第十二話 なまえ を きめてください ▼

 よく考えてみて欲しい。ラブホテルだよ? ラブホテルに二人っきりだよ? そしてこの無防備な格好だよ? 何を迷うことがあるのだろうか。これは両者同意の上での行為。相思相愛。紛れも無い和姦であり後ろめたいことなど何もない。


 と、自分に言い聞かせた所で私は、寝ている彼女に近づき、見下ろす形で膝をつく。


「すぅ……すぅ……」


 規則正しい寝息を立てる彼女。確実に寝ている。一切不純物のない顔を前に背筋が震えて舌が痺れる。


 あまりに官能的な刺激に私はますます歯止めが効かなくなり、迷うことなく彼女のスカートへと手を伸ばした。


 正直、こういった事は初めてだから私もノウハウは分からないけれど。ただ一つ分かるのは後悔するくらいなら己の欲望のまま思う存分陵辱の限りを尽くせ、という事だ。あ、違う。これは陵辱ではなく和姦だった。うん。


 そしていよいよスカートをめくり、彼女の洗練された愛の扉が露わになる……!


「あ……」


 しかし、太ももの付け根あたりまで捲ったところで私は手を止める。


 痣だ。


 彼女の太ももには青紫色に滲んだ痣が生々しく残っていた。その彩度から、つい最近できたものだということがわかる。


 おそらく先程、暴漢に組み伏せられていた時に出来たものだろう。私が来る前に一悶着あったのかもしれない。


「……」


 私は……スカートから手を離す。


「寝よう」


 理性が崩壊しても、人としての尊厳はまだ残っていたようだ。そうだよ、彼女は紛れもなく先程暴漢に襲われていたのだ。事情はどうあれ多少なりとも彼女は心に深い傷を……負ってるよね?


 とにかくそんな彼女を襲う勇気は私には無くて。浮かれていた自分に喝を入れてほ彼女と背中合わせになるよう横になる。


「何もしないんだ」

「え!?」


 私が布団に潜り込んだ時、後ろから声が聞こえた。その鮮明な声は寝言のはずが無く。


「あたし寝てたのに、何もしないんだ」


 体を起こして振り返ると、彼女は目を開けてこちらを見ていた。


「あ、あれ!? ごめん起こしちゃった!?」

「いいよ謝らなくって、寝たふりだから」


 寝たふり!? 何故そんなことをするのだろう。と、私の疑問はどうやら顔に出ていたらしい。彼女は答える。


「もし何かしてきたらそのまま空へ飛んでもらおうかなと思ったんだけど」」


 よ、よかった……あのまま欲望に身を任せていたら今頃私の体はベッドのホコリと共に宙に浮いていたところだった・・・・・・。


「冗談だよ」

「冗談なんだ!?」


 私の反応に、彼女は満足気な表情をする。冗談、言うんだ・・・・・・。新しい発見。


「あ、あの、足の痣、大丈夫? もしかしてさっきの暴漢に……」


 私がそう言うと彼女はスカートを捲り上げる。


「ああこれ? 大丈夫だよ多分どっかにぶつけただけだから、全然痛くないし」

「そっか、ならよかった」


 私は胸を撫で下ろす。すると彼女は体勢を変えてあぐらをかいて座った。見えそうで見えない、絶妙な暗黒空間に私が目を凝らしていると彼女はゆっくりと口を開く。


「ありがとね、さっきは」

「え?」

「助けてくれようとしたんでしょ。だから、ありがとう」


 どうしたことだろうか。彼女にお礼を言われてしまった。だけど、ここで調子に乗って「じゃあお礼に一発ヤラせてください!」なんて言ったら背負い投げよりも恐ろしい目にあうかもしれない。


「でもまさか、強姦魔に強姦魔から助けられるとはね」

「ちょっ、それ掘り返すのはやめて!」


 あれは私のいっときの過ちで、もはや黒歴史。私が強姦紛いのことをした事はできれば忘れていただきたい……。


「ふっ……」

「あ……」


 そんなことを話していると、彼女の口から小さな笑いが漏れた。いつも無機質な表情で冷徹な事を言う彼女が、とても柔らかく笑っていた。それは可愛くて、美しくて、あまりにも尊いものだった。


 いい雰囲気、今ならいけるかもしれない。私はずっと彼女に聞きたかったことを、喉から絞り出す。


「あ、あのさ。名前……教えてくれない?」

「やだ」


 上がっていた口角が一瞬で見事なまでの水平に戻ってしまった。


「な、なんで!? 今のは絶対そのまま打ち解ける感じの雰囲気じゃなかった!?」

「あたしその場の雰囲気に流されるのだけは避けるようにしてるの。そんな自身の感情を蔑ろにするような行為、愚かでしかないからね」


 惨敗。だけど、ここで引き下がる私ではない!


「じゃあ私が勝手に名前をつける!」

「は?」

「やっぱり呼ぶことができないのは不便だし、名前が教えられないなら仮でもいいから私がつけてあげるよ。大丈夫! 可愛い名前にするから!」


 我ながらグッドアイデアである。彼女はため息をついて「こいつアホだ」という表情をしている。ふふん、残念いつの時代も天才とアホは紙一重なんだよ。


 私は顎に手を当てて思考を巡らせる。んー、名前、名前。どんなのがいいかな。普段は冷たいから「冷子」ちゃんとか? それとも実は優しいから「実優」ちゃん? 安直すぎるかな。


 ふと顔をあげると彼女の方も真っ直ぐなその眼で私のことを見ていた。視線を交差させる私達。見れば見るほど彼女の顔立ちは美しく、いくつもの奇跡が重なって構成された神の産物といっても過言ではない。


 多分だけど、外見とか性格から導き出すような安直な名前ではない気がする。故に直感。ピンと頭の上に電球が浮かび上がるような、そんな名前。


 脳内を駆け抜けたひとつの名前。私はそれをそのまま口にした。


「ひよりちゃん」


 それは驚くぐらい自然に口から出てくれる。


「ひよりちゃん。うん、ひよりちゃん! ひよりちゃんにしよう!」


 特に由来とかはない。本当に直感で出てきた名前。だけど口にしたら予想以上にしっくりきた。


「どう? ひよりちゃん、いい名前じゃない?」


 しかし、完璧な手応えを感じた私とは裏腹に彼女の表情はどこか冴えない。眉間にシワを寄せて、難しい顔をしていた。


 あれ、あんまり気に入ってくれなかった? それとも、怒ってる?


「あ、嘘! やっぱり今の無しでいいや、あはは」


 何故彼女が浮かない顔をするのか、私にはよくわからないけど何とかはぐらかす。


「いや、いいよ。それでいい」


 だけど、彼女はすぐいつもの表情に戻ってそう言ってくれた。


「そっか、じゃあひよりちゃん。よろしくね!  ひよりちゃんっ!」

「はいはい」

「ひよりちゃん、ひよりちゃん。えへへ、ひよりちゃんひよりちゃん」


 例え仮の名前だとしても、やっぱり彼女のことを名前で呼べるのは嬉しい。本人からの許可を得たところで私は彼女、もといひよりちゃんに頬ずりするように体を寄せ合う。


「ねぇねぇ、私のことも名前で呼んでみて! 珠樹って、ハイッ!」

「えぇ……」

「そ、そんな心の底から嫌そうな顔しなくても……」


 漫画だったら「どよ〜ん」と効果音とエフェクトが付いてそうな極限までネガティブったひよりちゃんの顔に私も落ち込んでしまう。そんなに名前で呼ぶのが嫌なんだ……珠樹ちゃん悲しいよ。


「そろそろあたし寝たいんだけど」

「うん、わかった。ひよりちゃんがスヤスヤ寝てる所写真に収めて帰ったらそれで致すね」


 私がそんな冗談を言うとひよりちゃんは布団を全部かっさらっていき中にくるまってしまった。


「ああっ、これじゃあ顔が見えないよっ!」


 反応無し。私の抗議はスルーされ芋虫のように動いていたひよりちゃんは本格的に寝ようとしているようだった。


「仕方ない、ボイスレコーダーで寝息を録音しよう。バイノーラルだっけ? あれってどうやるんだろう」

「ああまったく、ほら布団あげるから早く寝な」

「えー? ……って、これは! 微かに感じる仄かな温もり。確かな人肌、ひよりちゃんの体温、この布団は実質ひよりちゃんでは!?」

 

 私はその布団、いや。ひよりちゃんを頭まで被る。そして息を吸うと。


「くはっ……」


 参った。これは参った。完全にこれはひよりちゃんだ。布団を被るということは実質ひよりちゃんを被っている。布団の中に潜るということは実質ひよりちゃんに潜っている。実質ひよりちゃんの中にいる。というか、実質私がひよりちゃんなのでは?


 少し大きめの布団を私とひよりちゃんで共用する形になる。


「ひよりちゃんはエッチするときは電気消すタイプ? 感じてる顔を見られるのは恥ずかしい? 私は見たいな、ひよりちゃんの可愛い顔」

「早く消して」

「はい」


 枕元で灯るランプの電源を切る。部屋の照明は……。


「部屋の電気消せないみたい」

「ん。まぁしょうがない」


 結局、部屋がピンク色のまま私たちは寝ることにした。ラブホテルなのに活用方法がただのホテルだ……。


「じゃ、おやすみ」


 ひよりちゃんは完全に寝るモード。私はというと、眠いけど寝たくない。


 ほら、いるでしょ? 友達の家で泊まるとすぐ寝る人と中々寝ようとしない人。私は後者。ちなみに、この人たちの弁明をすると眠れないわけじゃなくて寝たくないんだよ。楽しいことが終わって欲しくないから。だから私もひよりちゃんと同じベッドで寝るなんて夢見たいな状況を楽しみたくて、重くなる瞼に全力で抗っていた。


「ね、ひよりちゃん。もうちょっとそっち寄ってもいい?」


 無反応。もう寝たのかな。よく見ると肩がゆっくりと上下していた。


 私はひよりちゃんへと近づく。その距離はほぼゼロ。私の鼻先がひよりちゃんのうなじにつきそうな、そんな距離。


「もう寝ちゃった?」


 やはり反応はない。随分と寝つきが早いのか、それとも、実はもう極限まで眠かったのを我慢して私に付き合ってくれてたのかもしれない。


 ひよりちゃんとはまだ知り合ったばかりだけど根底にあるこの子の優しさは私が一番身に染みている。


 私は胸をひよりちゃんの背中へとそっと当てる。「当ててんのよ」なんて言えるサイズでもないことは自分でも悔しながら分かってるし、何も邪な考えで行った行動でもなく。ただ温もりを感じたかった。ひよりちゃんの体温を感じていると、何故だかとても安心するから。


 これくらいなら、きっとひよりちゃんも許してくれるよね?


 腕をひよりちゃんの腰へと回して抱きしめる……のはさすがに自重して私も寝る体制に入る。


 確かにこの状況下で寝るのは勿体ないかもしれないけど。この幸せなな気分のまま夢の世界に入るのもまた一興だと思うし。


 そんなことを思いながら私は深い、深い。とても深い眠りの奥底へと、堕ちていった……。


 

 

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