第2章 ── 第4話

 テントで息を殺していると、マリストリアの目に赤黒い影が映る。

 その数は凡そ四つ。


 正体不明の影たちも息を殺して近づいて来ているようだ。

 マリストリアは目を凝らして、そんな影の様子を窺う。


 敵かどうかは解らないのだが、息を殺して近づいてくる様子や手に何か持っている気がする事で敵だと判断する。


 ドラゴンの姿であれば、一瞬で勝てる程度の敵だ。

 だが、今のマリストリアは人型、それも人としては子供程度の大きさしかない。


 マリストリアとしては戦闘に自信はあった。

 しかし、冒険譚を読んで、その自信は揺らいでた。

 たかがレベル五程度で強くなった気でいたら、命がいくらあっても足りないのではないか。

 冒険者というものは、いついかなる時にも慢心せず、警戒し、行動する。

 そして与えられた目的を果たすのだ。


 普通の冒険者に言わせれば、理想を見すぎだと思うかもしれない。

 でも、マリストリアは『ストラーザ・ヴァリスト・エンティル』に代表される冒険譚……いわゆる英雄の冒険譚で得た冒険者像しかしらないのだ。

 理想の冒険者に英雄を置いては、巷の冒険者は溜まったものではないだろう。


──パキリ


 マリストリアはハッとした。


 少し物思いに警戒を疎かにしていた。

 一瞬で身体中を緊張させる。


 細心の注意でテントの垂れ幕から外の様子を窺った。


 いたっ!


 それはマリスよりも少し大きいくらいの緑色の肌をした生き物だった。


「ゲキグ……」

「グルヴァス……」


 ヒソヒソと知らない言語で話す生き物の手には、サビの浮く短剣ダガー小剣ショート・ソードを手にしている。


「……ゴブリン……」


 ヴァリスが本当に小さい声で囁いた。


 ほう……あれがゴブリンかや?


 ゴブリンとはトリ・エンティルの物語にも出てきた生物だ。

 一匹一匹はそれほど強くないという。

 だが、群れをなしたゴブリンは非常に厄介らしい。


 知性を持っているため、毒を使ったり、飛び道具を使ったり、冒険者のように連携したりするらしい。


 トリ・エンティルは一〇〇匹を超えるゴブリンを相手にし、矢が尽きたというのに何匹もの敵を射抜いたという。


 矢が無いのにどうやって射抜いたのかは判らない。

 魔法を使う野伏レンジャーだから、きっと魔法の力を使ったのだろう。


 そんなゴブリンが四匹……

 数では圧倒的にこちらが不利。


 勝てるじゃろうか……?


 ヴァリスを見上げると、彼の顔は血の気が失せ、身体は少し震えている。

 その姿を見てマリストリアは身体中に力がみなぎるのを感じた。


 我が此奴を守らずして誰が守るのじゃ!

 兄者に大口を叩いておいて、守るべき者を守れずのでは、ニルズヘルグの名折れじゃろう!


「ヴァリス、我は行くぞ。お主はテントの中におれ!」

「あ! ちょっと……!」


 マリストリアは、ヴァリスが止めるのも聞かずにテントから飛び出した。


「ゲギャ!?」

「ムガリャグ!」


 盾を構えたまま、敵の真ん中に突っ込む。

 防御したゴブリンの小剣ショート・ソード大盾タワー・シールドがぶつかり「ガシャン!」と大きな音を立てた。


 一匹のゴブリンがよろけた瞬間、マリストリアは小剣ショート・ソードを突き出す。


 グサリとゴブリンの胸に良く手入れをされたマリストリアの小剣ショート・ソードが突き刺さる。


 冒険譚のようにその小剣ショート・ソードの刃を捻じり、ゴブリンの傷を広げる。

 ブシュッとゴブリンの臭い血液が吹き上がり、マリストリアの盾を汚した。


「ゲギャ!!?」


 他のゴブリンは意表を突かれて動けないでいたが、すぐに気を取り直してマリストリアから距離を取って武器を構え直している。


「グギャゲガ!」

「ゲルド!」


 ゴブリンの喚き声にマリストリアは眉を顰めた。


「何を言っておるのかサッパリ解らぬ!」


 ピクピクと痙攣するゴブリンの胸板から血に濡れた小剣ショート・ソードを引き抜いて再び構える。


 ゴブリンたちはマリストリアを取り囲むようにグルグルと彼女の周囲を回り始めた。

 マリストリアも油断なくゴブリンの動きを窺う。


 後ろからゴブリンの一匹が短剣ダガーを素早く突き出してくる。

 咄嗟に前に飛び、着地した瞬間にゴブリンに向き直る。


 左のゴブリンが、小剣ショート・ソード大盾タワー・シールドの隙間を狙おうと攻撃してくる。

 マリストリアは大盾タワー・シールドを動かして敵の小剣ショート・ソードから身体や腕をカバーする。


 ガツンと大きな音を立てて防御は成功した。

 しかし、その瞬間にマリストリアは隙を作ってしまった。

 右のゴブリンの小剣ショート・ソードがマリストリアの右肩のアーマーに激突した。


 斬撃によるダメージは無かったものの、打撃によるダメージを受ける。


「うぐっ!?」


 反射的に右のゴブリンを小剣ショート・ソードで横薙ぎに払う。

 しかし、その斬撃はゴブリンに掠った程度で、大したダメージは与えられなかった。


 実戦がこんなに難しいとは思わなかったのじゃ……


 本気で殺しに来る敵の動きは、住処で相手した小さい生き物と比べるべくもない。


「ま、負けられぬ!」


 マリストリアの脳裏にふと何かが浮かんだ。


「シールド・バッシュ!!」


 防御されて体勢がいくらか崩れたゴブリンに向け、マリストリアの身体が自動的に動く。


 ズドンと目にも留まらぬ早さで大盾タワー・シールドと共にマリストリアの身体がターゲットのゴブリンへぶち当たる。


「ゲフ……」


 ゴブリンは武器ごと腕がひしゃげて吹き飛ぶ。

 そのままゴブリンは白目を剥いて地面をバウンドして藪に突っ込んだ。


「これで二匹じゃ!」

「グルボズ!」


 だが、それは悪手だった。

 正面にいたゴブリンにマリストリアは完全に背中を向けてしまった。


 その隙をゴブリンは見逃さなかった。

 ゴブリンの小剣ショート・ソードがマリストリアの背中を刺した。

 フルプレートなら殆どの刃を弾き返すが、その小剣ショート・ソードの刃はプレートとプレートの隙間に吸い込まれた。


「ぐっ!」


 だが、着込みのチェイン・メイルで刃を何とか防ぐことができた。しかし、それなりのダメージは食らってしまう。


 直ぐにマリストリアはステップして敵を正面に捉えるように移動する。


 何とか二匹倒すことが出来たのじゃが……今まで通り動けるか解らぬな……


 ズキズキと右側の腰が痛む。

 確実に刃の先端はマリストリアの皮膚を切り裂いていた。


 マリストリアの心を怒りと共に焦燥が襲う。


 本当に此奴らに勝てるじゃろか。

 残っている内の一匹は他の者よりも手練のような感じじゃ……


 鎧の中にじっとりと汗が滲む。

 下ろしたフェイスマスクの所為か、妙に息苦しく感じる。

 ハァハァとマリストリアは空気を吸い込もうとするが、妙な汗は止まらない。


 実戦による緊張とダメージ、敵からの圧力で、マリストリアのスタミナや集中力が削られていく。


 マリストリアのダメージを見たゴブリンが顔を歪めた。


「ゲギャギャ」


 ゴブリンの歪めた顔を見たマリストリアの顔にカッと熱が襲う。


 笑いおった……アレは笑ったのじゃ!


 マリストリアは嘲笑された事はない。

 誇り高き古代竜たるニーズヘッグが笑われた。

 マリストリアにはそのように感じられた。


 ゴブリンには、ゴゴゴゴとマリストリアの背後に黒いオーラが見えるように感じたかも知れない。


 王者たる古代竜の片鱗……ニーズヘッグ氏族が持つ特殊能力。

 それは『恐怖の視線』。

 ドラゴン本来の姿ではない為、大した威力ではなかった。


 しかし、ゴブリン程度には少なからず影響した。


 縦に割れたようなマリストリアの瞳孔がゴブリンを捉え、ゴブリンは身を固くした。


「うわぁあぁぁ!!」


 突然、テントの垂れ幕が跳ね上がったと思ったら、ヴァリスが剣を腰に構えるように走り出して来る。


 虚を疲れたゴブリンが一瞬だけ振り向く素振りを見せた。


 ここじゃ!!


「アサルト・ステップ!」


 マリストリアの知らぬ間に覚えたスキルが炸裂する。

 敵の行動に割り込んで高速移動するこのスキルは前方にしか動けないが、猛烈な追加ダメージ・バフを発生させる。


「いやぁあああぁぁ!」


 気合とともに突き出した小剣ショート・ソードが一匹のゴブリンに襲いかかる。


 もう一方のゴブリンは、ヴァリスとマリストリアの気合に完全に動きが取れない。


 ヴァリスとマリストリアの剣が同時にゴブリンに突き刺さる。


「グフャ……」

「グルダ……」


 戦闘は終わった。

 四匹のゴブリンのうち三匹は絶命し、一匹は完全に延びている。


 マリストリアとヴァリスは肩で息をしながら、周囲を警戒する。

 まだゴブリンが潜んでいるかもしれないという恐怖は、いまだ二人を安心させることはない。


 だが、いくら警戒しても再び襲ってくるような気配は感じられない。


 マリストリアたちは、ゴブリンの死体を片付け、そして気絶したゴブリンを縛り上げた。


 初めての実戦で二人は大分草臥れた。

 焚き火を囲み、ガックリと座り込むが、疲れの割りに睡魔は襲ってこない。


 これが冒険かや……?


 マリストリアはそう思った。

 しかし、ヴァリスというエルフの命を助けられたとも思う。

 最後にヴァリスが飛び出てきたから勝てたのかもしれない。

 それを考えると、自分が守ったとも言い切れず、マリストリアはなんとも歯がゆく思った。


「マリストリアさん……」

「何じゃ?」

「お怪我をしているようですが……?」


 右脇腹の鎧の隙間から、うっすらと血が流れている。


「ああ、一撃受けたからのう。右肩も殴られたのじゃ」

「そうでしたか。申し訳ありません。私が臆病だったばかりに」

「良いのじゃ。我は守護騎士ガーディアン・ナイトじゃ。

 戦えない者を守るのが我の役目じゃからな」


 心配そうな顔をするヴァリスにマリストリアはエッヘンと胸を張った。


 やせ我慢でしかないが、大言壮語を吐いた以上、マリストリアにはそうするしかない。


「手当くらいはしておかないと。化膿したら動けなくなりますから」


 マリストリアは鎧を脱がされ、服をたくし上げられた所には切り傷があった。その周りは紫色に変色している。


 傷口を小樽の水で洗われ、近くに自生していたらしい草をヴァリスは引き抜き、手の中で潰して傷口に当てる。

 濡らした布をその草と一緒に押し当てた状態で、マリストリアの胴体を布を引き裂いて作った包帯で巻いた。


「これで良いはずです」

「この草は何じゃ?」

「これは血を止める効果があります」

「ふむ。そんな知識も冒険には役に立ちそうじゃ」


 マリストリアは必死に草の形や色を覚えておく。

 血止めとなるなら、前衛職のマリストリアには必須知識といえる。


 やはり仲間が必要じゃろか。


 専門職がいれば任せられるのだ。

 冒険者がパーティを組む理由を実感する。


 冒険者ギルドとやらがある街に出たら、仲間を見付けようかのう。

 我のみじゃと、冒険は難しそうじゃ。


 マリストリアはヴァリスから手当を受けつつそう思うのだった。

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