10

 錆び付いた金属の柱と、床と、壁がずっと続いていた。

 三百年前、この建物は軍事工場として使われていたらしい。とはいえ今でも動いている生産設備なんてものはなく、雨風を防げる頑丈な建物程度の価値しか残っていない。その価値も、壁に吹き掛けられていた防腐コーティングが老朽化により剥げてきた事で、急速に劣化していた。しかし今の人類には、新しい防腐コーティングを生産する余裕も技術もない。恐らくあと百年もすれば、風化によってこの建物も倒壊するだろう。

 それでもそんじょそこらの、現代人が建てた鉄くずの寄せ集め染みた家よりは遥かに頑丈である。広さもあるし……何より集落から少し離れた位置にあるので『隔離』がしやすい。

 だから病院として使うのに、打って付けの場所だった。

 アカネはそんな病院の、とある病室の扉の傍で座り込んでいた。祈るように両手を握り締め、ずっと俯いたまま。目をぎゅっと閉じ、小さく身体を震わせる。

 やがて傍の扉が開いた。

 瞬間、アカネは跳ねるように立ち上がり、扉から出てきた ― 黒ずんだ染みの方が多いぐらいの、凡そ『白』には見えない ― 白衣姿の、ガリガリに痩せ細った男性に詰め寄る。


「先生! アオイは!? アオイは――――」


「ひっ!?」


「あ、ご、ごめんなさい……」


 先生とアカネに呼ばれた男性は怯えた表情を見せ、アカネは自分の行動について謝罪する。

 彼はこの病院の院長にして、唯一の医者である。キリタ先生と呼ばれていた。幼少期のトラウマから、自分より弱っている怪我人や病人以外が怖くて堪らないという、割と社会不適合者である。それでも腕は確かで、特に手術の腕前は他のどの集落の医者でも敵わないと聞く。

 彼でなければアオイは、間違いなく手の施しようもなかっただろう。


「と、とりあえず、妹さんの治療は、済みました……その、予断は許しませんが、峠は越えた感じ、です」


「は、話は出来ますか……?」


「いえ、それはまだ……意識が戻っていませんの、で、あの……すみません、力が足りず……」


 もごもごと、キリタは申し訳なさそうに謝る。

 力が足りない? 何を馬鹿な事を。あのままなら間違いなく死んでいたアオイを助けてくれたのに、どうして彼が謝らねばならないのか。


「いえ、先生には、感謝しても、しきれません。ありがとうございます」


「……では、私はちょっと、席を外します。何かありましたら、ベッドの横にあるボタンを押して、ください。私へのコールと、なります」


 少し接続が悪いので、強く押してくださいね? それだけ言い残して、キリタはこの場を後にした。

 アカネはしばし、開かれた扉の前で立ち尽くす。ゆっくりと息を吸い、吐いて、吸って……頬を叩いてから、キリタが出てきた部屋の中へと入った。

 部屋にあるのは、ベッドが一台。

 掛けられた布団は古臭く、ボロボロだ。ベッドの隣にある点滴の容器も、勝手に割れたりしないかと不安になるぐらい古びている。文明の衰退ぶりがよく分かる、貧相な医療器具だ。ここまで酷くはないと思うが、手術に使われた器具も劣化が進んでいるに違いない。もしかしたら一年後には、それらの器具が全て使い物にならなくなっていた可能性もある。

 そうなったらベッドに寝かされているアオイは、今頃霊安室に居たかも知れない。


「……アオイ……」


 寝かされているアオイの傍に、アカネは寄り立つ。

 無茶だと、アオイは最初から言っていた。

 考えれば分かる事だった。六十センチ砲の直撃を『未確認種』は平然と耐え抜いていたではないか。全砲門による一斉射をしたところで、あの電磁フィールドは破れない事は明白。勝ち目など、最初からなかったのだ。

 なのに怒りで我を失っていた自分は、その勝ち目のない勝負を挑んでしまった。

 両親の仇を討てるという思い込みに、アオイを巻き込んでしまった。それだけでなく救助した『アスカロン』の乗組員も危険に晒した。自分はお姉ちゃんなのに、艦長なのに……挙句自分が危機に陥ったら、妹に身体を張られて守られる始末。『わだつみ』も辛うじて日本まで戻ってこられたが、側面や船底近くに大穴を開けられていたら、今頃海の藻屑となっていただろう。今の状態だって、早く修理をしなければ、嵐が来たらそれだけで沈みかねない。そして自分達を逃がすため『未確認種』に戦いを挑んだコウ達とは、連絡が付かない。

 自分の激情によって、大切な家族を、両親の形見を、失うところだった。数少ない友人については、失ったと言って良い。一体自分はどれだけ度し難い愚か者なのか。

 謝りたい。アオイが全部正しかったと認めたい。

 だから、


「待ってるから……目を覚ましてくれるの」


 例え聞こえていなくとも、この言葉だけは伝えたかった。


「待っている間、暇だという認識で良さそうだな」


 故にまさか『返事』が返って来るとは思わず、アカネは反射的に振り返る。

 何時の間に居たのだろうか。開きっぱなしにしていた扉の傍に、一人の女性が立っていた。

 女性の年頃は、三十代ぐらいだろうか。その顔立ちは凜々しいというよりも猛々しく、片目を眼帯で覆いながらも威圧的な眼差しでアカネを見下ろしていた。背も高く、百七十センチ、いや百八十センチはあるかも知れない。金色の髪を腰まで伸ばしており、グラマラスの体型と相まって、大人の風貌を形作る。

 扉の傍とはいえ、堂々と病室に入っている女性だったが……アカネは、彼女の顔に見覚えすらなかった。アオイの知り合いかも、と一瞬考えたが、人見知りなアオイが好むようなタイプには見えない。怪訝さを通り越し、嫌悪の入った眼差しでアカネは女性を見つめ返す。

 尤も、見た目からしてちょっと睨んだぐらいでおめおめと逃げるような人とは思えない。立ち去る気配のない『客人』に、気乗りはしないがアカネは声を掛ける事とした。


「……誰? 用件があるなら、手短にお願いしたいんだけど」


「ふむ、自己紹介がまだだったな。我が名はマキナ。これでもこの国の『軍』を総括する立場にある。尤も、中央政府が消え去った今では、無法者を征伐する用心棒みたいなものだがね」


 女性――――マキナはその堂々たる風貌とそぐわない横柄な語り口で、自らの身分を打ち明けた。

 その自己紹介に、いよいよアカネは嫌悪を隠さなくなる。

 国家というものが瓦解した現代において、『軍』というのは極めて身勝手な組織となっていた。統制する政府が消えた事で、幾つもの武装勢力に分裂。国や国民を守るという使命は失われ ― そもそもどちらも消滅した訳だが ― 、各々が自分達の掲げる理念や受けられる利益によって様々な仕事を行う……マキナが言う用心棒という例えすらオブラートに包んだような、ハッキリ述べてしまえば『荒くれ者』だ。全員がろくでなしとは言わないが、あまりお近付きにならない方が良い人種ではある。

 加えて軍というのは、人類全盛期には最も高度な技術を有していた組織だ。維持するための知識は失われ、後は食い潰すだけなのは他と変わらないが、それでも大量の『遺産』を持っている。つまり未だ力だけはあるのだ。これが厄介でなければなんだというのか。

 海生物相手ならば、アカネ達漁師に分があるだろう。しかし『対人戦』は軍の方が圧倒的に強い。正直敵に回したくない、というより関わり合いになりたくない。

 そんな軍のお偉いさんが自分達に話し掛けてきたら、嫌悪を覚えてしまうのも致し方ない事だろう。マキナも今のアカネが向けている目には慣れているのか、まるで気にしていない様子だった。

 気にしていないなら、普通に用件を訊く分には、怒り狂ったりはしない筈。アカネは思いきってマキナに尋ねてみる事にした。


「……軍のお偉いさんが、私になんの用?」


「回りくどい話はなしにしよう。我が要求したい事は三つ」


 アカネの問いに、マキナは指を三本立てる。


「一つ目はお前が見た『沖』の海生物の情報を提供する事。二つ目は『わだつみ』を修理する事。二つ目に関しては、必要な資材と資金は当方が手配する」


 彼女は指を一本、一本、ゆっくりと折り曲げながら語る。言葉遣いこそ一方的だが、しかし淡々とした口振りは感情の起伏を感じさせず、まるで些末事を話しているかのよう。

 それは最後の要求に触れる時でも一切変わらず。


「そして三つ目は、お前が『わだつみ』に乗船し『沖』の海生物攻撃作戦に参加する事、或いは修理をした『わだつみ』をこちらに引き渡す事。以上だ」


 あたかも大した話ではないかのように、なんの躊躇もなくアカネを脅迫してきた。

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