第20話 かみさまに会いに①

 兄の中学の終業式の翌日、家族旅行に出かけた。もちろんユンジュンの壺を持参だ。


「気を付けてね…」


 今生の別れのようにミキが言うので家族もユンジュンも笑いをかみ殺している。なんせ彼女は本気だ。


「一週間で帰ってくるよ」


「あーん、せっかくの春休みなのに!ユンジュン、大阪でが付かないように見張ってて」


 ミキが小声で頼むと、ユンジュンがニヤリとして「まあ俺は見てるだけだけど」と言ったのが気に食わなかったらしく、ボクに抱き着いた。


「美樹、もう放しなさい。あなたストーカー気質があるわね、困ったわ」と暗にミキの父を思い浮かべながら由樹が言ったのでボクは苦笑いした。



 自称父親こと小粥春オガハルは猛烈に復縁を迫っていた。

 自分の現場の仕事を由樹の事務所にまわし、それを知らずに由樹が現場でオガハルに会ったりして迷惑しているそうだ。ミキが春休みだからとせっせと家に会いにもくる。警察に電話するとミキが息まいていたが、ボクは止めた。


(哀れを誘うんだよな…由樹さんせっかちで早合点のとこがあるからただの行き違いかもしれない。まあ、ボクが首を突っ込む話じゃないけどさ…でも、最近由樹さんのテレビの露出が増えてきたから、あの家で女二人は少し不安だ。オガハルさんもそれが心配で家に来るんだろうな)


「もう行くね。きっとかみさまに会ってくるから。あとオガハルさんをいじめないで、きっといい人だ。ミキちゃんと同じ綺麗な耳をしてるもの」


 ボクが無意識でそっと彼女の耳タブを親指と人差し指でつまむと、ミキは赤くなった。柔らかくてひんやりしていた耳が一気に熱を持つ。


「ご、ごめんっ!」とボクが慌てて手を離すと、「い、いいのっ…タカシ君から触られたの初めてでびっくりしてっ!タカシ君はあんな人にまで優しいのね。でも絶対に許さないから」とにこやかに答えた。


 どうも許す気はなさそうだった。




 車に乗り込むと「おまえら小学生のくせに…オレが恥ずかしくなるよ」と兄が手で頬を仰ぎながら言った。すると父が、


「そういうとこ学兄さんに似てるな。兄さんはああ見えてモテるから」とまだ伯父が生きているかのように言ったのでボクはうるっときた。


 最近知ったのだが、父と伯父さんの仲は非常に良くて頻繁にご飯など一緒にしていたそうだ。


(ズルい!ボクは誘われないし)


「あなたはどうなの?」と助手席の母が聞いたので、父は藪蛇やぶへびとばかりに話題を変えた。そりゃそうだ、モテると言ったら母に怒られそうだし、モテないといっても子供の手前カッコ悪い。


「そうだ、大阪の親戚が泊って行けと言ってくれたから、最初の1泊お世話になる。とても広い敷地の旧家だ。昔は武家で領地もあったんだぞ。そうだ、家系図も用意してくれてるってさ。俺が子供の時は5つも蔵があってな。漆喰で分厚く塗られた頑丈なやつだ。空襲でも焼け残ったから、お宝が残ってるかもな。夏に冷やりとした蔵で兄やいとこたちと遊んだもんだ」


 珍しく父が昔話を始めた。ボクら兄弟は聴き入っているうちにもたれ合って寝ていた。ユンジュンは壺から出なかった。





「え…ここか?ずいぶん景色が変わったな…」

 

 父の戸惑った声が聞こえて目が覚めた。


 ボクらは何度かサービスエリアで休憩しながら、8時間かけて大阪の父の曾祖父の家にたどり着いた。

 高い黒板塀に囲まれ、茅葺きの屋根のどっしりとした門構えの前にはゆったり5台は停められる石畳のフロントヤードがあり、左サイドには紅葉や椿など和風の植栽がされている。しかし、右側は不自然にブロックがあり、すぐに隣地の真新しい家屋がある。

 きっと右側の土地を切り売りしたのだろう。それでもまだかなり広いが。

 駐車場からは家がチラリとも見えない。手入れの行き届いていない木々が茂っている。


「で、でかい家だね…」

「うーん、俺の記憶では周りも家がなくて坂上家の土地だったんだけど、蔵ももうないかもな。あそこらへんにあった気がするから」と寂しそうに隣の新しい洋風の住宅の庭を指さした。

 つい最近まではここら一帯がこの家の土地だったようだが、税金や手入れなど維持費が大変で売ったのだろう。よく見ると茅葺屋根や板塀はかなり傷んでいる。


 父がインターホンを鳴らすと女の人が応答し、サンダルの音を鳴らして石畳を早歩きしてきた割烹着の女性が門を開けた。50代半ばくらいだ。


「いらっしゃい、遠くからよう来てくれて。お客さんなんて久しぶりやわ」


 やたら笑顔で挨拶した女性は、幸子サチコと名乗った。父の曾祖父の直系のひ孫の妻だそうで、父も初めて会うようだ。


「初めまして、幸子おばさん。一晩お世話になります、宜しくお願いします」と皆で挨拶すると、まあまあご丁寧に、とりあえずどうぞと中に入るよう言った。

 ボクは父に言って、壺を車から出した。万が一車が盗まれたら二度とユンジュンに会えなくなってしまう。



「おお、その壺懐かしいわぁ。祖父が俺の父の弟に渡したんや。その後すぐに祖父が亡くなったから不吉な壺やと親戚中で噂になったんや。壺を貰った叔父は東京でうまいことやったみたいやな。反対にうちは父が事業に失敗してなぁ…土地も少しずつ売ってしもてな」


「まあまあ、その話はやめとき。さ、どんどん食べな。遠慮はなしよ」


 本家の坂上茂と幸子はボクが車から持ってきた壺をやたらじろじろ見た。旧家に住むくらいだから上品な人物かと思っていたが、がさつで欲の強そうな夫婦だ。ボクは彼らが壺を触り始めたのが心配でご飯が喉を通らなかった。


 立派な家だが、至る所が古びていて補修が必要だった。床は軋み、腐っている部分はもうすぐ抜けそうだ。天井板はところどころ外れて雨漏りのしみがある。お金がない様子に父と兄も気が付いている。

 母は全く気が付かずに「大阪はご飯が美味しいわね」と言いながらばくばく食べている。


(図太い…)


「ありがとうございます。実は息子がその壺を弟から譲り受けたんです。神社でおはらいがしたい、と言うもんですから、この家の由来を調べて縁のある神社があったらそこで申し込もうと持ってきた次第です。それで家系図を後で見せて頂きたいと思いまして」と父が茂おじさんに説明した。

 

「ああ、出してあるで。食事の後で見ようやないか」と濁った泥水のような声で茂は言った。酒でどろりとした眼が何度も壺に向けられるのでボクは気が気じゃない。

 兄はそんなボクを心配そうに見ていた。



「タカシ、大丈夫だって。さすがに本家だからってタカシの壺を取り上げたりなんかしない。お父さんもいるし」と兄は風呂で二人きりになってから言った。


 お風呂の浴槽は檜で作られていたが、手入れがしてないせいか黒ずんでいる部分に触れるとぬめって気持ちが悪い。壁のタイルもはがれている。


「おじさんの声と眼が…なんていうか気持ち悪かった。こんなことなら車にしまっておけばよかった」


 たしかに東京の坂上家にはお酒を飲む人がいないから、酔っ払いに慣れていないのもあった。


(でもそれだけじゃないんだ)


「枕元に置いて寝よう。それなら安心だろ?さ、風呂から出たら家系図を調べよう。大阪の住吉あたりの昔の港からユンジュンが上陸したはずだ。そして、そんな場所には大体神様が祭ってある。ユンジュンが言ってた『住吉津三神』に会いに行ったらなにかわかるかもしれない」


 頼りないボクにしっかりとした兄がいて本当に良かった。




「今日は疲れたでしょ?お休み」


 部屋だけは無駄にあるようでボクと兄は別々の部屋をあてがわれたが、一緒にしてもらった。


「ありがとうございます、おばさん」とボクらが唱和すると、ちょっと困ったように幸子は笑い、がたがたと立て付けの悪いすふまを閉めた。



 風呂を出た後、ボクらは虫食いの酷い家系図を見せてもらった。和紙は黄ばんでいる。どうも保管が良くないようで、これ以上酷くならないうちにとボクは写メを何枚か撮った。

 家系をどんどん辿っていくと『坂上田村麻呂』の名前がある。平安時代の教科書にでてくるあの人物だ。ボクが驚くと、


「へー、タカシはよく知ってるな」と兄はボクに感心したが、注目はそこではない。だってあの桓武天皇の時代に蝦夷を平定したとされる人物がボクらの祖先なのだ。

 感無量のボクを横目に兄は家系図をさかのぼって例の玄理くろまろなる人物を見つけた。


「あ、あった!」


 兄が指差す先にはっきりと名前があった。608年に遣隋使として大陸に渡った史実と符合している。


「だろ?」と頭の上から声がした。ユンジュンだった。


「どこに行ってたの?出てこないから心配したんだ」とボクが聞くと「悪い、ここは久しぶりだったから見て回ってた」と珍しく歯切れ悪く言った。


「どうしたの?ユンジュンらしくない…」


「…あまりの坂上家の零落れいらくぶりにちょっとな」


 ボクはなぜユンジュンが責任を感じた様子でいうのか不思議だったが、兄が、


「さっきおじさんはユンジュンの住むこの坂上本家がダメになったって言ってた。でも代々の持ち主がユンジュンと一緒に壺を託す、つまりは継ぐ人物を選んでるんだろ?」と言った。


 その声には少し嫉妬がこもっているようでボクはビクリとした。それを感じ取ったユンジュンはさらりと説明した。


「うーん、まずは俺が見えることが壺を託す相手の大前提なんだ。タカシが俺を見えるってのは小さな頃に学と試したからわかってたが、はやては昔は見えなかった。だから学はタカシに託したんだ」


「ちぇ!オレだって嫉妬しちゃうよ…壺がもらえなかった父の気持ちがわかるもの」と兄が呟くのをみてボクは慌てた。


「でも、もう兄ちゃんも見えるんだから、ユンジュンはボクらの見守りをしてくれるんだろ?」と聞くと、ユンジュンは破顔して言った。


「もちろんだ。でもあいつらには気を付けろ」


「あいつ?」


「おじさんだろ」と兄があっさり言ったので驚いた。


(たち?)


「あいつらは金に困ってる。俺は疲れたから壺に戻るよ、お休み」


 ユンジュンは複雑な表情でそう言って、壺ににゅるにゅると戻っていった。


「茂おじさんはともかく、幸子おばさんも?」とボクは彼女の優し気な顔を思いながら兄に聞いたが、


「当たり前だ、夫婦は合わせ鏡って言うだろ?どちらかが善人でどちらかが悪人ってわけない」とあっさり答えた。


 兄の意外な大人な側面を見てしまったボクは、毒気が抜けたのかなんだかですぐに寝付くことが出来た。長旅で疲れていたのだ。

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