第2話 旅立ちの前

「せっかくだから自己紹介しましょうよ」


 カップルの二人は何だかイチャイチャしているだけだし、堕天使の人は真顔でずっと私を見ているだけなのだった。イケメンに見つめられるのは嬉しかったりするのだけれど、それが一分以上になると恐怖でしかない。体感時間ではあるけれど、もう一時間以上も見つめられている気がしていた。そんな状況を打破しようと勇気を振り絞ってみたのだ。これだけ大勢の前で何かを発言するのは勤務初日の朝礼で挨拶をさせられた時以来かもしれない。私に集まる視線が怖いけど、何かしないとこの状況は変えられないと思っての事だった。だが、私を見ているのは男性二人だけで少女は全く私の事を見ようともしていなかった。


「じゃ、じゃあ、私から自己紹介します。名前は岬咲良です」

「え?」

「え?」

「え?」


 私は名前を言っただけなのにカップル二人が驚いた顔をして私を見つめてきた。私は意外過ぎるその反応に戸惑って同じリアクションを返してしまった。堕天使の人は私たちの反応に遅れて同じリアクションをしていたのだけれど、一人だけ反応が違ったのが焦っているようで可愛らしく思えた。


「お姉さんは岬さんって苗字なんですね。僕の彼女は名前がみさきなんですよ。岬さんって呼ぶと彼女をさん付けで呼んでるみたいになっちゃうなぁ。ねえ、お姉さんの事をサクラさんって呼んでもいいですかね?」

「えー、まー君が他の女の子の事を名前で呼んじゃうのか。でも、私の名前と苗字一緒だから仕方ないもんね。それ以外に深い意味なんてないんだよね?」

「うん、それ以外に深い意味なんてないよ」

「この人の方が胸が大きいとかスタイルがいいとか関係ないんだよね?」

「もちろん、僕はみさきの事しか見てないからね」

「知ってるよ。でもね、私もスタイル良くなりたかったな」

「大丈夫、みさきは可愛いよ」

「ほんとに?」

「ああ、本当さ」


 このバカップルの相手をしないといけないのかと思うと頭が痛くなってきたけれど、二人が幸せそうならそれでいいや。あんまり深く考えないで家族として見ることにしたら少しはイライラしなくて済むのかもしれないね。無理っぽいけど。


「じゃあ、続きをいきます。えっと、特にないです。これと言って自慢できるような事は何もしてこなかったと思いますし、こっちに来る前も引き籠ってたりしてました。そんな私が仲間みたいな感じになってごめんなさい」


 あれ、何か良い事を言ってやろうと思っていたけれど、私ってずっと引き籠っていただけで何もしてないんだった。自慢できるとしても絵が褒められたとかライブ配信で生活できるくらいの収入を得ていたとかそんなもんしかないしね。この世界ではそれも出来なそうだし役に立たない女に戻ってしまったのかも。


「お姉さんって純潔の巫女なんですよね?」

「ええ、そう言われたけど」

「ってことは、少なくても私達の倍は生きているってことになりますよね?」

「え、そうなの?」

「純潔の巫女って、三十歳過ぎても処女の人だけしかなれないって聞いたんで、それなら一番若くても私達の倍の年齢だなって思ったんですよ。でも、三十越えてるのにその見た目って正直憧れって言うか、凄いなって思いますよ。でも、そんなおっぱいじゃまー君は誘惑できないですからね」

「ああ、本当はもう少しだけ年相応の見た目だったと思うんだけど、ここで目覚めたら若い時の姿に戻っていただけなんだよね。って、三十で倍ってことは十五歳ってこと?」

「そうですけど。まー君はもう誕生日を迎えて十六になってますが、私は三月生まれなんでまだ十五です。お姉さんってその年まで彼氏いなかったんですか?」

「うん、ネットでは言い寄ってくれる人もいたにはいたんですけど、現実ではそんな人はいなかったな。どうすれば良かったのかな?」

「今私に聞かれても困るんですけど。ネットなんかやめて外に出ればよかったんじゃないですか?」

「そうなんだけどさ、就職で躓いてから人前に出るのも怖くなっちゃったんだよね。最初は家族も同情的だったんだけど、それが一年二年と続いていくうちに何も言われなくなっちゃってさ、どうしていいのかわからなくなっちゃったんだよね。そんな時にネットにあげたイラストで私の事を褒めてくれる人がいたのが嬉しかったな。それで少しだけ自信を取り戻せてイラストや漫画を描いてみる事にしたんだけど、結局はそれが中途半端にうまくいって現実世界に戻れなくなった原因かもね。批判されたりすることもあったけれど、私には、私を思ってくれている人がいるって事が嬉しかったよ。その人達にあんの挨拶も出来ずにここにきてしまったのは数少ない心残りではあるけれどね」

「なんか、ごめんなさい。事情も知らずにきつい事言い過ぎました」

「良いのよ。あなたも色々大変な事あるだろうし、ここでは生まれ変われたと思って頑張る事にするからさ」

「あ、頑張るってのは応援しますけど、まー君の事を取ろうとするのだけはやめてくださいね」


 この女の子はいい子っぽいんだけど、彼氏の事が絡むと少し面倒な感じになっちゃうのかな?

 それにしても、踊り子って明らかに世界を救うって感じの職業じゃないよね。堕天使も違うだろうって言われたらそんなんだろうけどさ、踊りで世界を救うってのが良くわからないな。そもそも、この世界は平和で安定しているらしいので救う必要も無いんだろうけどね。救う必要が無いくらい平和な世界だから躍りでみんなを楽しませるってことなのかもしれない。

 ちょっとまって、今思ったんだけど、巫女になる人が少ないって言ってたのってそれだけ経験済みの女の子が多いってことになるよね。私よりも年下のこの子もそう言う事になるのかな。よし、考えるのはやめておこう。


「じゃあ、次は僕が自己紹介しますね。僕は前田正樹十六歳です。この世界に来るまでは普通の高校生でした。あんまり群れるのは好きじゃないんですけど、四人くらいなら大丈夫だと思います。あと、先に言っておきますが、この世界では死んでも生き返れると聞いていますが僕の彼女と他の誰かが危険にさらされている時は彼女を優先させていただきます。その後で残った人を助けてから、彼女を襲おうとしたやつをどうにかすると思います。僕は神官になったみたいなんですけど、神様を見たことが無いのでどうしたらいいのかわかりませんが、彼女の事を女神だと思っているので僕の神様は彼女のみさきだと思います」


 私の事ではないのだとわかっているのだけれど、彼女のみさきという言葉に少しだけ反応してしまった。前田君の彼女のみさきちゃんがそれに反応して私を睨んでいるのが見ていないのにわかるくらいの殺気を感じてしまった。


「えっと、まー君の彼女の佐藤みさきです。私は名字で呼ばれるのが好きじゃないので名前で呼んでくれて大丈夫です。踊り子って言われたけど、ダンスなんてやった事無いし興味も無いです。教えてくれる人もいなそうだし、まー君の横で踊る事にします。あ、お姉さんの半分くらいの十五歳です」


 この子は本当に彼氏の事が好きなんだろうという事が伝わってきたけど、それは彼氏の方も同じなのだろう。私の高校時代にもこんな相手がいればよかったのにと思っても過去には戻れないし、この世界で若返ることが出来たんだし前よりは上手くやっていこう。


「じゃあ、最後に堕天使さんお願いします」


「…………」


「あの、自己紹介をお願いできませんか?」

「ああ、俺の名前はルシファーだ。理由あってこの世界に来たのだけれど、その目的は君達となら達成できそうだ。この世界ではそうそうある事ではないと思っているのだけれど、戦闘ごとに巻き込まれたのなら俺を頼るといい。以上だ」

「ルシファーさんって言うんですか、僕がやっていたゲームにも出てましたよ。ゲームのルシファーは強かったけれど、ルシファーさんも強そうですよね。今まで戦ったりしてきたんですか?」

「ああ、君達がそのゲームでやっていたような事は経験してきたと思うぞ」

「でも、ゲームの中のルシファーは神の軍団にやられちゃったりしてたんですよね。神の軍団とかと戦ったりもしてたんですか?」

「神の軍団か。色々あって話せば長くなるのだが、俺がここにいるという事がどういう結末を迎えたのかの答えになるだろう」

「もしかして、もしかしたら、もしかすると、ルシファーさんって神に勝ったんですか?」

「正確に言うと、神そのものではなく神の意志、神の力に勝ったという事になるのかもしれないな」

「へー、凄いですよ。憧れですよ。僕は神官になってるのに信じる神がいないってのもおかしいと思うんで、僕はルシファーさんの事を神と崇め奉ります。ねえ、みさきもそうしようよ」

「私はまー君がそうしたいならそれでもいいと思うけど、まー君の事を一番に考えることにするよ」

「ありがと。サクラさんも一緒にルシファーさんの事を崇め奉ってくださいよ」

「あ、そ、そうすることにしようかな」


 結局自己紹介をしてもらったのにお互いの事が良くわからなくなってしまったな。ルシファーさんって本当の事を言っているのかイマイチわからないんだけど、行動の端々から感じる威圧感とかはあるんだよね。それにしても、みんなの事をまとめようと思ってノートに色々書いてみたんだけど、纏めるだけのものが無かったな。無意識のうちに絵を描いてしまったんだけど、この構図は今までなかった新しいものだよ。私のイラストを好きだって言ってくれるファンの子たちにも見せたかったな。


「ちょっと待って下さい。お姉さんのその絵ってもしかして、あげ餅味噌煮先生のイラストを真似てませんか?」

「え、あげ餅味噌煮のイラスト?」


 なんでこの子があげ餅味噌煮を知っているんだろう?

 高校生向けのイラストはあげ餅味噌煮名義ではあげたことが無いと思うんだけど、もしかして、あの同人を読んでいたのかな?


「お姉さんもあげ餅味噌煮先生の事好きなんですか?」

「え、好きって言うか、どういうこと?」

「いや、私はあげ餅味噌煮先生のファンなんですよ。たまたま目に入ったイラストに惹かれてファンメを送ったところ、とても丁寧なメッセージが返って来たんですよね。それで、イラストが上手なだけじゃなく人間性まで素晴らしい人なんだって思って好きになっちゃったんです。でも、自分で真似して書いてみてもお姉さんみたいに上手く描けなかったんですよね。そんなに上手にあげ餅味噌煮先生みたいなイラストを描いているってことは、相当なファンだってことですよね?」

「いや、ファンでは無い……かな」

「ええ、そんなに上手なのにファンじゃないなんて、ファンを通り越して本人だと思っているとかですか?」

「本人だと思っているって言うか、あげ餅味噌煮は私の裏ペンネームですよ」

「またまた、私に取り入ろうとしてそんな事言っても無駄ですよ。大体、私があげ餅味噌煮先生のファンだってまー君も知らないのにどうやって知ったんですか?」

「それは知らないけど、ちょっとまって。もしかして、応援メッセージくれてたバターコアラさん?」

「え、なんでその名前を知っているんですか?」

「本当にバターコアラさんなの?」

「何のことか全然わからないんですけど、その名前はどこで知ったんですか?」

「違うならごめんなさい。私がイラストを上げるたびにコメント書いてくれる人がいるんだけど、その人は褒めるだけじゃなくてダメなとこはちゃんとダメだって言ってくれる人なんだよね。その人がいたから私は自分のイラストのダメなところを見つめ直してよりよいものが描けるようになったと思ってるんだ。私は褒められるだけだとダメになる人間だって自分でも理解してるんで、バターコアラさんがいなかったらイラストやめてたかもしれないんだよね」

「ちょっと待ってください、あげ餅味噌煮先生のイラストにそのバターコアラさんって人も助けられたと思うんですよ。よく知らない人だけど、そんな助けてくれた人がそう言ってくれるなんて、その人が聞いたら嬉しくて泣いちゃうと思いますよ。嬉しくて泣いてますよ」

「よくわからないけど、みさきもサクラさんも良かったね。どんなイラストを描いたのか僕にも見せてよ」


 前田君が私の描いたイラストを見た瞬間に固まったのがわかってしまった。それはそうだよね。イラストのモデルが自分と隣にいるルシファーであって、その二人が裸で抱き合っているイラストなんだもん。さっきよりも前田君が遠くに感じるよ。


「あの、あげ餅味噌煮先生にお願いがあるんですけど」

「何かな?」

「今度私の好きな構図で一枚お願いします」

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