5-7

 十一がいなくなってから半年が過ぎる間に、私はより一層読書に傾倒していきました。以前より読書量が増え、学校の帰り道でも二宮金次郎よろしく歩きながら読書をするのもしばしばであったのです。そしていつものように町の通りを本を読みつつ歩いていると、何だか周りの空気が変わったように思えたのです。ふと顔を上げると、目の前には忽然と洋風の建物がありました。

 周りを見回しましたが全く覚えのない風景なのです。石畳の緩やかな坂が続く町。その坂の中腹あたりに当の建物がありました。一番おかしいのは坂の終わりにはきらきらと青く輝く海が見えたことでした。私の住む町からは海が望めるはずがないのです。

 からんからんと背後から音がして、驚いて振り返ると建物の扉が開き男性が顔を覗かせて出てきました。

「こんにちは」

「こ、こんにちは……」

「ここはどこだ、と云いたそうですね」

 男性は優雅に笑みをこぼしました。

 年齢は三十代後半ほど。黒い前髪を流してすっきりと額を出した髪型に、穏やかな目元と左の泣き黒子が印象的でした。服装はかっちりとしたワイシャツにベスト、スラックスと手入れの行き届いた革靴。それと胸元にはループタイを締めておりました。

「気づいたら、ここにいたんです……早く戻らないと」

「大丈夫、安心してください。君のように突然ここに来てしまったとおっしゃる方はわりに多いのです。ここはね、そういう方たちが来やすいようにできているのですよ。この館は『想い出図書館』と云いまして。ここで君の用事が済まされれば、この扉が君を元いた場所と時間へ戻してくれますよ」

 男性はこんこん、と扉を拳で軽く叩きました。そんな莫迦な、とも思いましたがその男性の言葉には妙に説得力がありました。そして「立ち話はなんですから中へ」と呆けている私を館内へ促したのです。


 当時の想い出図書館の内装は、今の想い出図書館と大きくは変わりません。入り口を入ってすぐは明るい広間で、その先に照明を絞った長く細い通路が続いて、その両の壁は全て本棚になっており整然と本が詰まっているのです。私はまずその本の多さに驚きました。

「すごい量の本ですね……」

「図書館、と名を冠しておりますから。けれど残念ながら、君が読める本はこの中の一冊だけなのです」

「一冊だけ?」

 図書館だと伺って並んでいる本がいくらでも読めると期待に胸を膨らませていた私でしたが、すぐに断りを入れられ、その思いも一気にしぼんでしまいました。

「想い出したい記憶が君にはあるのでしょう?そう強く願う方だけがここへ来られるのです」

「想い出したい、記憶」

 すぐ思いついたのは十一のことでした。十一にまた会いたい。けれどそれが叶わないのはわかっています。だからせめて記憶の中で会えるのなら。

「あります。想い出したい記憶」

「では、君の名前を教えてください。すぐにお探ししましょう」

「狩野頼鷹です」

「頼鷹君。私はここの館長をしている、砥草とぎくさ維央いおうといいます。よろしくお願いしますね」

 そう言って男性はにっこりと笑いました。これが私と館長、維央さんの初めての出会いでした。

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