ユエの壁

 耳元で何かがひっきりなしにささやいている。

 

 それは男の声であった。女の声であった。大人の声であった。子どもの声だった。

 無数の声であった。

 彼らは眠るユエに何やら訴えている。

 声はいよいよ大きくなってき、とうとうユエは目を覚ました。



 ユエが初めに感じた違和感は、土の香りが全くしないことだった。生き物の気配も感じられない。外の様子を見ようとユエは小屋の扉を開け、目をまん丸とさせた。

 

 そばにあったはずの桑の大木はどこにもなく、代わりにあったのは木でできた床と壁と高い天井。

 小屋は大きな木造の建物の中にあった。

 寝ている間に一体何があったのかと驚いていると、視界の端に何やら動くものが見えた。

 顔を向ければ、男が扉を開け建物の中に入るところだった。


 見たこともない人間で、異様な風体であった。

 全身を金色に光る服で包まれ、足を引きずり歩くたびにじゃらじゃら音を立てている。

 周りを威圧するような服である一方で、土気色の顔は覇気がなく足どりも重い。

 男は顔をあげユエの姿を認めると、目を見開いた。


 「あ、あなた様は……」 


 服の裾を踏みつけ転んで尻餅をついて動かなくなった男に、ユエはすぐに興味をなくした。

 ここは居心地が悪い。

 心安らぐ桑の木のもとへ行こうとするユエを、男は惚けて見ていたがすぐに後を追いかけた。


 

 大地は戦火にみちていた。

 この大陸は、はるか昔に南方から人が移り住んで以来、諸方に国が割拠かっきょする常態が続いていた。

 そこへ王の中の王カル・タイヤンを名乗る者が現れた。彼は混沌を嫌い、秩序を愛した。目指すのは古い慣習の排除、そして法による天下統一であった。彼は軍を率いて、諸国を次々と征服していった。

 当然、人々は反目した。

 燎原りょうげんの火のように争いは広がっていった。


 辺境にあるユエの国にも波は押し寄せていた。

 この国が他国からの侵略を免れているのは一重に、古より伝わる神の力があるからだった。

 かつてユエの守りと呼ばれた境界には「ユエの壁」と呼ばれる城壁が築かれ、敵意ある者を一切寄せ付けない鉄壁を誇っていた。

 

 この五百年、国を揺るがす事態は一度や二度ではないが、その度にこの国がとった戦略は徹底的な籠城ろうじょうであった。

 何年でも耐えられる穀物倉によって、相手軍が飢え囲みが解かれるのを待ち、幾たびの侵攻をしのいできた。

 そして今、まさに新たな戦いの最中あった。


 ユエが目覚める二年前、カル・タイヤンの国から使者が訪れた。

 書状に書かれていたのは、彼の国に恭順きょうじゅんを示し、ユエの力を寄越せという無茶な要求であった。この国を建国したのちに眠りについたユエの伝説は、他国にももれ伝わっていた。

 

 ユエの国第二十代目の王は書状を破り捨て拒絶した。

 彼の頭にあるのは己の地位の安泰のみであった。

 カル・タイヤンとやらは、征服した国の王制や貴族制を廃していると聞く。ならば、たとえ降伏したところで自身の身は危うい。まして生まれながらの王という誇りが、何人にもかしずくことを許さなかった。

 

 だが王の中の王と名乗る国だけあり、要請が拒否されるや彼の国は盤石ばんじゃく布陣ふじんを敷いてきた。

 彼らは手始めに周りの国を攻め落とし、人夫を刈り集め木を切らせ石を埋め込み、ユエの国へと続く軍用道路を作り上げた。

 ありが次々と食料を運ぶように常に軍へと補給はなされ、尽きることはなかった。


 次に手をつけたのは、城塁じょうるいを築くことであった。ユエの壁を眺められる場所にあちこち簡易なものを建て始めた。ユエの国の者らは、彼らが何をしているか気づいたが手も足も出ないまま、周りはいくつもの城塁じょうるいに取り囲まれるようになった。さながら大要塞だいようさいの中にすっぽりとおさまるような形で包囲され、袋に追い込まれた鼠になった。圧倒的な兵力と物資であった。


 宮中は恐れ慄き、これ以上の籠城は無駄ではという声が日に日に増えた。

 敵国に攻められ、かつてない危機にこの国が陥っているところへ、眠り続けていたユエが目を覚ました。

 神殿で祈りを捧げようとしていた王にとって晴天の霹靂へきれきであった。


 

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