第3話 『聖女』エルザ

 王族やエルザとの付き合いは、約二年前、カズキがこの世界に召喚された時から始まった。

 その日、カズキは居心地の悪い親戚の家に帰らずに、学校から近い図書館で閉館時間まで粘っていた。

 その頃のカズキの関心は、中学卒業後に就職し、親戚の匂いのしない土地で生きていく事。

 そして、猫アレルギーを改善し、どうにか猫に触りたい、と大いなる野望を抱いていた。

 親戚たちが高校卒業まで面倒を見るつもりが無いのは分かっていた。

 なにせ、中学を卒業したら働いて金を寄越せ、と面と向かって言ってくる連中である。

 しかも、風邪を引いて熱を出しても薬一つ出さずに、移るから近寄るな、と家から放り出した。

 挙句、悪化して肺炎を発症し入院したカズキに、余計な金を掛けさせやがって、と吐き捨てるクズ共である。

 そんな訳で、今からアルバイトを始めて卒業までに少しでもお金を貯めようと思い立ち、スマホもガラケーも持っていないカズキは、取り敢えず調べ物をしようと図書館に足を向けたのであった。

 異常を感じたのはその帰り道である。不意に目の前が暗くなり、立っていられない程のめまいが襲ってきた。


「ああ、いつものか」


 まともな食事が給食位しか取れないカズキは栄養が足りず、貧血でしばしば立ち眩みを起こしていた。

 経験から横になっていれば楽になることを知っていたが、体が動かない。仕方なく目を閉じてやり過ごそうとした瞬間、足元が崩れるような感覚がして、カズキは意識を失った。





 カズキが意識を取り戻すと、見知らぬ場所に立っていた。

 足元には正円に囲まれた正三角形を二つ組み合わせた図形があり、それは淡い光を放っている。

 そこは召喚の間と呼ばれていたが、カズキがその事を知るのは後の事であった。

 目の前には杖を持った金髪の少女がいて、カズキをじっと見つめている。少女の後ろには帯剣した青年と、クリーム色の毛の長い猫を抱いた女性がいた。三人は髪の色も相まってよく似た顔をしていた。


「私の言葉が分かりますか?」


 少女が語り掛けてきた。だが、カズキはそれどころではない。

 何故なら、そこにがいたからだ。

 アレルギーを発症したカズキは、激しい咳をし始める。そして、みるみるうちに目が充血し、呼吸が苦しくなってきた。

 驚いたのは他の者たちである。

 救世主を召喚したはずなのに、目の前で突然苦しみ始めたのだから。

 呆然としている三人をよそに、猫が女性の腕からぬけだして、カズキに近づいていく。

 その頃には、カズキは床に倒れてのたうち回っていた。

 猫は心配そうにカズキを見て、ペロペロと顔を舐め始める。


「ニャーオ」


 そして、いまだ固まっている三人の注意を引くように鳴いた。


「大変です!」

「フローネ! 治癒を!」

「部屋を用意してくるわね!」


 猫のお陰で我に返った彼らは、三者三様な反応をして動き出した。




 カズキはフローネの治癒魔法では症状が改善しなかった。

 フローネの魔法は、軽い病なら簡単に癒す事が出来る。だが、根本的な原因を取り除く程の魔法は、まだ習得できていなかった。

 この世界にアレルギーという言葉は存在しない。故に、猫のいる場所でいくら魔法を使っても効果は一瞬だけであった。

 もしや強力な呪いに侵されているのではないかと、寝室に移されたカズキを見守る者達は考えた。

 城の中にいる医者や学者なども呼ばれたが、彼らにも手の施しようがなかった。

 そこに現れたのがエルザである。彼女はクリスと共に戦うことが決まっていた。

 すでに聖女と呼ばれ始めていたエルザは、権力に溺れた神殿の上層部に疎まれ、邪神討伐の任を押し付けられたのである。

 本来なら彼女も召喚の儀に参加するはずだった。だが上役の高司祭に信者の礼拝を押し付けられ、間に合わなかったのである。

 エルザは部屋に入ってカズキを見た。

 何処にでもいそうな黒髪の少年であったが、じっくり観察する余裕はなさそうだった。ベッドの上で苦しそうに咳を繰り返しているからだ。

 傍らではフローネが必死に治癒魔法を唱え続けていた。

 状況が掴めなかったエルザは、傍にいたクリスに問いかけた。


「殿下。何が起こっているのですか?」

「召喚直後に。フローネの治癒魔法も効果は一瞬だけだ。呪いの類いか?」


クリスは端的に説明すると、問い返してきた。


「呪いの気配は感じません。私がやってみます」


 そう言って、フローネの反対側に立ち、魔法を詠唱し始めた。

 詠唱が大きくなるにつれ、部屋中を清浄な光が満たし始めた。光はやがて、エルザの左手に集束し、直視し難い程になっていく。

 詠唱を終えたエルザは光り輝く左手をカズキの額に当てた。


「【コンプリート・キュア】」


 エルザがそう唱えると、カズキに変化があった。

 あれだけ激しかった咳は止み、呼吸も穏やかになっている。だが、体力を使い果たしたのか気絶していた。

 流石は聖女様だ。そう思った一同は、ようやく落ち着いてカズキを見る事が出来た。そして、皆が絶句した。

 頬はこけ、手足は枝のように細く、乱れてはだけた上着の下の体は肋骨が浮き出ている。

 ソフィアはメイドに消化の良いものを作るように指示し、その場にいた者たちに解散を命じた。

 部屋に残ったのは、ソフィアとエルザの二人のみ。

 二人はカズキの様子を見ながら、静かな声で話し始めた。


「ありがとう、エルザ」

「いえ、遅れて申し訳ありませんでした」

「いいのよ。どうせいつものでしょう?」

「はい。人の足を引っ張るしか能のない方々のせいで時間をとられました」


 ソフィアは溜め息をついた。


「あいつらの所為でこの子が死にかけたのね。・・・・・・間に合ってよかったわ」

「フローネ様のお陰です。儀式でお疲れの筈なのに」

「そうね。あの子も頑張ってくれたわ。・・・・・・ところで、なんで敬語を使っているの?」


 疑問に思ったソフィアは、不思議そうにエルザに尋ねた。

 いつものエルザは国王にも敬語を使わない。何故なら、彼女はソフィアの姪で、クリストファーの幼馴染みでもある。

 その為、幼い頃から王城に出入りしていて、今では家族同様の間柄なのであった。

 そのエルザが敬語を使っている。頭でも打ったのか、悪い物でも食べたのか、と失礼な事を考えていると、エルザが思いも寄らない事を言った。


「聖女モードです」

「え?」


 やけに強調した声が返って来た。


「せいじょもーど・・・・・・?」


 予想以上に訳が分からない。初めて聞いた言葉に思考がフリーズした。

 それでも何とか理解しようと、ソフィアは重ねて尋ねた。


「聖女モードって何?」


 それに対して、エルザは何かに憑かれた様に語り始めた。


「聖女モード・・・・・・。それは、ジュリアン様発案の、『腐った教会上層部の支持率下げちゃおう作戦』を、私なりに解釈してあれやこれやして、一般の方々へアピールする時に使う私の仮の姿」


 まさかのジュリアン(皇太子)発案の作戦であった。

 確かに最近の教会上層部の腐敗ぶりは酷い。ジュリアンが対策に乗り出すのも解らなくはなかった。

 要は、最近『聖女』と呼ばれ始めたエルザの名を使い、民衆の間に大々的に広めて支持を増やし、数の力で教会上層部を打倒しようという試みであるらしかった。

 そして、首尾よく邪神を討伐出来れば、名声は更に高まる。なかなかの策であろう。

 問題は、行動で評価を獲得してきたエルザが、「敬語で話せば聖女っぽくね?」と、ジュリアンの思惑を超えて暴走しまった事であろうか。

 ちなみに、後日ソフィアがエルザの暴走についてジュリアンに確認したところ、


「エルザの事をよく知らなきゃ問題なくね?(原文ママ)」


と、答えが返って来たという。

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