013 宣言、戦禍を望む者

 行くと決めた少年たちの行動は早かった。

 ルーネルは家を飛び出していくなり、もう一人の名を呼びつつ、遠ざかって行く。ハインはというと、男の心配をよそに足の具合を確かめつつ、ここを後にした。男はその背中を追おうとするが、丸腰であることに気が付き、奥にバタバタと駆け込む。

 あれこれと短い会話の後にハインに追いつくと、すでに王都からやってきた三人は揃っており、他に二名の見知った顔が、よかったと顔を綻ばせ、二人とハグする。いわく、ルーネルから魔物が現れたとの情報をアイレに話している途中、たまたま通りがかって、今朝出立した男の帰還を知ったのだという。嬉しそうにしゃべり続ける自警団の仲間に適当に相槌をうちながら、男は隣にいる少年たちに視線をやった。

 まだ山賊は森にいて、危険な場所であることには変わりない。にも関わらず、少年たちは魔物の情報を交換している。ふとルーネルの視線が彼の方に。

「そういや、場所について聞いてなかったけど、どのあたりだ?」

 短い茶髪揺れて、きらきらと輝く朱色の瞳。まっすぐとした、力が有り余っていると言わんばかりの言葉に、そういえばと、ユーラと遭遇した場所と、山賊の根城である洞窟の場所を教えてやる。忘れるなよ、とハインが釘をさすが、んなわけねぇだろ、と返す。そこにアイレが、

「お城で迷子になってて、遅刻したのって誰だったっけ?」

 と笑みを浮かべて茶化すが、お前もいただろ、と反論するが、一回だけだもん、と逃げられる。

 やがて三人は話がまとまったのか出発しようと佇まいを正す。ところが男子二人が鎧を着ていないことをアイレが指摘する。すると二人は慌てて長の家へと駆け出した。右足をかばうような走りを眺めつつ、彼女はふぅんと口をとがらせる。

 やがて顔を真っ赤にした二人と共にゲンドの方へと歩き始める彼らへ、男は声をかける。外でたむろしていた六人の様子を眺めていたのか、首をもたげるドラゴンの真っ赤な目が見えた。くるりと増える三対の眼差しに、魔物から逃げきった男は口にする。


 森の中で、ユーラは立っていた。

 わずかに葉の揺れる音に聞き入るようにじっと目を閉じて、動かない。木漏れ日に長く黒い髪をあてながら、ほんのりと釣りあがっている頬。そして額から伸びる角もまた、黒く、黒く、光を貪欲に飲み込んでいる。

 草木ばかりが生い茂る森の中。

 彼らと一体になっているかのように、その口からは吐息が漏れることはなかった。

 やがて、音が増える。タタタッタタタッと獣が駆けていくそれは、まるで障害物などないと言わんばかりに真直ぐに彼女へと近づく。茂みからひょこりと獣の頭部が姿を現すと同時に、足音が止む。二つ、三つと増えていくそれらには、いずれも顔はなく、獣を象った頭があるだけだ。

 ゆっくりと目を開いたユーラが、ぐるりと獣たちを見渡す。

「準備、ありがとう、ございます。魔王様のお言葉を、共に聞き遂げましょう」

 冷たくも深くゆがめられた満面の笑みが魔物たちに向けられる。そして佇まいを戻した彼女の視線の先には、いくつもの人影。ゼガン含めた山賊たちが、じっと彼女の睨みつけていた。動じることのないユーラはまた目を閉じた。

 揺れる。地面が揺れ、木々も何事かと騒ぎ出す。

 慌てる下っ端たちのことなど眼中にないゼガンは、ビリビリと震えだす空気に耳を傾けた。


「我は、魔王。名を、ゼル」

 どこからか聞こえる、濁った声の重低音。

「この聖界を支配するため、魔界アルダーより参った」

 日常の会話にいそしむ主婦も、隠れるようにして座っている浮浪人も、いたずらした子供を追いかけまわす騎士も、貴族も、市民も信者も、はっと空を仰いで、天空より降り注ぐ轟音に聞き入ることしかできない。

聖界セトロアの人間ども、我は貴様たちを滅ぼしたい」

 これに驚くのは人間に限ったことではない。

 木陰で羽を休めていた鳥は何事かと逃げ場のない空に飛び立つものの、再び叩きつけてくる振動に耐え切れず、バタバタと地面に墜落していく。

「手始めに一軍、野に放った。せいぜい抗い、はかない命を散らすがいい」

 野にいた草食獣は急ぎ駆け出し、野に潜んでいた肉食獣は混乱に乗じようとするが、ぐるぐると目指すべき方向感覚を狂わされ、蛇行する。その様を見ているかのように、一度、二度、クックッと嗤う、魔王ゼルと名乗る言葉は、しかしだ、と区切る。

聖界セトロアの王、戦争の前から、降伏などしてくれるなよ?」

 呆然としていた聴衆たちが互いに顔を見合わせて、同じ単語を口にする。

「だが、人間ども、我が唐突にしかけるのも、いささか急が過ぎることだろう。見えぬ敵に惑う姿も眺めるのも一向だが、それではつまらん。我がどこにいるのかは、伝えておくとしよう」

 さも楽しそうな彼の言葉は、王都から遠く離れた荒れ地を示す。国境から離れてはいるものの、近くとは言えない場所。よほどの物好きでない限り、誰も寄り付かない不毛な大地の真ん中に、城を構えているという。

「ああ、来ても誰も入れんぞ? お……いや、我が軍の将である『三柱トリアッド』を全て倒し、用意させた『石柱オベリスク』を壊して見せろ。そうすれば我自らが、相手をしてやろう」

 不可能だろうがな、と付け加えた魔王は一つ咳払い。

「待っているぞ、勇者。さぁ、お前たち、我らが父の悲願を果たそう」

 それきり、ゼルの言葉は聞こえなくなった。わんわんと空を渡る残響音がなくなった頃、人々が向かう先は一つだった。


 色々なものが地面に落ちた森の中で、少年たちは耳を塞いでいた手の平を恐る恐る下ろした。

「ま、魔王……? 今のは?」

 彼らに同行して道案内をしていた男が尋ねるも、顔を見合わせる彼らも目を丸くしている。

 地面には葉っぱや虫、小動物が蠢いている。宣戦布告の轟音が始まるなりぼとぼとと落ちてきたそれに動じることなく、彼らは聞き入っていたのだ。

三柱トリアッド石柱オベリスク……なんだそりゃ」

 口をとがらせるルーネルは、先ほどまでの戦闘狂の面影はどこへやら。小難しそうに眉間に皺を寄せている。

「今のは多分、魔王の使った魔法でしょう。とりあえずは、名前は、ゼル、か」

 恨めし気にちらほらとしか見えない空を仰ぐハインはカチャカチャと得物を指で鳴らす。魔王、ともう一度反復する男だったが、こちらもこちらで意味が分からないとげんなりとした表情だ。

「ハイン、重要なこと忘れてる。魔王の根城の場所が聞けたこと、魔王は逃げきたっていたこと」

 アイレもアイレで視線をあちこちに向かわせ、弓を指でこすりながら、落ち着きがない。それもそうだと同意したルーネルに、勘弁してくれ、と言わんばかりにうなだれる男。

「とりあえず、魔物を倒さないかい? もしかしたら、魔王の差し向けた一軍が、それなのかもしれないよ」

 彼の提案をきっかけに、どこかそわそわとしていた彼らの仕草が止む。これまた何事かと目を見張る男だったが、それもそうだな、と笑みを取り戻したルーネルが歩き始める。倣うように二人の子供も歩き出すと、男はため息をついて、

討都トウトだとか、魔物とか、魔王とか……なんでこんなことになったんだかなぁ」

 と自らのあずかり知らぬところで動き続ける運命を呪いつつ、彼らの後を追いかけた。


 やがて集落の男は、今朝方逃げ帰った同じ場所に舞い戻ってきた。子供三人を引き連れて。

 うっそうと茂る森の中に、ゆらりと立っている女性がいる。この場所にはあまりにも不釣り合いな、一般的な服装の、額に二本の角をいただく女性。

「こんにちは。討都トウトより、お越しくださいました、方々」

 ゆっくりと振り向く彼女は、戻ってきた男を一瞥して、笑みを浮かべて一礼。

「わたし、三柱トリアッドの一人、ユーラ、と申します」

 子供たちは武器を構えると、六人の誰でもない足音が、ユーラの背後から。

「魔王だなんだか知らねぇが、俺らを、殺りに来たんだろ、おまえら」

 山賊の頭をやってるゼガンだと名乗る大男は、その巨躯には小さすぎるだろう槍を握り、未熟な戦士たちを威圧した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る