキャストに、本気で誘われてただなんて……高校生の俺に解る筈が無いだろう?


 だけど――別に後悔なんてしていない。いや、たぶん……

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