第30話 天使と堕天使と

 その日、天界は珍しく天気が荒れていた。数千年間にわたって晴れが続いていたのだけれど、寒い風が吹きすさび遠くでは雷鳴が響いていたのだけれど、それは主の怒りが表面に現れている証だった。

 たった一人の天使の反逆によって、下級天使の約七割と上級天使の大半を失い、大天使に至っては自分以外は全て命を落としていたのだ。自分も他の大天使と同様に命を落としていたはずだったのだけれど、なぜか命を与えられて新しい姿で生まれ変わったのだった。


「ミカエルよ、貴様はなぜルシフェルの手によって生かされたか理解しておるのか?」

「いいえ。自分はなぜなのかわからないです」

「貴様はやつにもう一度戦いを挑む気はあるのか?」

「今の自分には戦うことは出来ても足止めすらすることは出来ないと思っていますが、主がお望みとあらば出向く覚悟は出来ております」

「今の戦力では奴の足止めも出来ぬであろう。こうなれば、余が自ら出向くしかあるまい。余の力の一端を切り取りて奴に差し向けることとしよう。ミカエルの見立てではどれほどの力を割けば良いと考えるか?」

「恐れながら申し上げます。自分の考えでは、主の力の一割も必要ないかと存じます」

「そうか、ルシフェルはそれほど巨大な力を手に入れたのだな。では、ミカエルよ、今一度ルシフェルのもとに行き、状況を伺ってくるのだ」


 自分は主の命に従ってルシフェル様を探しに行ったのだけれど、以前戦ったところには当然のように誰もいなかった。あれだけあった天使の死体も綺麗に片付いており、今では激しい戦闘があった事すら嘘のように感じてしまうような光景が広がっていた。

 ルシフェル様との戦いがあったのは最近の事のように感じていたのだけれど、この世界の時間ではすでに数百年経っているようで、当時の事を知るものはもう残っていないだろう。地上にいる人間が自分を見て何か驚いているようだけれど、それはこの世界には以前のように天使がやってこないからなのかもしれない。主の力によって少しずつ天使は量産されているのだけれど、まだまだ天界から離れられるほどの兵力は備わっていないのだ。

 ルシフェル様が他に行きそうな場所を探ってみようと思ったのだけれど、自分にはその心当たりがなく、多くの人が集まる場所に行ってみる事にした。

 単純に人が多い場所と、多くの力が集まっている場所は違うらしく、自分は力の集まっている場所に降り立った。空から地上に降りたのはずいぶんと久しぶりだったのだけれど、上手く歩くことが出来なかったので、結局は少しだけ浮いて行動をする事にした。


 人間にしてはそれなりの強さを持っている者が多いみたいではあったけれど、今では神の使徒の首席となっている自分にとっては取るに足らない存在に思える程度だった。


「そこの人間に問う。ルシフェル様はいらっしゃるか?」

「ルシフェル様ですか。そのような方は存じ上げませんが、一体どのようなご用件でありましょうか?」

「そうか、手間をかけさせたな。ここにいないのならば他を当たるまでだ。ルシフェル様の居場所に心当たりなどは無いか?」

「ルシフェル様とおっしゃられる方は存じ上げませんが、ルシファー様でしたらこの先にある湖の湖畔に居を構えておられますが」

「ルシファー殿がルシフェル様である可能性が高そうだな。もし異なっていたとしても他を当たればよいか。手間をとらせてしまったな。礼を言うぞ」


 自分はその人間の教えてくれた方向に向かうと、一軒の屋敷を見つけることが出来た。その屋敷には多くの人間がいるようなのだが、肝心のルシフェル様がいる様子は見られなかった。

 中庭に降り立つと、その周りにいた人間どもが一斉に戦闘態勢になっていた。自分には敵意は無いのだけれど、これだけの敵意を向けられると抑えることが出来るか心配になってしまう。それでも、こちらから仕掛けない限り攻めてくる様子もなく、お互いに無言の時間が続いていた。


「おや、誰かと思えばミカエルかな。ずいぶんと小さくなったみたいだけれど、その力はあまり変わらないんだね」

「ルシフェル様ではないですか、ここにいらっしゃったのですね」

「君達と戦ったのはずいぶん昔のように思えたけれど、今回は新たに宣戦布告でもしに来たのかな?」


 屋敷の中から登場したルシフェル様は以前とは違って完全に人間の姿をしていた。天使でも堕天使でもなく人間の姿をしていた。

 ルシフェル様が中庭に出てくると、人垣が割れてルシフェル様が進みやすいように道が出来ていた。自分が戦うつもりも無いというのがわかっているからだろうか、見守っている人達の戦闘態勢が解かれていっていた。


「勘弁してくださいよ。正直に言って自分たちの戦力じゃルシフェル様には勝てないっスよ。それを知っていてそんな事を言うなんて、相変わらず酷い人っスね」

「そうなのか、あれからずいぶんと時間が経っているような気はしていたけれど、そこまで戦力は戻っていないんだね」

「そうなんっスよ。今、魔界や冥界から刺客が襲ってきたら天界は大惨事になるかもしれないっスよ。大惨事になったとしても、主がいるので滅ぶことはないと思うんっスけど、良かったらもう一度主の下でルシフェル様のその力を使いませんか?」

「ああ、それなんだけどさ、俺はもうルシフェルじゃないんだよ。今はルシファーと名乗っているんだよね」

「それはダメっス。ルシファーなんて堕天使っぽい名前じゃないっスか。自分はそんなの認めないっスよ」

「いや、堕天使っぽいって言われてもさ。実際に俺はあの神に対して反旗を翻したし、悪魔とも契約して力を手に入れてるし、何だったら魔界のほとんどを掌握してるんだぜ。それで堕天していないってのは無理があるんじゃないかな?」

「そうだとしても、自分の尊敬するルシフェル様は今でも大天使ルシフェル様っスよ。って、魔界のほとんどを掌握しているって、どういう事っすか?」

「そのまんまの意味だよ。今はまだ神の力に対抗できるとは思っていないんだけど、そのうち片目位は潰せるようになると思うよ。だからさ、お前もこっちにこいよ。今のお前は俺が与えた命によって生かされているんだぜ」

「その事を言うのは反則っス。自分はそれでも主を裏切ることは出来ないっス。どんなに言われてもそれだけは無理っス」

「それは残念だけど、そのうちお前は俺の仲間になるはずだよ。今の世界はまだ不完全なままだし、真に平和と安定を願うのであれば、規則や戒律で縛りつけたって駄目さ。圧倒的な力で抑えつけることによって全ては安定に繋がると思うんだよ。そこまでたどり着く前にこの世界が終わってしまう可能性だってあるんだけど、個人が様々な考えを持って暮らしていく事でしか生まれない自由だってあるんじゃないかな。それに、そんな世界にこそ成長が促されると思うんだよね」

「そんなのは詭弁っス。自分は主の唱える平和論の方が好きっス」

「どっちが正しいかなんてどうでもいいんだよ。どっちも正しくてどっちも間違っているだけなんだからね。それでいいんだよ」


 自分はルシフェル様を見つけることが出来たけれど、主にはどういう風に伝えればいいのかわからなかった。魔界の大半を掌握しているという事は以前よりは強くなっていると思うのだけれど、その力の全容を明らかにしない限りは説明のしようものないのではないだろうか。もしかしたら、主の力にかなり近づいているかもしれないし、以前と何も変わらないのかもしれない。


「ルシフェル様の力って、どれくらい伸びてるんっスか?」

「本気を出したお前らには勝てないと思うよ」


 冗談っぽくそう言っていたけれど、自分にはその真意が掴み切れなかった。掴み切れないまま自分は天界に戻る事にした。

 自分が見たありのままを主に伝えたのだけれど、主は少しだけ考えた末に自らの力の三割を注いでルシフェル様の前に立ちはだかる事にしたようだった。


 結果的に、その戦いはルシフェル様の圧勝に終わったのだ。

 主は三割もの力を失ってしまったのだが、その結果、天界の復興と天使の創造は以前よりも大幅に遅れる事となってしまった。


「ルシフェルの力を見誤ってしまったのだな。このままでは余の力を凌ぐほどの成長を見せるかもしれぬ。天使が成長することなどありえないのだが、ルシフェルは何らかの力を手に入れて成長したようだ。……時にミカエルよ、お主も以前より強さを身につけておらぬか?」

「はい、自分は以前の姿の時のような力を取り戻せているみたいです。体は変化ありませんが、内包されている魔力は以前の領域まで戻りつつあります」

「そうか、お主はルシフェルの手によって新しい命を得たのであったな。その力によって貴様の力が成長をしているのかもしれぬ。良いか、余を退けたルシフェルによって創りかえられた世界に赴き、ルシフェルの行動を監視せよ。隙があればその命を亡き者にする事も許そう」


 こうして自分はルシフェル様が創りかえた新しい世界に向かう事になったっス。自分がどんなに成長してもルシフェル様の命を奪うこと何って無理だと思うっスけど、主に命じられたなら仕方ないっス。せっかく与えられた命なんで、有効に使わせてもらう事にするっスよ。

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