ep3 冒険者たちは鍛錬に勤しむ

008 今日、暇びとたちは

 静かな森の集落に、ワッハッハといかにもな大きい笑い声が響き渡る。朝もやの消えつつある道を歩く住民たちははたとそちらを見やるが、しりすぼみに消えていった結果、また彼らを日常へと引き戻すのだった。

 森をざわめかせた肺の持ち主は、昨日ここを訪れた初老の男、ビクターであった。打ち合わせに使用していた部屋にて、軽く胸を押さえつつ呼吸を整え、正面に座る朱色の双眸をにやりと見つめた。

「おまえたちの好きな小説は、なんだね」

 薄暗く、じめじめとした空気を払うかのような言葉は、クックッ、とまだおかしそうに揺れ続けている。

 早朝から山賊たちの根城の偵察へと出かけたティーカとクーオ。それを見送ったビクターは新人たちの部屋に来るなり、まだ寝起きらしい彼らをここに呼び出した。

 何だろう、と口をそろえながら朝食を終えた彼らが訪れると、先に座っていた老人はこう口にした。二人が戻ってくるまでは互いに暇人だな、と。

 いわく、山賊掃討は二日後を予定しており、偵察が終われば本格的な準備、そして決行だという。

 昨晩の時点で、長に必要なものの調達は依頼しており、ビクターの出番はない。もちろんその中から作戦の要を決める必要はあるが、それはティーカとクーオの二人が戻ってきてからの話。すなわち、老人は暇を持て余す。

 そして、危険な森に用のあるルーネルたちも、掃討が終わるまではすべきことはない。

「孫のお気に入りの英雄譚にも出てきたもんだが、こんなところでそれを聞くことになるとは!」

 はっはっは、とまたもやおかしそうに仰ぐ彼に、テーブルに拳を叩きつけたのはルーネルだ。

 山賊と対峙したときの笑みも、集落の様子をうかがっていた警戒心も、寝床に我一番と転がる無邪気な姿もない。いつにも増して、立ち上がって鋭い視線を教官に向けていた。

「なんで笑うんだよ! 俺たちは真剣に聞いてんだ!」

 他の二人も、息をつく老人を睨む。

 お互いを暇人だと称したビクターは、掃討までの三日間を自由に過ごすように告げた後、質問があれば答える、と続けたのだ。ならばと挙手したのは正面に座るルーネルで、顎で指された彼は尋ねたのだった。

「はは……ああ、ああ、分かった、ルーキーども。それはどんなやつだ? もしかしたら、王都ではなじみのないやつの呼び名なのかもしれんからな」

 にやつくその顔に、眉を寄せるなという方が難しいだろう。不服そうに、一層こぶしを強く握り呻る彼を横目に、ハインが例えば、と口を開く。だがそこに続く単語を耳にした彼は、ますます笑みを深くするばかりだ。

「ビクターさんが知っているようなものじゃ、ないんです。黒い……そう、黒いんです」

 アイレの主張に、大きく同意する他の二人。

「そうだな、おまえたち、王都の空を見た上げたことがあるか? 煙突があっただろう? そこからもくもくと出てるやつのことか?」

 そりゃ煙だろ。ルーネルが即座に否定するが、座り方を変えただけで、笑みはそのままだ。

「ああ、そうだ。燃やしたもののススが一緒に舞い上がっているだけだな。子供でも、おまえたちみたいなことは言わん」

 あくまでも夢見る新人たちの冗談だと言いたいらしい。いまだに憤怒を隠さぬ少年に座るように指示すると、ビクターは懐から水筒を取り出しフタを開いた。湯気と共にふわりとした香りを吸い込むと、一口すすって、ほうと白い吐息。

「なら、わしからも一つ、訊きたいことがあった。ルーネル、座れ」

 ようやく落ち着いたビクターはもう一度、命令する。腑に落ちない。ただそれだけを訴える少年はゆっくりと、椅子に腰かけた。

「おまえたちはどこから来たんだね? ギルトの申請書には、未記入。それ自体は問題ない」

 キュッと蓋を締めて、机の上へ。

「だが、おまえたちの身に着けている、その紋章。村や町で掲げているものとも違う。隣国のものとも、村町が掲げているものとも違う」

 剣は戦いの、血濡れの象徴。これを国の旗にかかげようものならば、侵略を推し進めるつもりである、とアピールするのと同等のことである。

「もちろん、おまえたちが仲間であることを認識するためのアクセサリであることも、否定はできん。それでも、十人近く、同じものをつけたやつらがぞろぞろと現れれば、怪しいとしか思わん」

 冒険者ギルドは志願者に対し、基本的に来るもの拒まずだ。その性格や品性によほどの問題はない限り、受け入れる。初めの数回の依頼を指導係と共にこなし、なお問題ないとなれば、試験を経て独り立ちできる。

 団体で登録することも少なくはないが、あってもなかよし組の三、四人パーティであり、十ともなれば目を引かないはずがない。

「そのことと、魔物、というのが何か関係あるのかね?」

 じろりとハインを見やれば、口を一文字に結び、静かに見つめ返す。アイレは俯き、ぱくぱくと何かを言おうとしては、喉に引っ込める。ルーネルはと言えば、これまた悔しそうに顔をゆがめている。

 いつまで経っても、回答はない。

 一分、二分と訪れた静寂に、とうとうビクターはピシャリと手を打ち鳴らした。

「言いたくないのか、言えないのかは知らんが、おまえたちの信念か何であれ、ギルドに身を置くならば、時として命を奪うことも覚悟をしておけ。あのような甘さは、死につながるからな」

 突然の捨て台詞にきょとんとする少年たちの前で大儀そうに立ち上がり、ビクターは続ける。

「さ、若人。この暇な時間、訓練なり、住民の手伝いなりをするといい。もし、模擬戦を見てほしいというなら、わしなんかでよければ、見てやろう」

 口早に言い残して、すたすたと部屋から立ち去った老人に対し、取り残された三人。

「ルー、軽く、模擬戦でもしようぜ。身体がなまっちまう」

 沈黙を破る一言は、彼らを縫い留めていた枷を外す。

「……そうだな。おっさん追いかけて、どっかいいとこないか聞いてみるか」

 立ち上がって伸びをするアイレも、

「うん、私も練習してくる。またね」

 と駆け足に長の家を出ていった。


 ぐう、ぐうと規則正しい寝息を立てながら、ずっと眠るのはゲンド。道すがらドンゴンの近くを通りかかったルーネルは、ふと立ち止まる。

「気楽なもんだよなぁ。おまえは」

 自分の頭ほどの大きさはあるだろう眼が重たそうに開く。だがそれが自らの主でないと知るや、また隠れてしまう。

「今からちょっと騒がしくなるけど、勘弁な」

 すると先に歩いていたハインが彼を呼ぶ。開けた場所の真ん中で振り返っていた少年は剣が鞘から抜けないように紐を巻き付け、演習の最終確認をしている。今行くと答えたルーネルも、鞘をベルトから取り出して、同様に準備する。

「じゃ、三本先取でいいか? やろうぜ」

 両刃のなまくらを構え、自然とこぼれる笑みに、おいおいとハイン。

「いい加減、笑う癖どうにかしろよ。怖いんだって」

 苦虫をかみつぶしたように顔を歪めた彼に、自ら踏み込んでいくルーネル。

 カンッと乾いた音が響くと、対峙していた二人は、使い物にならない得物をぶつけあい始めた。もちろん、体術も織り交ぜながら、互いの不意を衝こうと激しくぶつかりあう。

 鎧も着ずに一歩も譲らない模擬戦が集落の一角で、絶え間なく行われる。その野次馬は、何事かと遠目に見る者たちばかりで、唯一の観戦者は、その巨躯をようやく動かしたドラゴンだけだった。

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