030 三柱、珍妙な収集者

 ルーネルは目の前に迫る刃に向かって手を伸ばしたかと思うと、黒い手首を掴み、強引に斬撃を逸らす。ざわざわと這いあがってくる霧のことなど気にせずに、もう一方の手で、刃ごと鍔を鷲掴みにしてひっぱると、赤く濡れる武器は難なくカルトンの身体から離れていく。

 同時に主から引き抜かれる腕はみるみるうちに瘴気が剥がれ、内側から死肉色が現れる。すると先ほどまで込められていた握力も失われ、黒い残滓を残しながら下に向かって墜落する。引かれた勢いで剣もふわりと宙を舞うも、手首を掴んでいた片手が柄を掴み、ルーネルは得物を取り返す。

 叫びながら攻撃に転じようと剣を構えるが、振りぬくことは叶わない。代わりに、再び彼の全身に大きな衝撃が襲ったからである。

 カルトンの懐から生える太い一本が細い首に掴みかかり、新たに伸びてきた複数の手が彼の身体を押して、壁へと叩きつけたのだ。

「軽いな、おまえさん? ちゃんと食ってるのか?」

 ぐわりと揺れる景色の中で咳き込み、剣を取りこぼす。いくつもの手が、首を、左右の腕を押さえつける。ゆらりと佇むカルトンの懐に向かって、顔を真っ赤にしつつ蹴りを入れるも、空を蹴るばかりだ。

 じっと虚ろをたたえる魔物の目。ルーネルがそれを睨むと、ふと首を締め付ける力が緩んだ。

「なぁ、人間。手って、いいよなぁ」

 ガンガンと鳴る頭で、ルーネルは宙に浮いたままゆっくりと身体に空気を巡らせる。

「たったの五本の指が、城とか、家、宝石とか作ってしまうんだ」

 見惚れているかのように少年のことを見つめるカルトンは、しかし他の手の力は緩めない。首を締めていた手を彼の目の前に浮かべる。

「この太い手、見てみろ。こいつな、細工の職人してたらしい」

 蠢く霧に覆われた手の表面は、ざわざわと波立っている。

「手も、見た目によらないもんなんだよ」

 と、先ほど地面に落ちた女性を思わせる手が、再び剣を握ってカルトンの身体から生えてくる。

「こいつは、陽の下にも出してもらえなかった人間のものだ。きれいな形をしているだろう?」

 二の腕の半ばを残して、瘴気が払われた腕は、それはもう色白を通り越して青を思わせるほどの色をしていた。よくよく見れば、骨が皮の下から浮かんでいる。

「何人、殺した?」

 見たくもないものを視界に入れられて、少年が。

「さぁてねぇ。気に入った手は、生き死に関わらず回収したからなぁ」

 うっとりとコレクションを舐めるように見つめたカルトンに、悪趣味にもほどがある、と唾を吐きつける。それは瘴気に覆われた細腕に落ちて油が弾くように、するすると落ちてしまった。

「そんなことを、魔物である俺に言うかい? あくまでも人間の姿をまねているだけなんだ」

 ごらんよ、と太い腕と細腕が、形のない胸部を指し示す。もくもくと立ち込める霧が意思を持つかのように左右に動くと、そこには大人の拳二つ分くらいの大きさの結晶が納まっていた。まるで心臓のよう。

 それは絶え間なく瘴気を吐き出しており、しかしカルトンの外套から外に漏れ出るわけでもない。同時に、石柱オベリスクそっくりの核の周りには、ちらほらと指らしいものも見える。

「魔王様に連れてこられなきゃ、こんなことに目覚めることもなかったろうな。つくづく、お互いに運がなかったと思うよ」

 不敵に笑う魔物が臓を隠すと、再び剣をルーネルに向ける。首に向けられていた切っ先に少年の表情がこわばるものの、それを楽しむでもなくゆっくりと横に移動する。何もない中空を指すと、剣が突き出され、ガッと壁に刺さる。

 右二の腕の下で、刃が上に向いている。

「さ、おしゃべりは終わりにしようか。おまえの手は、どんなものだろうな?」

 カルトンがにたりと笑うと、ぐっと細腕に力が入る。だが石の壁に食らいつきこらえる諸刃の剣はぴくりとも動かない。いくら力を込めても折れもしないことに、カルトンは奥歯を鳴らし、剣を引き抜いた。

 するとわずかに間をおいて、ルーネルが押さえつけられていた石壁がガラガラと音を立てて瓦解し始めた。押さえつけていたカルトンの体勢が崩れ、同時にいずれの腕も指を開く。瓦礫の山に倒れこむまいと全ての手で身体を支える。

 まだ轟音を立てて崩れる壁。キンという異質な音も紛れるが、遅れて舞い上がる土ぼこりに視界が奪われる。

 石柱オベリスクそびえる部屋の一角の壁がなくなり、土砂が流れ込んでくる。もうもうと立ち込める土煙。崩れた壁の反対側で咳き込みながら立ち上がるルーネルは血のしたたる剣を握り、耳を澄ませながらじっと煙が納まるのを待つ。

 解放された一瞬を衝いて、身体が動くままに逃げたのだ。運よく剣も取り返し、焦る息を整えることに徹する。

 ゆらりと立ち上がる大きなゆらぐ影。カルトンは淡々と振り返ったかと思うと、納まりつつある煙を黒い影が裂く。とっさに軌跡を剣で撃ち落とすと、また柔らかな感触がその手に残ってしまう。

「人だったものを斬る感覚はどうだ? 堪らないだろう!?」

 瘴気を失った誰かの手は、死肉色の断面を晒しながら勢いよく転がり、すぐに瘴気の海に飲み込まれ見えなくなる。そんなものを気にしていられない戦士はすぐさま駆け出し、次々に襲い掛かってくる影を全て一刀両断する。

 ボトリ、ボトリ。いくつもの手が見えなくなる。

 叫び声と共にカルトンの身体が斬りつけられる。左肩から斜めに外套だけが餌食となり、はらりと足元に落ちた。

「しぶといやつだ!」

 輪郭を失ってもなお、平然と人型を保つ瘴気がぶわりと舞い上がる。

「魔王様に仇なす者は死ね! 俺のものになれ!」

 もう一撃を加えようとしたが、瘴気が視界を奪い始めたことに気づき一歩、距離を取る。明らかな怒りの形相を見せるカルトンの意思に従う黒は、石柱オベリスクへと流れていく。

「ふざけんな! おまえらのせいで何人死んだと思ってんだ!」

 石が黒ずんでいく。水が染みしていくように、血管のように。

「はは! 悲願のために、多少の犠牲など、気にしていられるか!」

 立ち込める霧が晴れてくるころには、根本からてっぺんまで石柱オベリスクが染まりきる。するとパキン、という音が響き渡ったかと思えば、コツンと。二回、三回と小さな音が繰り返せば、柱の根本から立ち上がり始めるのは、王都にも現れた魔物たちだった。

 同時に床から霧がなくなる。そこには誰かのものだった腕が、刻まれて落ちている。軽く血の気が引くのを感じつつ、ルーネルは向かってくる魔物たちと交戦を再開する。

 魔物数体が身体を一つに、あるいは元に戻りつつ走ってくる。複数の武器が向けられていることに臆することなく踏み込み、黒い胴を一閃。壊れる音が一回。槍らしい穂先が目の前に迫れば、するりと身をかわして、一歩全身した魔物を縦に両断する。再び石が壊れた。

 だが魔物は、耳障りな音と共に黒い石柱オベリスクの根本から次から次へと現れる。攻撃を避けたルーネルが舌打ちをしたかと思えば、彼の頭上に、離れた位置に佇むカルトンの魔手一つ、襲い掛かる。

 そこは死角。指が刺さりそうな速度で飛んでくる。

 だが凶器は、少年へ届く前に、元の手に戻った。ドス、と手のひらを矢に射貫かれ、いきおいのまま石壁へはりつけにされる。

「ルー!」

 部屋に、身軽そうな足音と共に少女の声が響いた。

 そこはちょうど、目の前の敵を斬り伏せた先に、矢を弓に番える姿を見て、ルーネルは彼女の名を叫んだ。続けて、大きくなっていく足音が。

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