第五話

 麻衣は自宅の電話の留守番電話を再生した。

「一件の留守番電話メッセージを再生します」

 ピーという電子音の後、母の声が聞こえはじめた。

「お母さんです。麻衣、元気にしていますか? 長く家を空けてごめんなさい。今日の夜の便でお父さんといっしょに帰ります。帰りは夜中になると思うから晩御飯はひとりで食べてね」

 お兄ちゃんは? と、麻衣は思った。学には聞かせられない、そう思った麻衣はそのメッセージをすぐに消去した。


 学は居間でソファに寝転び、ぼーっと天井を見つめていた。

 学の顔を覗き込む顔があった。麻衣だった。

「どうしたの? お兄ちゃん。昨日からずっと浮かない顔」

 学は体を起こして、

「いや……なんでもない……よ」

 と言った。

「マスカレイドアバター? だっけ? あの変なコスプレみたいなの。あのことで悩んでるの?」

「いや、それは別にもういいんだ」

「そう……なんだ……」

 麻衣はとても心配そうな顔をしていた。大事な妹にそんな顔をさせちゃいけない、そう思った学は話題を変えることにした。

「なぁ麻衣」

「なあに?」

「高校、楽しいか?」

 しかし、その話題も麻衣の表情を明るくすることはなかった。

「うーん、去年までは楽しかったんだけどね。Ⅲ年生になってからはもう受験一色って感じで。麻衣はもう推薦で大学決まっちゃったからいいんだけど……。だから今は逆に居辛いかな……」

「そっか……」

 高校生もいろいろ大変なんだな、と思った。

「どうしたの? 急に」

 麻衣の疑問ももっともだった。だから学は答えた。

「ん……、俺も高校くらいは行っておいた方がいいのかなって思ってさ。夜間か通信か・・・とにかく働きながら高校に行って、できれば大学にもさ。うちはどちらかと言えば裕福な家庭だろ? 三一になる長男が働きもしないで部屋にひきこもってても、全然やっていけるくらいにさ。でも、いつまでもそういうわけにはいかないよな。親父もお袋ももう年だし、お前もいつか嫁に行くし」

「麻衣はお嫁になんか行かないよ?」

 麻衣は、そう言って、

「麻衣はお兄ちゃんとずっといっしょにいる」

 学を後ろから抱きしめた。

「……麻衣」

「だからお兄ちゃんもずっと麻衣のそばにいてね?」

「……ああ」

 ずっとこんな暮らしが続けばいいのに、と学は思った。けれどそう長くは続かないということを学は悟っていた。自分はもうただの人間じゃない。マスカレイドアバターなのだ。

「そうだ! さっきお母さんから留守電はいってたの! お父さんとお母さん今夜帰ってくるんだって! お兄ちゃんがお部屋から出られるようになったこと知ったらきっと喜ぶね!」

 麻衣の顔がぱーっと明るくなった。

「……喜ぶかなぁ」

「絶対喜ぶよ! あ、サプライズでパーティーする? 麻衣、ケーキ作るよ!」

 学と麻衣は、笑いあった。

 けれど、すぐに学の表情は曇った。




 野中を殴り殺した学は、

「はぁ、はぁ、はぁ」

 肩で息をしながら変身を解除した。

「これで……いいのか?」

「ええ、合格よ」

 ミサは言った。

「教えてくれ、マスカレイドアバターがあんたの言う通りのものだったら、なんで俺がマスカレイドアバターに選ばれたんだ?」

 それが不思議でならなかった。学はテレビの特撮ヒーローの主人公のように正義感なんてものを持ち合わせていなかったし、人と争うことが何より苦手だった。マスカレイドアバターとして何と戦うことになるのかすら彼にはわからなかったが、戦争に駆り出されるのだけはごめんだと思った。

 しかしミサは言う。

「それはあなたが誰にも必要とされていないからよ」

「なんだと……」

 その言葉には愕然とするしかなかった。

「この国のひきこもりの人数はおよそ一六三万六千人、十五歳から三四歳までの若年者の無業者、いわゆるニートは六〇万人。あなたのようなひきこもりのニートの増加によって、この国にはまもなく終末が訪れようとしている。政府は国民に背番号をふりわけ、DNAレベルで管理し、あなたたちを間引きすることを一度は考えた」

「俺たちは生きる価値もないってわけか。別に産んでくれなんて頼んだ覚えもないんだけどな」

「すでに、現在ひきこもりやニートである者、将来ひきこもりやニートになる可能性のある赤ん坊を持つ人間の間引きが極秘裏に進められているわ」

「なんだって……」

 そんなこと許されるはずがなかった。

「けれど、城南大学のある教授が、あなたたちのような人間にもまだ利用価値があると、政府に進言したの。あなたたちを使ってマスカレイドアバターシステムの起動実験を行えばいい、とね」

「その城南大学の教授っていうのはまさか……」

「あなたのお父様よ。かわいい息子を間引きから救うための方便だったんでしょうけれど」

「俺は親父に生かされたのか……。待ってくれ。じゃ、マスカレイドアバターはまさか」

 ミサのいう、あなたたちという言葉に気になった。

「ええ、あなただけじゃないわ。百六十万人以上の人間の中から、この八十三町に在住するあなたをはじめとする四八人が適格者として選ばれた」

 ミサ、数人のマスカレイドアバター適格者の写真や資料を学に差し出した。

 学は気づかなかったが、それらの資料は八十三オレンジの会にいた少年少女たちだった。

「マスカレイドアバターが俺以外にもいたのか」

「ええ、マスカレイドアバターの適格者たる条件は、誰からも必要とされていない者であること。そんな人間はこの国に腐るほどいるわ。そして、力を手にした彼らは、これまであなたがしてきたような、くだらない復讐劇を繰り返している。ある程度予想されていたことだったけれど、少しはその後始末をするわたしたちの気になってほしいものね」

「じゃあ、俺が高志くんや中北たちを殺したのに事件にならなかったのは……」

「そして、この野中良成くんもね。私の部下に感謝することね」

 ミサはそう言うと、屈強な男たちが再び現れ、ペンライトのようなもので野中の死体に光を当てた。

 すると、みるみるうちに野中の死体が消えていく。

「何をしてるんだ?」

「原子還元処理よ。死体を原子・分子レベルに戻してこの世から完全消滅させる、わたしの所属する組織の廃棄物の処理法」

 ペンライトのようなものは携帯型の溶鉱炉だという。

「別にあなたに感謝してもらおうと思ってこんな話をしてるわけじゃないのよ」

 ミサは言った。

「適格者の中で、暴走を始めた者が現れたの」

「暴走……?」

 廃屋の壁をスクリーンにして、映像が映し出された。街の監視カメラの映像のようだった。

 右手首のないマスカレイドアバターが、左手に持った大剣を振りかざし、無差別殺人事件を起こしていた。

 そののデザインは秋月蓮治から見せられたものとまるで同じだった。

「これは……あいつの……なんで……」

 呆然とする学にミサは言った。

「彼のマスカレイドアバターとしての名はベルセルク。彼は今、見ての通り無差別な殺戮を繰り返しているわ」

「どうしてそんなこと……」

 このマスカレイドアバターはあの秋月蓮治なのだろうか。まったく同じデザインなのだ。そうとしか考えられなかった。彼は自分が変身した姿をスケッチブックに描いていたのだ。

「マスカレイドアバターシステムの暴走……、あるいは、彼自身がマスカレイドアバターの力に溺れて狂ってしまったかもしれないわ。あなたにはこれから彼を止めてもらう。そのために、あなたのくだらない復讐劇のお手伝いをしたの」

「マスカレイドアバター同士で戦えっていうのか? いやだね。そんなの警察や自衛隊の仕事だろ」

 秋月を相手に戦うなんてできるわけがなかった。彼は学にとって生まれてはじめてできた友達だった。

 しかしミサは言う。

「無理ね。マスカレイドアバターはたったひとりで、アフガニスタンやイラクで活躍した米軍の劣化ウラン装甲の戦車一個師団を相手にできるほどの力があるの。この国の警察や自衛隊に彼を止めることは不可能なのよ」

「だったら俺以外のマスカレイドアバターにやらせればいいだろ。あいにく俺は正義感なんてものをもちあわせていないんでね。こんな狂った奴と戦う気はないよ」

 学はベルトを放り投げた。

「俺はもう、降りるよ。じゃあな」

 そう言って、廃屋を後にした。

「待ちなさい!」

「親父に伝えてくれ。俺たちみたいな人間をマスカレイドアバターに選んだのは間違いだったってな」

 そんな捨て台詞を残して。

 ひとり残されたミサは立ち尽くし、

「マスカレイドアバターディス、あなたにはわたしはどんな姿に見えたかしら?」

 と言って笑った。



 麻衣はキッチンでサプライズパーティの支度を楽しそうにしていた。

 学はリビングのソファに寝転がり、携帯電話をいじりながら思い悩んでいた。

 アドレス帳の「ミサ」に、電話をかけようかどうか悩んでいた。

「いいさ別に……俺には関係ない」

 携帯電話を放り投げ、起き上がるとテレビをつけた。

 テレビから聞こえてきたのは無数の人々の悲鳴だった。

「!?」

 テレビではマスカレイドアバターベルセルクの無差別な殺戮が生中継されていた。殺されているのは人間ではなかった。他のマスカレイドアバターが破壊されていた。

 その場所に学は見覚えがあった。八十三町の商店街だった。

「……くそったれ。すぐ近くじゃねーか」

 学は、リビングを飛び出した。

 キッチンにいた麻衣が、

「あれ? お兄ちゃん」

 玄関まで学を追いかけてきた。

「どこか行くの?」

「ああ、ちょっとな」

 靴を履きながら学は言った。

「麻衣も!」

「だめだ。お前は家にいろ。それからテレビは観るな。いいな、絶対に家の中でおとなしくしてろよ」

「……うん」

 麻衣はさびしそうにうなづいた。


 学が家を出ると、黒塗りの車とミサが家の前で待っていた。

「ようやくその気になってくれたみたいね」

「他のマスカレイドアバターはどうしたんだ?」

 確かミサはマスカレイドアバターは全部で四八人いると言っていた。学とベルセルクを除いても46人いるはずだ。

「みんな彼にやられたわ。あなたしかいないの。やってくれるわね?」

「……これっきりだからな」

 学はミサといっしょに車に乗り込んだ。

「ひとつ質問がある」

「いいわ、どうぞ」

「暴走しているベルセルク? ってのと、俺、それから他のマスカレイドアバターたち……、どうしてマスカレイドアバターはこの町に集められているんだ?」

 当然の疑問だったが、ミサはしれっとした顔で言う。

「ひとつの町で実験を行った方がどんな事態が発生したとしても処理しやすいでしょう?」

「なるほどね……。迷惑な話だ……」

 学は大きくため息をついた。



 商店街に、黒塗りの車が停まった。

 車から降りた学は、

「まったく派手にやってくれちゃって……」

 人間の死体の山と、マスカレイドアバターの無数の残骸を目にして言った。

「いい? 相手は左手に持った大剣を武器とした近接戦闘型のマスカレイドアバターよ。それに対してあなたの武器は銃だけ。相手の間合いに気をつけて。懐に入られたら一巻の終わりよ」

 ミサは学にベルトを差し出して言った。

「ああ」

 学はそのベルトを受け取ると、腰に巻いた。

「それからこれを渡しておくわ」

 ミサはそう言うと、学にディスクを手渡した。

「これは?」

「ディスの新しい武器よ。つい先日完成したばかりの試作品だから使えるかどうかわからないけれど」

「実践で試してみろってか。無茶言うなぁ。まぁ、やってみるか」

 学は、ベルトのバックル部分に相当する携帯ゲーム機をかざした。

 ベルトから機械的な男の声が鳴り響く。

「システム起動、ディスリスペクト」

「変身!」

 学は叫び、携帯ゲーム機をベルトのバックルにはめ込んだ。

「マスカレイドアバター!」

 学は、マスカレイドアバターディスに変身した。

「秋月……お前は俺が止める……」

 学は、ベルセルクを見つめ言った。

「うおおおおお!」

 それは魂の叫びだった。学は、走りながらモラトリアムトリガーに先ほど渡されたディスクを挿し、ベルセルクに銃口を向けた。

「モラトリアムトリガー!

 キュイキュイキュイキュイ!

 ヘルズボルケイノシュート」

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