第42話 屋敷の朝

「本当にありがとうございます。これで私も自由になれます」


 少女はそう言って目を輝かせていたのだけれど、その瞳には生気が感じられなかった。それを不思議に思っていると少女はおもむろに僕の隣に立ってその細い体を僕に絡ませてきた。


「お兄さんのお陰で私は自由になれたのです。これは本当に感謝してもしきれないのです。何かお礼をしたいんですけど、お兄さんは何をされたらうれしいんですか?」

「お礼とかは別に期待していないんだけど、さっきみたいに一緒にご飯食べてくれるだけでもいいんだよ」

「助けてくれた恩人に言うことではないと思うのですが、さっきみたいに一緒にご飯食べてくれるって何を言ってるんですか?」

「え、僕がこの屋敷に入ってから食堂に案内してくれたり、食事の用意をしてくれたりこのテラスまで案内してくれたり色々してくれたのは君なんじゃないの?」

「何言ってるんですか、私はさっきまで絵の中に封印されていたんですよ。そんな事が出来るならとっくにこの絵の封印を解いてますよ。もしかして、お兄さんって幽霊とかそういう類のものに騙されたんじゃないですか。絵の中に入っていた私が言うのもおかしいかもしれませんが、それって変な話ですよね」

「それはそれでいいとして、このままここにいればいいのかな?」

「そうですね。私の家族ももういないようですし、お兄さんの時間が許す限り一緒にいてもらえると嬉しいです」

「僕は仲間たちとはぐれちゃってるんだけど、その仲間が見つかるまでの間だったら大丈夫だよ。それに、この屋敷って三階に部屋がたくさんあるけどどこも使ってないのかな?」

「その部屋は使用人さんたちのためのものなですけど、今は誰も使ってないと思いますよ。一階にある私の部屋もそのままだといいなって思ってるんですけど、一緒に見に行ってもらってもいいですか?」


 少女は僕の返事を待たずに僕の手を取って駆けだした。足取りは軽いようで僕もついていくのに必死になってしまったけれど、階段を降りるときはやたらと慎重だったのが面白かった。

 少女の部屋についたのだけれど、この部屋もそうだがこの屋敷の部屋はどうやってもあかなかったのだ。鍵がついているわけでもないみたいなのだけれど、全く動く気配もなかった。僕は結局地下室を除けば自分で開けた扉は一つもないのだ。少女は扉に手をかけただけだったのに、まるで自動扉のようにスムーズに扉が開いた。


「よかった。どれくらいあの絵の中にいたのかわからなかったから心配だったけど、部屋は全然綺麗なままでした。お掃除とかもそんなに念入りにしなくてもよさそうだし、他の部屋も見てみましょうか。お兄さんが使う部屋も探さないといけないですしね」

「いやいや、この部屋の扉はどうやって開けたの?」

「え、普通に開けただけですけど」

「さっき一通り部屋を調べようと思ってみた時には完全に閉まってたんだけど、鍵を開けたわけでもないのにどうやって開けたの?」

「ああ、この建物の入口は全て登録してある魔力の認証が必要なですよ。権限さえあればどの部屋でも自由に出入りすることが出来るんです。私はこの屋敷の全てを管理する権限があるんですよ。ただ、あとから作られたあの地下室は別なんですけどね」

「そう言ってるけど、お父さんとかお母さんはいないのかな?」

「私が産まれた時にはもうお父さんはいなかったみたいですし、お母さんも私を産んですぐに死んだそうですよ。私はおばあちゃんに育ててもらったんですけど、お父さんもお母さんも魔法を使うのが苦手だったみたいなんでそれでよかったんだと思ってます。今はまだ完全に力を取り戻してないですけど、ちゃんとした力を取り戻すことが出来たらお兄さんにもお礼してあげるからね」

「ところで、もう少しで太陽が出てくるみたいだけど君は隠れたりしなくて平気なのかな?」

「隠れる? なんで?」

「いや、それだけ白い肌なんだから、太陽の光が苦手なのかなって思ってさ」

「まぶしいのは苦手だけど、太陽は平気だよ。もしかして、お兄さんって私の事を吸血鬼か何かだと思ってたでしょ?」


 僕はその問いかけに無言で頷いた。少女はそれを見て今までにないくらいの笑顔で笑っていた。その目にはうっすらと涙を浮かべるほどだったので、よほど面白かったようだ。


「はあ、そんな風に思ってたのね。大丈夫、私は吸血鬼じゃないし他人の命とかにも興味は無いからね。さすがにお兄さんが死んだら悲しいとは思うだろうけど、それ以外の人の命は興味ないわ」

「それもそれでどうかとは思うけど、これから何をしたらいいかな?」

「そうね、とりあえずは何か食べることにしましょう」


 僕は再び少女に手を引かれて食堂へと向かった。窓越しに見える中庭の空がうっすらと白んできているので夜明けはもう近いのだろう。夜中に少し寝ただけなので少し眠い気もしているけれど、僕は少しだけ小腹を満たしておきたいと思っていたので少女の意見委従ったのだ。


「うん、いい匂いね。相変わらず美味しそうなものを作ってくれるのね。お兄さんも一緒にいただきましょうね」


 僕は先ほどの食事の際に座った席に腰を下ろしたのだ。少女は僕の正面ではなく隣に座っていた。その様子に僕が驚いていると、少女は少しだけいたずらっぽくほほ笑んだ。

 いつの間にか出されていたスープを飲み終わると、少女はそのまま席を立って暖炉の部屋へと移動してしまった。まだ食事は続くのかと思っていたのだけれど、スープを飲み終えた後には何も出てこなかった。よく見ると、カトラリーもスープ用のスプーンだけしか用意されていなかった。

 僕も暖炉の前にあるソファーに座ると、少女は僕の隣に座り直してもたれかかってきた。


「ねえ、お兄さんって私を助けてくれた恩人なんだし、お礼がたくさんしたいんだけど、ちょっとだけ私のお願いを聞いてもらってもいいかな?」

「それってどんな願いかな?」

「私の代わりに下の集落に行って様子を見てきてほしいの。私が行くとちょっと面倒なことになると思うんだよね」

「それくらいだったら構わないけど、様子を見に行くのなら僕と一緒に行くのはダメなのかな?」

「一緒に良ければそれが一番なんだけど、私は少しだけここでやらないといけないことがあるの。ね、お願いします」


 僕は少女の願いを聞いてあげることにした。暖かいスープを飲んで暖炉の前に座っていると、いつの間にか眠気が襲ってきていた。自分の意志では起きていようと思っているのだけれど、どうも体はそれに従ってくれないようだった。僕はいつの間にか眠りに落ちてしまった。



 僕はベッドの中で目を覚ましたのだけれど、暖炉の前から移動した記憶はない。あの華奢な少女が僕を起こさずに移動させることなんてできないと思うのだけれど、他に誰かがいた形跡はなかったはずだ。

 窓から見える外の世界は完全に昼になっていたのだが、少しだけ雲が多いように見えた。僕はかけられていた自分の服を着ると、恐る恐る扉に手をかけた。扉は何の抵抗もなく開いたのだ。僕はあっけにとられていたのだけれど、夜に見た廊下とは違って太陽に照らされた廊下はどこも明るく照らされていて美しさすら感じていた。


 そのまま廊下を歩いていると、昨日は入れなかった部屋から少女が出てきた。僕の様子を見た少女は笑顔で駆け寄ってくると、僕の裾を引いて話しかけてきた。


「今日は集落の様子を見てきてほしいんだけど、その前にちょっといいかしら?」


 少女は屈んだ僕の頭を触ると、優しい声で囁いた。


「その寝癖を直してから行った方がいいと思うな」


 僕は少女に案内されて洗面所に行って髪を直そうとしたのだけれど、洗面所には鏡が無かった。僕は仕方なく手探りで髪を直したのだけれど、上手くいっていないのか少女が直してくれることになった。


「お兄さんは一人でナニも出来ないのかな?」


 少女の言葉は少し嬉しそうに感じていたけれど、僕は少女にされるがままになっていた。

 下にある集落の人達はどんな人達なのだろうと思いながらも、僕は渡されたマントを羽織って屋敷を出ることになった。

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