第18話 心臓を貫かれて①

 2月9日、中高一貫校の入学試験を受けた。


 回答の確認では手ごたえがあったのだが、結果発表日はさすがに緊張した。

 はやるミキに手を引かれて会場にいき、まずは彼女の番号を二人で探した。


「受かってる!やったー、これで同じ中学に通えるっ!」


 飛び跳ねる彼女の長い髪がふわふわ揺れ顔にかかると、ボクの心臓が柔らかい何かに貫かれた。いつもなんでこんな素敵な子がボクなんかと付き合っているのか不思議だ。


 ボクは横目で自分の番号を探した。


「ボクも…あ、あったよ!」


 それを聞いたミキは頭をどしんとボクの胸に押し付けた。


「良かったよー、うえーん」


(きっとダイジョブ、とか言ってたのに…)


 彼女は小さくてとても柔らかった。

 背がまた延びたボクは目の前の可愛い彼女の頭のてっぺんを撫でたかったけど、恥ずかしくて出来なかった。


 周りの人が抱き合うボクらを見ている。皆、ミキの可憐さに目を奪われるのだ。その気持ちは胸が痛いほどわかるがボクは居心地が悪い。


(天国みたいだけど、周りの視線が…誰か助けてぇ!)


 ボクはひっそりこっそり生きたいのだ。

 彼女にいいようにされて固まっていると、一緒に来てくれたミキの母が「美樹、いいかげんにしなさい」と声をかけてくれたので解放された。

 ミキは嘘がない。だからボクは出会った頃よりもずっとミキを好きになっていた。彼女はボクにとって特別な女の子だ。

 そして、美樹と同じ中学を選べた幸運に感謝した。




がリア充になって卒業か…仲間だと思ってたのになぁ」


 卒業式が終わり、ざわざわした教室で唯一の友人の八木ヤギがボクをからかった。

 意地悪なやつらへの八木の冷静なツッコミに何度救われたかわからない。そうでなかったら、周りからの暴言に耐えられなかった。

 八木は地元の公立中学の制服を着ていた。スラリと背が高いので良く似合う。

 友人が一足先に大人になったようで眩しい。ボクは兄がコンクールで着た黒のスーツに完全に着られていた。


「何言ってんだ、ボクは変わらず暗くて運動が出来ないフトシのままだ。八木とはずっとずっと友達だから…卒業しても社会人になっても。そうだ、連絡先を交換しない?携帯ゲットしたんだ」とボクが言うと、それを耳ざとく聞いた女子たちが、


「えー、隆くんの連絡先、私も教えてぇ!」「ずるい、私も!!」「隆君、後で一緒に写真撮ろう」「スーツが似合ってるね」とワイワイ言いながらボクの周りを囲んだ。


(ひゃあ、怖い…っ!なんで?)


 背筋がひんやりした。


 嫌がらせかと思い、矢島と小島を見ると苦い表情をしてこちらを見ている。今にも『ケッ』という声が聴こえそうだ。いや、今まさに言っているかもしれない。


(島コンビがやらせてる嫌がらせ…じゃないの?いや、裏があるかも…)


「ごめん、今は覚えてないんだ」と苦しい言い訳をして女子から名刺的なものをたくさん押し付けられながら恐ろしい包囲網から抜け出した。


(…新手のいじめ?的な?)


 ミキと同じ中高一貫校に行くのはボクだけだから、クラスメイトと会うことは激減する。ボクがビビって八木のそばに避難すると、


「めっちゃモテてるし。あいつらボス猿サノに遠慮してたけど、卒業だから声をかけてるんだろ?こえーな」とため息とともに言った。


「え…いじめるのを遠慮してたってこと?めっちゃ怖いんだけど!」


 八木は「はあっ」と大きくため息をつき、千里ちさとを手招きした。二人は同じ卓球クラブに通っていて仲がいい。

 千里も背が高く、八木と同じ中学の真新しい制服が良く似合っている。八木はクラスで一番背が高いので二人が並ぶと丁度いい。


「なあに?」と千里はニコニコしながらポニーテールを揺らして聞く。いつもと違って髪先を少し巻いていた。

 彼女は好感が持てる数少ない女子の一人だ。

 八木が彼女を好きだから、ボクなりに二人を見守ってきた。


「なあ、タカシ変わったよな?女子で話題になってるだろ?」と八木は聞いた。


 相手が千里のせいか八木の言葉にひとさじの嫉妬が混ざっている気がしたのでドキッとした。しかしそんな心配は杞憂で、


「ああ、坂上君の事?みんなフトシとか散々言ってバカにしてたくせに、頭がいいしカッコいいって騒いでる。全然坂上君は変わってないのにね?八木君だけだよ、彼の良さを知ってたのは!私も鼻が高いよ!」と八木を褒めた。


 いつも冷静な八木は顔を真っ赤にした。

 八木が黙り込んで照れているので、ボクは千里にお願いごとをした。


「そうだよ、八木は誰よりいいやつだ。ボクは彼に助けられてばかりだったから、もし彼になにかあったらボクに連絡して。恩返ししたいんだ」


「な、何言ってんだよ!フトシのくせに…」と八木は驚きつつ憎まれ口を叩く。


 素直じゃないのも変わらないが、優しいのも変わらない。頭がいいのに私立に興味がないふりをするのは千里と同じ中学に行きたいからだ。


「八木って困っても周りに言わないだろ?相談するのが迷惑とか思って溜め込みそうで心配なんだ」


 それは以前のボクの事だ。

 伯父はもういないけど、ユンジュンや家族、ミキがそばにいるボクが今度は周りの助けになりたい。


「坂上君そんなこと言うんだ…ごめん、さっきは変わってないって言ったけど訂正。素敵になった。恋人ができたからかな、ね?」


 千里がそう言いながら八木に優しく肩をぶつけると、彼はますます真っ赤になった。

 それを見て千里も指の先まで真っ赤になり、ぶんぶんと顔の前で手を振った。


「や、違うよ?八木君と付き合いたいとか、そういう意味じゃ…いや、付き合っても全然いい、っていうか嬉しいけど…迷惑だよね…あわわ、私なに言ってんだ…」


 もごもご言いながら、千里は逃げるように女子の集まりに戻っていった。遠回しに告白された八木は黙って俯いている。


「こうなったらボクらダブルでリア充になろう」と笑いながらからかうと、


「おう…俺だってあそこまで好きな子に言われたら頑張る。俺がリア充とはおこがましいが、千里れんあいで困ったら連絡するよ。頼りにしてる」とにこりと笑った。


 八木の素直なスマイルなんて珍しいが、それはボクも同じだ。

 ボクらは連絡先を交換した。


 教室を見渡すと、今まで縮こまって下からしか見えてなかった景色が違って見える。ボクはいつの間にかクラスで八木の次に背が高くなっていた。


 ボクは成長していた。




 写真を一緒に撮ろうと群がる女子らを振り切ったボクは、美樹の小学校に母と車で向かった。4人で食事の約束をしている。


 学校の臨時駐車場に車を止めて「さ、これ持って迎えに行って」と母がさらりと差し出したのは、咲きかけの薄紫色のバラ一輪だった。


「え…っ?」


「女性は花が好きなのよ。さ、私は待ってるから」


 母は呆然としたボクを携帯で撮って言った。


(欧米かっ!これは目立つし…っていうかボクが小学生だよ?)


 案の定青葉小の校門でバラを手に黒いスーツで立つボクは、通りの人に絶えずじろじろ見られた。

 

 卒業生が校舎からパラパラと出てくると、校門前の道路に止めていた黄色い外車からサングラスの男性が出てきて、ボクの隣に立った。

 30代半ば、背は180はあるだろう。派手な白バラの花束を持つ姿は様になっている。


「お、ボウズもか。スーツきまってるな、まさか彼女?」


「は、はあ…」


「やるなあ…おまえも卒業生なのか?」


「まあ…そうです」


 不審者かもしれないので適当に返事していると、校舎から明らかに周りと違う女の子が出てきて、ボクを見つけて駆けてきた。


(おおっ、結構なスピード!さすが体育会系…)


 ミキは毎日の空手の鍛錬を欠かさない。母親の由樹もそうだが肉体的にもストイックなのだ。


「タカシ君っ、迎えに来てくれたんだ!ありがとう!!わあ、スーツ良く似合ってる!」


 ミキは飛びつく勢いだったが、ボクの直前で止まってほっとした。ぶつかったらボクで止められるはずがない。

 彼女は紺のシンプルなジャケット、紺に小さな白い水玉が刺繍されたふわふわのスカートといういで立ちだ。正直言って妖精にしか見えない。


「ミキちゃん、卒業おめでとう!これ…」とボクがバラを差し出すと、ぱあっと顔をほころばせた。


「わあ、ありがとう!日本で男の子から花をもらうの初めて」


 彼女がボクの手から花を受け取ろうとすると、隣の男性が手にしていた白バラの花束をボクらの間にずいっと差し入れた。ミキの眉間に深い皺が入ったのをボクは見逃さなかった。嫌な予感がする。


「ミキ…卒業おめでとう。ずっと放っておいてごめ…」


 彼がそう言いながらミキとの間を詰めようとボクを押しのけると、彼女は身体を少し沈め左足を重心にして身体をひねり、迷いなく男性のみぞおちに右足の強烈な横蹴りを喰らわせた。

 タイトスカートなら破れている。


「ぐほっ…」


「ええっ?」


 ボクはおののいた。180はある男性が地面に転がり、気取った帽子が脱げて金髪に近い茶髪が現れた。どこかで見たチャラい男性だが、それどころじゃない。花束はアスファルトに無様に転がった。


「不審者っ…警察に」


 ボクが焦って携帯をポケットから出すと、男性は慌てて言った。


「…っ、俺はミキの父親…ぐはっ」


 彼の言葉を遮るようにミキがみぞおちを踏みつけた。


「ごめん、タカシ君。この地面に転がってる人、多分生物学的父なの。初めて現物を見た」と父親の腹を踏みながら、冷たい目で美樹は彼を見下ろして言った。あまりに底冷えする怜悧な美樹の美しい瞳を見てボクはぞくっとした。


 怒る彼女も美しかったが、その瞳が自分に決して向けられることがないよう祈った。

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